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第59話 灰の中の希望



 黄金の塔が崩壊し、立ち上る土煙がゆっくりと夕闇に溶けていく。

 マモンの野望の象徴だったあの塔はもうない。周辺の街はマモンが放った最期の呪い、略奪の残り香とも言うべき、どす黒い霧に覆われていた。


「リアム様、見てください。塔のふもとの街が、ボロボロですわ」


 アリシアが悲しげに声を落とす。シロの背から降りた俺たちの目の前には、黄金のメッキが剥がれ落ち、灰色に汚れきった廃墟が広がっていた。マモンが略奪のために無理やり栄えさせたこの街は、主を失った途端に、その生命力を失ってしまったのだ。


「生存者はいるのか? セレーナ」


「はい。あそこの地下貯蔵庫の跡に、気配を感じます」


 セレーナが指差す先、崩れた石材の隙間から、怯えたような瞳がこちらを見ていた。


「怪しい者じゃない。俺たちは王都から来た。塔は倒したぞ」


 俺がそう告げると、瓦礫の陰から一人、また一人と人々が姿を現した。皆、服はボロボロで顔色も悪いが、その瞳にはまだ生の光が灯っている。


 話が聞きたいな。俺たちを信頼してくれれば、話はできそうだ。


「本当にあの悪魔が倒されたのですか? 私たちの人生を、名前さえも奪おうとした、あの男が?」


 一人の老人が震える声で尋ねる。俺は無言で頷き、シロの頭を撫でた。シロが優しく吠えると、その清浄な風が周囲の嫌な霧を払い、人々に温もりを与えていく。


「さあ、みんな! 泣いている暇はありませんわよ。リアム様が、皆さんのために安全を確保してくださいました。まずは、温かいものを食べて元気を出しなさいな!」


 アリシアが努めて明るい声で呼びかけると、街の人々も少しずつ表情を和らげ始めた。良かった、人々は俺たちを警戒をしていない感じだな。


「公爵様。大したものはございませんが、私たちが隠し持っていた保存食があります。どうか、召し上がってください」


「ありがとう。いただきます」


「疲れましたから、助かります!」


「ワン!」


 廃墟の中、小さな焚き火を囲んで、質素な炊き出しが始まった。差し出されたのは、固いパンをふやかしたスープ。今の俺たちにとってはどんな豪華客船のフルコースよりも美味しく深く感じられた。

 スープをすすりながら、俺はふと思い出し、ふところから一枚の古びた羊皮紙を取り出した。


「そうだ。王都を立つ前に、ギルドマスターのカサンドラから預かったものがある。マモンの力を弱めるための暗号だと聞いたが、俺たちでは解析しきれなかった」


 俺が広げた羊皮紙には、幾何学模様と古代文字が複雑に絡み合った図形が描かれていた。


「主、これは。文字というよりは、魔導回路の設計図に見えます。専門的な知識がなければ、解読は不可能かと」


 セレーナが眉をひそめる。アリシアも覗き込むが、


「うーん、何だか目が回りそうですわ」


 とお手上げの状態だ。セレーナでも解析できないなら難しい。原作知識の俺でも解析できなかった。

 すると、炊き出しを手伝っていた一人の物静かな青年が、恐る恐る手を挙げた。


「あの、もしよろしければ、私に見せていただけませんか? 私は以前、マモンの図書室で、無理やり翻訳の仕事をさせられていたんです」


「ほう、図書室でか、それならやってみてほしい、頼む」


 青年は羊皮紙を受け取ると、火の光にかざして、指で模様をなぞり始めた。


「これは。暗号というよりは、鍵ですね。マモンの魂と塔の魔力プールを繋いでいた、バイパスの断絶命令です。ここをこう読み替えれば強欲の根源を断ち、元ある場所へ還せ。解けました。この詠唱を使ってください」


「ありがとう青年。決戦の場でシロ様の風に乗せれば、マモンの不死性を無効化できるだろう」


「主、これで勝率が跳ね上がります」


 俺が青年の肩を叩くと、彼は泣きそうな顔で笑った。


「私たちの、奪われた人生を、どうか、終わらせてください。お願いします貴族様」


「俺たちで必ず終わらせます。約束します」


 食後、俺は先ほどの老人に、マモンの正体について尋ねてみた。原作の知識では、マモンはただの強欲な悪役として描かれていたが、この世界で実際に起きた歴史は、少し違っているような気がしたからだ。


「マモン。あの男は、最初からあんな怪物だったのか?」


 老人は遠くを見つめるような瞳で、ポツリポツリと語り始めた。


「いいえ。元々は、この街のしがない役人だったそうです。彼は誰よりも、この街を愛し、守ろうとしていた。ですが、大飢饉が襲った時、王都は見捨てた。彼は、飢えて死んでいく家族や隣人を救うために、禁忌の魔導具で、略奪の理に手を伸ばしたのです」


「飢えから救うために、略奪を始めた、というわけか」


「最初は、余っているところから必要な分だけを奪っていた。ですが、魔導具の呪いは、彼の心を徐々に壊していった。足りないという恐怖が、すべてを自分のものにしなければ気が済まないという狂気に変わってしまったのです」


「皮肉なものですわね。人々を救うための力が、人々からすべてを奪う怪物を作ってしまったなんて」


 アリシアがシロを抱きしめながら、寂しげに言う。原作では語られなかった、マモンの過去なのか。彼もまた、この世界の歪みに飲み込まれた犠牲者だったのかもしれないな。俺は首を振った。


「それでも同情はしない。理由がどうあれ、奴は他人の命や記憶を踏みにじったのだ。俺が奴を殺すのは、正義のためじゃない。これ以上の略奪が、俺たちの平穏な生活を邪魔させないためだ」


「リアム様らしいですわね。でも、そんなリアム様だからこそ、私たちは付いていけるのですわ」


 アリシアが俺の手を握り、カイルもまた、聖剣を握り直して頷いた。


「そうだね。過去に何があろうと、今のマモンが苦しみを生み出しているのは事実だ。僕たちは、彼を止めることでしか、彼を救えないのかもしれない。彼を救うには倒すしかない」


 カイルは主人公だからか、最終決戦を前に補正が入ったっぽい。この世界は嫌でもカイルを中心に主人公にさせようと補正をしてきているようだ。

 逆に俺には死亡させるシナリオがあるなら、ねじ曲げる。生き残るにはシナリオを改変する。今の俺にはシロもいるし、不可能ではないと思う。

 翌朝。霧が晴れ始めた荒野の先、崩壊した塔の残骸の中に、どす黒い魔力の渦が見えた。マモンの本体が、最後の力を振り絞って再構成を始めていると思う。


「シロ、準備はいいか。これが本当に最後だ」


「ワンッ!」


 シロは覚醒した翼を広げ、決戦の地を見据えている。俺は懐に、青年が解読してくれた断絶の暗号をしまい込んだ。


「アリシア、セレーナ、カイル。そしてシロ。俺に力を貸しく欲しい。略奪の連鎖を、ここで断ち切るぞ」


「「「「おおおお!!」」」」


 俺たちの声が空に高く響き渡る。廃墟の人々が、祈るように俺たちの後ろ姿を見送っていた。あの人たちの為にも向かうと思うと怖くはなかった。

 聖女アリシア。暗殺者メイドのセレーナ。勇者カイル。そして神獣シロ。

 本来混じり合うはずのなかった五つの魂が、いま、一筋の閃光となってマモンの元へと駆け出した。


「マモン。お前の強欲を、俺の虚無ですべて飲み込んでやるよ」


 俺はシロの背の上で、静かに剣を抜き放った。

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