68
第68話 黄金の収穫祭
王都の賑わいから少し離れた、俺の直轄農園。そこには今、黄金色に輝く麦の海が広がっていた。マモンの領地を開拓して要塞都市にした領地の農園である。
今日は待ちに待った収穫祭があった。領地開拓が成功したことを王都の人々にも知ってもらうための、大規模な祝祭だ。
「リアム様、見てください。去年までの荒れ地が嘘のようですわ。麦の穂が、まるでシロちゃんの尻尾のようにふかふかしていますわね!」
アリシアが、新調した農作業用の軽やかなドレスをなびかせ、麦畑の中を走り回っている。その隣では、シロが楽しそうにぴょんぴょんと跳ね、麦の穂を揺らしていた。
「ああ。土壌改良の甲斐があったな。シロ、あまり走り回るなよ。収穫前の麦が折れるだろ」
「ワンッ!」
シロは申し訳なさそうに立ち止まり、俺のところに駆け寄ってきて、その真っ白な頭を膝に擦り付けてきた。
「ふふ、シロちゃんも、リアム様に褒められたくて仕方がないのですわね。主、会場の設営は完了しました。カイル様たちが、例によって騒ぎを起こさなければ、平和な祭りになりそうです」
影の中から、セレーナがバスケットを持って現れた。中には、試食用の新鮮な果物が詰まっていて、祝祭の始まりとなった。
祭りが始まると、農園には王都からやってきた大勢の人々で溢れ返った。俺たちの農園で採れた新鮮な野菜や果物が屋台に並び、香ばしいパンの匂いが鼻をくすぐる。
「リアム! 見てよ、僕のこの人気! みんなが僕に握手を求めてくるんだ。やっぱり、昨日のダンジョンでの活躍が広まってるのかな?」
カイルが、昨日の自慢話の続きと言わんばかりに胸を張って近づいてきた。後ろには、昨日助けた初級冒険者たちも数人付いている。
「カイルが人気なのは、その勇者という肩書きのせいだ。あまり調子に乗って食べ歩きばかりするなよ」
「固いこと言わないでくれ! 今日は収穫祭なんだから。ほら、この焼きトウモロコシ、すごく甘いよ。リアムも食べなよ!」
「いらん。俺はシロの毛のブラッシングで忙しい」
「クゥーン」
シロも食べたいという顔か。シロが期待に満ちた瞳でカイルのトウモロコシを見つめる。
「こら、シロには後で特製の肉を用意してある。今は我慢しろ」
原作の知識では、この収穫祭の後半に、ベルゼブブの送り込んだ飢餓の種が発芽し、人々が狂ったように食べ物を奪い合うパニックが起きるというシナリオがあったな。今回もそのシナリオがあるのかだが、俺は事前に土壌の魔力をすべて浄化し、種が根付く隙を一切与えていない。はずなんだが、どういうシナリオかは俺にもわからない。
俺は少しだけ周囲の魔力残量を真理の速読でチェックした。
異常なし。いや、一箇所だけ、魔力が妙に凝縮している場所があるのが気になるな。小さな違和感が。
農園の中央に設けられた特別席では、アリシア、セレーナ、そして王都から招待した貴族たちが食事を楽しんでいた。
「リアム様、こちらへ。このサラダ、フィオナ様たちがドレッシングを工夫してくださったんですの。とっても爽やかですわ」
アリシアが手招きする。俺はシロを連れて席に座った。
「リアム様、お疲れ様です。それにしても、これほどの収穫量をこの短期間で実現するなんて。帝国の農業省が見たら、驚いて軍を動かしかねませんよ」
フィオナが半分冗談、半分本気で微笑む。確かにそうかもな。俺の規格外の魔力を使えば可能だったまでだ。農園チートの成果は上々だったが、異常があるかどうかだが。
「帝国の軍勢が来ても、シロの風で吹き飛ばすだけだ。それより、みんな。食欲に変わりはないか? 妙に喉が渇いたり、どれだけ食べても満たされない感覚があったりはしないか?」
俺の問いかけに、クラリスが不思議そうに小首を傾げた。
「いいえむしろ、リアム様が作ってくださったこのお野菜は、一口食べるだけで体が光に満たされるような、そんな心地よさがあります。何か心配事でも?」
「いや。それならいいんだ」
異常なしか。原作ではもう、一回目のパニックが起きている頃だ。俺が領地を聖なる種で要塞化したせいで、ベルゼブブの呪いが、入る隙を見つけられずに外側で滞留しているのか? それならいい。トラブルは起きない方がいいからな。
「主。あちらの、果樹園の端。影が、少しだけ重いです」
セレーナが耳元に来て話す。彼女の感覚は、魔力感知よりも鋭いから信頼性は高い。
「気づいたか。アリシア、少し席を外す。シロを連れて散歩に行ってくる」
