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第69話 聖女の帰郷
収穫祭の賑わいから数日。王都へと戻った俺たちを待っていたのは、国王からの緊急招集ではなく、聖王国の聖女クラリスを通じた、ある依頼だった。クラリスと関係あることか。受けないわけにはいかないな。
「リアム様、申し訳ありません。私の故郷、聖王国の国境付近にある静寂の森で、異変が起きているという知らせが届きました。全ての生き物が姿を消し、森そのものが死に向かっていると」
クラリスは、いつもの穏やかな笑みを消し、祈るように胸の前で手を組んでいた。その瞳には、深い不安の色が混じっている。
「静寂の森か。本来なら、世界樹の加護を受けて最も生命力に溢れているはずの場所だな」
俺はシロの頭を撫でながら、原作の記憶を掘り起こした。
原作では、ここでカイルが聖女にいい格好をしようと先走って、森に潜むベルゼブブの眷属で、空腹の亡霊ハングリー・ゴーストに生命力を吸われ、ミイラ寸前になるエピソードだったか。聖女の故郷が危機に陥ることで、彼女の献身的な愛が勇者に向けられるはずのイベントは覚えている。そのシナリオが始まったのか。ただしカイルではなくて、俺はリアムであるから、シナリオの変更は想定しておく。極めて危険な状況にもなり得るのは覚悟する。
「主。その森、影の気配すら途絶えているようです。まるで、世界からその場所だけが削り取られたかのような」
セレーナが俺の隣で、警戒するように短刀の柄に手を置いた。
「リアム様、わたくしも行きます。クラリス様の故郷ですもの、放っておけませんわ」
アリシアが力強く宣言する。その横で、シロが「ワンッ!」と短く、励ますように吠えた。みんな考えは同じようだ。
「放っておけるわけがない。クラリス、案内を頼む。俺たちが、その森に再び声を戻す」
「みんな、ありがとう」
馬車を飛ばして数日。聖王国との国境に到着した俺たちは、目の前の光景に絶句した。
緑の宝石と称えられた森は、今や色が抜け落ちたかのように白茶け、風が吹いても葉のかすれる音一つしない。寂しい森になっている。
「なんてこと。お花も、小鳥たちのさえずりも、何一つ聞こえません」
エレナが俺の服にぎゅっとしがみつく。
「クゥ、ゥーン」
シロも鼻をヒクつかせ、嫌な匂いを嗅ぎ取ったのか、低く唸った。
「リアム。ここは僕に任せてよ。勇者として、この不気味な呪いを聖剣で切り裂いてみせるから!」
「カイルは少し黙って後ろにいろ。セレーナ、周囲を影で索敵を頼む。アリシア、闇の障壁を薄く広げて、生命力の流出を防ぐのを」
「えー! また僕はお留守番!? せっかく格好いいセリフを考えたのに!」
「勇者様。命を落としたら、そのセリフも墓石に刻むことになりますよ」
セレーナの冷たい一言に、カイルは「はい、大人しくしてます」と引き下がった。はっきり言って今のカイルは邪魔になるからな。カイルに勇者補正が入り、チート化すれば話は別として、今は放置していいだろう。
森の中を進むにつれ、その異常は目に入った。木々の幹には、まるで巨大な口で、えぐり取られたような跡があり、地面には虫一匹いない光景だった。
「リアム様、見て! 前方に、ぼんやりとした影が!」
アリシアの指差す先、透き通った泥のような、形のない化け物たちが数多くいた。暴食の眷属、空腹の亡霊の登場だ。
「あ、ああ。足りない。命が、足りない」
亡霊たちが寄ってきて、俺たちの生命力を直接吸い取ろうと、目に見えない触手を伸ばしてくる。
「かっ、身体が急に重くなって!? 魔力が吸い取られていますわ!」
アリシアが膝を突きそうになる。
「ふん。ベルゼブブのやりそうなことだ。シロ、翼を広げてくれ。クラリス、俺と一緒に祈るのをやる。クラリスの慈愛に、俺の虚無を混ぜるぞ」
「えっ? リアム様の魔力と、私の祈りを?」
