64
第64話 羽虫の襲来
要塞都市シロ・フォートレスとして生まれ変わったクレイ村の朝は、本来なら希望に満ちたものになるはずだった。村の人もそう願っていたと思う。しかし、地平線の彼方から湧き出した黒い雲が現れたので、願いも打ち砕きそうだ。平穏を塗りつぶしていく。
「リアム様 あれを見てくださいまし 雲ではありませんわよね?」
アリシアが震える指で空を指差す。視線の先、空を埋め尽くしていたのは、羽音だけで大地を震わせる大顎の羽虫、ジャイアント・バイトの群れだった。原作にもいた魔物だから間違いないだろう。原作では、あの羽虫は数は多かったから、面倒になるな。
「暴食の偵察隊か。思ったより早いな」
俺はシロの頭を撫でながら、静かに空を見上げた。
原作では、この羽虫たちが村を一夜にして食い尽くし、跡形もなく消し去るはずだった。その後の物語で、ベルゼブブは空腹を理由にさらなる暴挙に出る。俺がこの村を要塞化したことで、歴史の歯車は狂い始めている。俺の死亡フラグのシナリオかもしれないが、ねじ曲げてやる。
「主、敵の数は推定五万。いえ、さらに増えています。奴ら、大気中の魔力を喰らって、飛びながら増殖しているようです」
影の中から現れたセレーナが、冷たく報告する。彼女の瞳には、いつもの静かな殺意が宿っていた。
「五万? そんな、どうやって戦えばいいのですか?」
エレナが悲鳴を上げる。
「大丈夫だ、エレナ。この村を包む風と闇の壁は、伊達じゃない。アリシア、セレーナ、準備はいいか?」
「もちろんですわ、リアム様 私たちの家を、これ以上汚させはしませんわ」
「ワンッ」
シロが力強く吠え、翼を大きく広げた。
羽虫の大群の黒い波がシロ・フォートレスに衝突した。ガチガチと無数の顎が噛み合う不気味な音が響き、村を包む常闇の防風林が激しく音を鳴らす。
「リアム様、見て。奴ら、風の壁を食べていますわ」
アリシアの叫び通り、羽虫たちは真空の刃に触れても、鋭利な魔力そのものを餌として食べて、少しずつ壁を削り取っていた。どんだけ食い意地のある奴らなんだよ。まあ、原作でもこれはある程度は予想の範囲だがな。つまりはこれが暴食の効果。
「暴食の権能の一端か。エネルギーそのものを栄養に変えるとは、相変わらず厄介な連中だ。それも計算の内だよ」
俺は落ち着いて指示を出すとする。指示はもっと強くだ。
「アリシア、闇の濃度を上げよう。食べれば食べるほど満腹感ではなく虚脱感を与える、負の魔力を混ぜるんだ」
「分かりましたわ 忘却の黒霧ミスト」
アリシアが魔導書を開き、真っ黒な魔力をシロの風の壁に注ぎ込む。
「果たして効果はどうかな」
それを食べた羽虫たちが、次々と動きを止めて地面へ落下し始めた。少しは効果ありだな。
「主、隙間ができました。一気に叩きますか?」
「いや、セレーナ。ここで地上戦をするのは得策じゃない。奴らの親玉、指揮官個体が雲の上に隠れている。シロ、行くぞ。空の掃除だ」
「ガゥッ」
俺はシロの背中に飛び乗った。シロは一気に跳躍し、黒い羽虫の渦を突き抜けて、雲の上と躍り出た。
シロの背中で下界の騒きが嘘のように静かな、雲の上の世界。そこには、一際巨大な、黄金色に輝く女王蜂のような姿をした魔物が浮遊していた。
やはりいたな、追い詰めるぞ。
「ヒヒ、まさか、人間がここまで上がってくるとはねぇ。お腹が空いた。白い毛、美味しそうねぇ」
原作にもいた、指揮官個体・クイーンバイトが、耳障りな声を響かせる。
「リアム様、あれが親玉ですの? なんて下品な魔力」
シロの背に一緒に乗っていたアリシアが、嫌悪感を露わにする。
「あれは七人の大罪ベルゼブブの直属の配下だ。シロの新しい力を試すには丁度いい相手だな」
「クゥォォォォォン」
シロの翼が、青き炎に包まれ始める。
「リアム様。前から聞きたかったのですが、どうしてリアム様は、敵の弱点や名前を、まるで最初から知っているように迷わず動けるのですか?」
アリシアがふと、不思議そうに尋ねてきた。俺の心臓が一瞬、ドクンと跳ねた。
原作知識を使いすぎて、勘のいい彼女には違和感を与えていたか。まだアリシアとセレーナにも転生してきたことは秘密であった。
まあ、これからも秘密とするから、ごまかすしかないか。
「それは、あれだ。俺は幼い頃から、古文書を読みあさっていたからな。世界各地の災厄については、人一倍知識があるんだよ。悪役として成り上がるには、それくらいの予習は当然だろう?」
「古文書。さすがリアム様、努力の方向性が徹底されていますのね 尊敬いたしますわ」
アリシアは疑うことなく、キラキラとした瞳で俺を見上げた。よかった。俺に闇落ちしたせいか、素直な子で助かったぜ。
「主、敵が動きます。全方位から魔力弾が来ます」
セレーナの警告とともに、クイーンバイトが腹部から無数の針を放った。
クイーンバイトは蜂の姿をした魔物。針を持っている。
「シロ、全方位殲滅モードだ 蒼天の嵐」
「ワンッ」
シロが遠吠えすると、六枚の翼から青い光の羽が数千、数万と射出された。
それはただの風の刃ではない。シロが覚醒させた浄化の炎を宿した、追尾型の光弾だ。
ドォォォォォン ドォォォォォン!