「あら、わたくしも一緒に行きますわ」
「ダメだ。アリシアは、ここで皆をもてなしてくれ。いいか、これは公爵としての命令だ。頼むぞ」
俺が真剣な表情で言うと、アリシアは少し頬を赤らめて、小さく頷いた。
「リアム様にそこまで真剣なお顔で頼まれては、断れませんわ。分かりました。ここはお任せくださいまし。でも、すぐに戻ってきてくださいね」
「約束する」
広大な農園の奥に来た。人影のない果樹園の奥。そこには、赤黒い霧が渦を巻いていた。
それは、本来なら村人たちの胃袋に寄生するはずだった暴食の呪いが、行き場を失って具現化した飢餓の塊だった。
「シロ。あれを食べられるか?」
「グルルゥ」
シロが唸り声を上げる。あの呪いは、シロにとっても不味そうなもののようだ。
「主。あれは、物質的な攻撃が効かないようです。魔力そのものを喰らう、純粋な概念の塊ですね」
セレーナが影から飛び出し、短刀を構える。
「ベルゼブブの姑息な手だ。俺の農園を汚させるわけにはいかない。シロ、翼を広げろてくれ。聖域浄化を、俺の魔力で上書きして放つぞ」
「ワンッ!!」
シロが空中に舞い上がり、六枚の翼を全開にする。俺はシロの背中に触れ、管理者の権能で周囲の法則を書き換えた。
「この地において、許可なき飢えを禁ずる。満たされぬ魂に、安らかな終焉を。虚無の抱擁!!」
シロの風に、俺の虚無の魔力を乗せて放つ。赤黒い霧は、シロの風に触れた瞬間、喰らう対象を見失い、自分自身の存在そのものを虚無へと還元していった。
断末魔の声さえ上げることなく、ベルゼブブの呪いは、夕暮れの農園に溶けて消えた。
「成功したか」
「消えました、主」
「シロ、ありがとう。戻って肉を食べなさい」
「クゥーン」
呪いを消し去り、俺たちが広場に戻ると、祭りはちょうど最高潮を迎えていた。
「リアム様! おかえりなさい! ちょうど、大きな焚き火が始まるところですの」
アリシアが駆け寄ってきて、俺の手をぎゅっと握った。その手は、少しだけ冷えていた。
「遅くなって悪かったな、アリシア。散歩の途中で、シロが少しだけ迷子になりかけてな」
「クゥ、ゥーン?」
シロが心外だと言わんばかりに首を傾げたが、俺が後で肉を増量してやるというアイコンタクトを送ると、すぐに納得して尾を振った。
「まあ、シロちゃんが迷子に。それは大変でしたわね。でも、リアム様が戻ってきてくださって、空気がなんだか、もっと美味しくなった気がしますわ」
「主。お疲れ様でした。影の掃除、完璧でしたね」
セレーナが隣で小さく微笑む。彼女だけは、俺が何をしたかを察している。
「リアム見てよ、このお肉! 僕が自分で焼いたんだ。リアムにも一口あげるよ、あーん!」
「カイル、いつまで遊んでるんだ。まあ、いい。今日だけは、能天気さに救われるな」
俺はカイルが差し出した肉を、無愛想に受け取って口にした。
原作では、この場所は悲鳴と絶望に染まるはずだった。それが、こうして不格好な勇者の焼いた肉を、愛する王女たちと囲んでいる。世界を救うなんて大層なことは言わないが、この夕食の時間を守るためなら、俺は何度でも、古文書にも載っていないような禁忌の術を使いこなしてやるさ。とりあえず今回のシナリオは俺の死亡フラグは消せたようだけど、次のシナリオは油断はできない。
「リアム様。わたくし、今日ほど、この国に生まれてよかったと思ったことはありませんわ。リアム様が、この土地を愛してくださったおかげです」
アリシアが、俺の肩にそっと頭を乗せる。
「俺は、自分の居場所を整えただけだ。アリシアがいるから、この場所は価値があるんだよ」
俺がそう言うと、アリシアは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
「あらあら。リアム様、最近、素直すぎませんか?」
フィオナがクスクスと笑う。
「うるさい。さあ、シロ。約束の特大肉だぞ、一番、頑張ったからな」
「ワンッ!!」
アニメに出てくるような骨付きの肉を渡す。シロが嬉しそうに肉にかぶりつく。その姿を眺めながら、俺たちは収穫祭の終わりの歌を聞いていた。
暴食の影は、一度は退けた。ベルゼブブ本人が動く時、本当の飢えがこの国を襲うだろう。
「来いよ、ベルゼブブのどんな食欲も、俺たちのこの絆の温かさには、到底敵わないことを教えてやる」
俺は、シロのふかふかの毛の中に手を埋め、少しだけ強くなった夜風を感じながら、祭りを楽しんだ。