「ああ。奴らは空腹だから喰うんだ。なら、一生かけても食べきれないほどの満足を、一瞬で叩き込んでやればいい」
俺はクラリスの手を握り、シロの背に魔力を流し込んだ。
「管理者の権能:飽和の福音」
「シロ、遠吠えを! 黄金の安息!!」
「クゥォォォォォォォォォォォォン!!!」
シロの翼から、温かな光の粒が吹雪のように溢れ出した。それは亡霊たちを攻撃するのではなく、彼らの乾いた魂を潤すように、無限の魔力で満たしていく。
「ああ。ああああ、もう、お腹が、いっぱいだ」
亡霊たちは満足げな溜息を漏らし、そのまま白い光となって、浄化され、消えていった。
「亡霊か消えました!」
「何とか浄化できたな」
みんなとクラリスの力を合わせた成果だな。
森の最奥にある、枯れかけた世界樹の苗木の前。
呪いの根源を絶ったことで、周囲にはゆっくりと色が戻り始めていた。
「リアム様。ありがとうございます。私の祈りだけでは、彼らを救うことはできませんでした」
クラリスが、俺の手を握ったまま、涙を流して微笑んだ。
「勘違いするな、クラリス。俺はただ、あんな不気味な奴らに俺たちの魔力をチョビチョビ吸われるのが不愉快だっただけだ。一気に満腹にさせて、追い出したほうが早いからな」
「ふふ、またそんな冷たいことを。でも、リアム様の手、とても温かかったです。亡霊たちも、きっと救われたと思いますわ」
「リアム様、わたくしというものがありながら、クラリス様と手を繋いでそんなに長くお話しするなんて、 焼きもちを焼いてしまいます」
アリシアが頬を膨らませて割り込んでくる。
「主。あちらで、カイル様が僕の聖剣のオーラが、亡霊たちを戦意喪失させたんだ!と村人に自慢していますが、よろしいのですか」
セレーナが遠い目をして指差した先では、案の定、駆けつけた聖王国の兵士たちにカイルが胸を張っていた。英雄きどりだな。まあ、そうしたいなら、カイルの好きにさせておくか。
「放置しろ。あいつが満足しているなら、それでいい。世間的にはカイルは勇者ということになっているのだから、少しは信頼されるだろう。それよりシロ。今日は一段と魔力を使ったな。帰ったら最高級の肉を、シロ・フォートレスの特産品として用意してやるからな、待っていろな」
「ワンッ! ワンワンッ!!」
シロは尻尾をプロペラのようにグルグル回し、俺の胸に飛び込んできた。
「リアム様、見てください。枯れていた苗木から、小さな芽が出ていますわ」
クラリスが優しく土を撫でる。そこには、確かに新しい生命の息吹が宿っていた。
「ベルゼブブは、奪うだけで与えない。俺たちの領地は違う。クラリス、ここも俺の領地のようなものだ。困ったことがあれば、いつでも言ってほしい。シロが、いつでも風を届けに来るからな」
「はい。リアム様、大好きです」
「あっ。あ、ああ。分かったから、そんな顔で見るな」
原作は、聖女アリシアが勇者に好意的になる回だった。それが今や、聖女のアリシアは俺の目を見て微笑み、勇者は勝手に空回りしている。闇落ちした聖女のシナリオになったわけだ。世界が壊れているのか、俺が作り替えすぎた結果なのか。
俺はシロの背中を叩き、夕焼けに染まる森を見渡した。生命の音が、少しずつ戻ってくるのが実感できる。小鳥の羽ばたき、風に揺れる葉の音。それは、どんな規律な音楽よりも、今の俺の耳には心地よかった。
「リアム様! 早く帰りましょう! シロちゃんの肉パーティーに、わたくしも混ぜてくださるって約束しましたわよね!」
エレナが遠くから叫んでいる。
「分かった、分かったよ。さあ、シロ。みんなで帰るぞ。俺たちの要塞へな」
「ワンッ!!」
俺たちは、元に戻り始めた森を後にした。暴食のベルゼブブとの決戦がいつ来るか考えながら。
奴の飢えが世界を飲み込む前に、俺はもっと多くの満足を、この地に根付かせてみせる。
「待っていろ、ベルゼブブの空腹を、俺が最高の絶望という名の満腹で、終わらせてやるからな」
俺はシロのふかふかの毛を握り締めて、仲間と移動した。