空中で次々と羽虫たちが爆散し、青い炎に包まれて粉々になっていく。
クイーンバイトが放った針も、シロの風に触れた瞬間に粉砕された。クイーンバイトは恐ろしく強い。シロがいなければ、俺たちも大苦戦していたところだったな。
「な、なぜ? 食べられない、私の針が、私の眷属が、食べられる前に消されていくぅ?」
「シロの風は、胃袋に入る前に、概念ごと凍結させる。お前の暴食が、俺たちに勝てると思うなよ」
俺は剣を抜き、シロの背の上で立ち上がった。
「アリシア、セレーナ 仕上げだ」
「はい、リアム様。深闇の雷アビス・ボルト」
「影縫いの棘」
アリシアの放った漆黒の雷がクイーンバイトの動きを止め、セレーナの影の棘が羽を貫いて固定する。
ナイスコンビネーションだ。
「おのれぇ人間風情がぁ ベルゼブブ様が、お前たちをっ」
「ああ、ベルゼブブに伝えておけ。お前の食事の時間は、俺がここで終わらせてやるとな。シロ、いけえええけけえええ」
「ガゥゥゥゥッ」
シロが光の矢となって突進し、クイーンバイトの核を真っ向から貫いた。
「やったぞおおお」
凄まじい衝撃波が雲を散らし、魔物の体は青き炎に包まれて、一欠片の灰も残さず消滅した。
「クオンォーーーーン」
指揮官を失った地上の羽虫たちは、一斉に統率を失い、散っていった。
要塞都市シロ・フォートレスを守っていた風の壁が解かれ、村人たちの歓声が響き渡る。
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」
「ふぅ。これで一旦は落ち着いたな」
シロの背に揺られながら、俺はゆっくりと地上へと降り立った。
要塞化した村を守れたのは良かった。
「リアム様、お怪我はございませんわね?」
エレナが駆け寄り、俺の足にしがみついてくる。
「ああ、ピンピンしてる。それよりシロ、今日は一段と格好良かったぞ」
「クゥーン」
シロは照れくさそうに俺の胸に顔を埋めてきた。毛並みは、激しい空中戦の後でも、ふかふかで良い匂いがする。
「リアム様。先ほどの、古文書のお話ですが」
アリシアが、また少し真面目な顔で俺を見た。
「あ、ああ。なんだ?」
「わたくし、決めたんですの。リアム様が、そんなにたくさん勉強して私たちを守ってくださっているのなら、わたくしも、リアム様を助けるための勉強を始めますわ 闇魔法の古文書、一緒に読みましょうね?」
「ああ。そうだな。一緒に読もう」
アリシアと一緒に古文書を読む。そんな穏やかな未来、原作のカイルを使った時にはないシナリオ。でも、それが今の俺の、この世界の本当の物語なんだな。
俺はアリシアの頭を優しく撫でた。様子を見ていたセレーナが、影の中から静かに言う。
「主。古文書には、書かれていないことが、まだたくさんあります。明日の朝食の献立も、私たちのこれからの歩みも。それを決めるのは、書物ではなく、私たち自身です」
「セレーナ、たまに良いことを言うな」
「事実を述べたまでです。さあ、主。村の人たちが、またお肉を焼いていますよ。今日はシロの分も、もっとたくさんあるそうです」
「ワンッ ワンッ」
肉の言葉を聞いた途端、シロの耳がピクピクと動き、尻尾がプロペラのように回り出した。
「ははは よし、食うか ベルゼブブに喰われる前に、俺たちがこの地の恵みをしっかり味わって、血肉に変えてやる」
笑い声とともに、俺たちは広場へと向かった。暴食のベルゼブブとの決戦までは、まだ時間があるだろう。
それまでの間、俺たちはこの要塞シロ・フォートレスで、絆を深め、力を蓄え、かけがえのない今を積み重ねていくとする。
見ていろ、ベルゼブブの飢えを、俺たちのこの温かな食卓の光で、跡形もなく焼き尽くしてやる。
俺はシロの背中をポンと叩き、賑やかな宴の輪の中へと飛び込んだ。
そこには、原作の主人公カイルにはない、俺、悪役貴族だけの平穏という名の要塞が、確かに築かれている。
そしてはっきりしたのは敵はベルゼブブと判明したこと。現在まで倒したのはリリスとマモン。原作の知識ではこんな感じだった。
色欲のリリス
* 権能:因果の誘惑
* 執着: 自分の誘惑が効かない相手を、精神的に壊して屈服させたいというサディスティックな愛着を持つ。
強欲のマモン
* 権能:能力略奪
* 特徴: 複数の腕を持つ
* 執着: 相手のアイテムを彼の全資産を自分のコレクションに加えたいと切望していた。
暴食のベルゼブブ
* 権能:【無限吸収】
* 特徴: 常に何かを食べている異形の小太りの男。魔法や物理攻撃、さらには空間そのものを食らい、自分の質量に変える。
* 執着: 相手の放つ膨大な魔力リソースをこの世で最も美味なご馳走として認識し、喰らい尽くすことを目的としている。
マモンと同等か、それ以上に強敵になることは間違いないな。




