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第54話 時の迷宮



 黄金の廃都、その中心部にそびえ立つ塔へと足を踏み入れた俺たちを待っていたのは、きらびやかな財宝でも、凶悪な魔物の群れでもなかった。扉を抜けた瞬間、視界がぐにゃりと歪み、どこまでも続く真っ白な大理石の回廊が姿を現した。


「リアム様、何ですの、ここ? 先ほどまでいた廃都の喧騒が嘘のように静かですわ」


 アリシアが不安そうに俺の袖を掴む。俺はシロの背の上で周囲を警戒したが、そこには風の動きすら存在しなかった。


「主、注意してください。この空間、影が動いていません。時間が、正常に流れていない可能性があります」


 セレーナが短刀を抜き、壁に沿って音もなく移動する。俺は脳内の原作知識を呼び起こそうとした。異変に気づく。

 おかしいな。原作では、マモンの塔は罠だらけの宝物庫だったはずだ。こんな迷宮なんて設定はなかったはずだが。


「ヒヒヒ! 気づいたかい、リアム君? 私はね、お前の予測を略奪することにしたんだよ! お前が何を考えているのか、どんな未来を知っているのかは知らないが、今この瞬間、この場所には未来も過去もないのさ! それが時の迷宮さ」


 空中から降ってくるマモンの声。奴は俺が先の展開を知っているという最大の武器を使わせないために、歴史そのものを歪ませる禁忌の魔導具、時空の砂時計を持ち出したらしい。

 この魔道具の存在は俺も知らないから、原作知識通じないだろうな。


「チッ、やりやがる。アリシア、闇の障壁を張ってくれ。セレーナは俺の背後をよろしく。シロは感覚を研ぎ澄ませろ」


「クゥーン」


 シロは少し不安げに鼻を鳴らした。しばらく回廊を進むが、曲がっても、階段を登っても、景色が一切変わらない。

 それどころか、奇妙な現象が起き始めた。


「あら? 何だか、体が軽くなった気がしますわ。それに、ドレスの丈が少し長いような?」


 アリシアの声に振り返ると、俺は目を見開いた。彼女の背が少し低くなり、顔立ちが幼くなっている。十代後半だったはずの彼女が、まるで十歳前後の少女に戻っているようだった。


「アリシア、若返っているのか?」


「ええっ!? そんな、リアム様、そんな冗談を、ええええ!? 手が小さいですわ。足も届きませんわ」


 アリシアが慌てて自分の体を触る。さらに、セレーナまでもが、いつもの大人びた雰囲気を失い、幼い暗殺者の少女のような姿に変わっていた。


「主、申し訳ありません。体の重心が変わり、いつもの技が出せません。時間が逆流しています」


「ワンッ、ワンッ!」


 シロだけは変わらない。いや、違う。シロは時間の概念が存在しない神獣だから、この迷宮の影響を受けないんだ。


「ヒャーッハハハ! どうだい? 無力な子供に戻った気分は! そのまま赤ん坊まで戻って、存在ごと消えてしまうがいい!」


「そうはいくか。アリシア、セレーナ、俺の手を握れ。離れるなよ」


 俺はシロから降り、二人を両脇に抱え込んだ。幸い、俺自身は管理者としての権能があるせいか、若返りの影響を最小限に抑えられている。だが、このままでは二人が消えてしまう。


「リアム様、ごめんなさい。私、こんな時に、ううう、魔法の使い方が、少し思い出せませんの」


 小さなアリシアが、俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。セレーナも、小さな手で俺の服をぎゅっと握りしめている。


「主、私を置いて、先へ。今の私は、足手まといです」


「馬鹿を言うな。二人がいない世界なんて、俺にとっては平穏でも何でもない。いいか、マモン。お前が奪ったのは時間かもしれないが、俺たちの関係は、時計の針じゃ測れないんだよ」


 俺は目を閉じた。原作知識は役に立たない。理屈も通じない。

 ならば、信じられるのは言葉を必要としない野生の絆だけだ。


「シロにすべてを託す。この淀んだ時間の中で、出口の匂いを嗅ぎ分けろ。シロならできるはずだ」


「ガゥッ!!」


 シロが力強く吠えた。シロは鼻を床にこすりつけ、周囲の風を吸い込む。そして、何もない壁に向かって、猛然と走り出した。


「リアム様、壁ですわ! ぶつかりますわ」


 幼くなったアリシアが悲鳴を上げる。俺はシロを信じて、その背を追った。


「いいからシロに付いていくぞ! シロ、行け!」


 ドォォォォォン!!

 壁に激突する直前、シロが風の衝撃波を放った。すると、真っ白な壁が鏡のように割れ、その向こう側に一秒先の景色が広がった。

 シロは迷うことなく、その未来へと飛び込んだ。


「クゥォォォォォン!!」


 シロが走るたびに、回廊の景色が砕け散る。時間の停滞を、シロの純粋な野生の風が切り裂いていく。

 俺たちが一歩踏み出すごとに、アリシアとセレーナの体が、ゆっくりと元の年齢へと戻り始めた。


「かっ、体が熱いですわ! リアム様、戻ってきています。魔法のイメージも、はっきりと」


「視界が戻りました。主、前方。時計の針の音が聞こえる部屋があります。あそこが、迷宮の核です」


 セレーナが指差す先、巨大な砂時計が浮遊する大広間が見えた。


「な、なぜだ!? 時間を略奪したはずなのに、なぜ未来へ進める!? 動物ごときが、時の魔術を壊すなんてあり得ない!」


「マモンは賢いつもりだろうが、動物の今を生きる力を舐めすぎだ。シロにとって、過去も未来もない。あるのは俺と一緒に走る今だけなんだよ!」


 俺はシロの背に飛び乗り、砂時計に向かって剣を抜いた。


「シロ、最大出力だ! この砂時計ごと、マモンの強欲を粉砕する!」


「ワンッ!!」


 シロがまとった風が、黄金の竜巻となって砂時計を包み込む。

 その風に、アリシアの闇とセレーナの影が混ざり合い、絶対的な破壊の嵐となった。


「合体奥義の時空断絶・神獣風牙だ、シロ!!!!」


 ガシャァァァァァァァァンッ!!!

 巨大な砂時計が粉々に砕け散り、迷宮が消失していく。気がつくと、俺たちは元の塔の入り口、いや、かなり上層の階層まで一気に転移していた。


「ふぅ。何とかなったな」


 俺は乱れた髪をかき上げた。アリシアとセレーナを見ると、二人とも完全に元の姿に戻り、どこか晴れやかな顔をしていた。


「リアム様、助けてくださってありがとうございます。あの時のリアム様、とっても頼もしくて、お父様みたいでしたわ」


「お父様はやめてくれ。俺はまだそんな歳じゃない」


「ふふ、冗談ですわ、でも、シロちゃんがいなければ、本当に危なかったですわね」


 アリシアがシロの首元をぎゅっと抱きしめる。シロは照れくさそうに尻尾を振った。


「主。感謝します。私を離さずにいてくれたこと。一生、忘れません」


 セレーナが静かに深く一礼する。その瞳には、かつてないほど強い忠誠の光が宿っていた。


「感謝ならシロにしてくれな。さて、マモンの時間の悪戯も終わりだ。次は顔を直接拝ませてもらうぞ」


 俺は塔の上層へと続く階段を見上げた。そこからは、マモンの焦りを含んだ魔力が、ドロドロと漏れ出している。


 原作にない展開か。面白い。俺を本気にさせたことを、地獄で後悔させてやる。

 俺たちは、勝利の確信を胸に、最上階へと足を進めた。もはや、どんな迷宮も、どんな呪いも、俺たちの進む時間を止めることはできない。

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