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第45話 暴食の待ち伏せ



 巨神アバター・リアムという最強の盾を失った王都は、まるで見えない夜の闇に怯える子供のようだった。

 俺は一人、地平線を目指して馬を走らせていた。愛馬が、荒野の静けさを切り裂いて走る。アリシアとセレーナは王都に残らせたのは、王都の危険を防ぐためだ。


「巨神がいなけりゃ、ただの太った公爵だとでも思っているのか、マモン」


 俺は腰の剣に手を置いた。魔力を使わずに、純粋な身体能力と剣の重さだけで戦うと決める。それは、魔力に依存しきったこの世界の人間からすれば死を意味するだろう。

 だが、俺にはこの世界の未来である原作知識がある。

 ガサッ。前方の森から、不気味な音が響いた。

 茂みが左右に割れ、そこから現れたのは、マモンの部下ではない。

 魔力の量は異常な量と推定する。ただものではないと俺のスキルが言っている感じ。まさか、大罪か。

 まるまると太った子供のような体つきに、頭には蠅。ハエの羽を思わせる触角。

 七つの大罪が一人、暴食のベルゼブブだった。

 嘘だろ、またも別の大罪か。マモンでも厄介なのに。


「俺に会いに来たのか」


「あれれ? どこに行くの、リアム・ド・グラナード。君の自慢の人形、壊れちゃったんだってね? 寂しいねぇ、可哀想だねぇ」


 ベルゼブブは、手に持った大きな骨付き肉をバリバリと骨ごと噛み砕きながら、邪悪な笑みを浮かべた。気味は悪い。


「ベルゼブブか。相手をする予定はなかったが、少し早まったようだな」


「ボクはただ、マモンから面白い獲物が通るよって聞いたから来ただけだよ。君のその、美味しそうな魔力をボクのお腹に流し込んでおくれよ!」


 ベルゼブブが大きく口を開けると、そこはブラックホールのような闇が渦巻いていた。


 暴食の能力は万物吸引。

 周囲の空気、土、魔力、すべてが彼の胃袋へと吸い寄せられていくという規格外の七人の大罪の一人。

 原作でも嫌われる要素のあったベルゼブブは、見た目もゲームと同じく、いやゲームよりも嫌だな。


「さあ! 早くしてよ! 早く君の魔力を食べさせてよ!」


「残念だが、お前に食わせる魔力は、一滴も持ち合わせていない」


 俺は馬から飛び降りると、剣を低く構えた。

 その瞬間、俺の脳内にある原作のページがめくれる。

 ベルゼブブの吸引は、魔力の流れを感知して狙いを定めている。つまり、魔力を完全に断った物理攻撃なら、彼のセンサーには映らないと。


「リアム様!! いけませんわ!」


 空から声がした。

 振り返ると、そこには影から飛び出してきたセレーナと、空中に闇のゲートを開いたアリシアがいた。


「主、退がってください! あの大罪は、近づくものすべてを食料に変えます。巨神アバターなしでは無謀です!」


「リアム様、危ないですわ! 私が闇の壁で足止めしますから、その隙に王都へ!」


 二人は俺を必死に守ろうとしてくれる。だが、俺は首を振った。


「二人とも、手出しは無用だ。今の俺が、ただの非力な男に見えるか?」


「え? でも、リアム様、魔力が感じられませんわ。まさか、巨神アバターを壊されたショックで魔力回路が!?」


 アリシアが顔を青くして叫ぶ。


「違う。セレーナ、アリシア。よく見ておけ。これが、お前たちがまだ知らない、俺自身の力だ」


 俺は一歩、踏み出した。

 ベルゼブブの吸引力が俺の服を引っ張るが、俺は足の筋肉に意識を集中させ、地面を掴むようにして耐える。


「あはは! 逃げられないよ! ボクの口は、何でも食べちゃうんだから!」


「そうか。なら、俺の速度も食べられるか試してみろよ」


 俺はカイルから学んだ、いや、原作知識から盗み取った極意を再現する。

 天墜真空抜刀。

 魔力を一切使わない。

 ただ、全身のバネを指先一点に集中させ、音速を超える速度で剣を振り抜く。

 

 シュンッ!!

 一瞬、空気が裂ける音がした。

 ベルゼブブの目の前で、透明な刃が生まれた。魔力ではないため、彼の吸引能力には一切反応しない。


「え? ぐふっ!?」


 ベルゼブブの肥えた頬に、真っ赤な一文字の傷が刻まれた。


「いた、い。痛いよぉ!! 食べたかったのに、ボクを傷つけるなんて!!」


「どうした。魔力がないと、何もできないのか? だったら、お前もマモンも、俺の敵ではないな」


「今の、見えましたか、アリシア?」


 セレーナが驚きに目を見開いて呟いた。


「ええ。魔力が一切なかった。それなのに、あの大罪を傷つけるほどの鋭い一撃。リアム様、一体いつの間に、あのような剣技を」


 二人は、俺が影で血を吐くような特訓をしていたのだと勘違いしたようだ。

 俺はあえて、その誤解を放置することにした。


「リアム様! お見事ですわ! でも、無理はなさらないでください! 貴方様の身に何かあったら、私は」


「アリシア、静かにしろ。まだ終わっていないぞ」


 ベルゼブブが怒りに震え、その姿を巨大な蠅のような化け物へと変えていく。


「許さない! 許さないぞ! 君の指も、腕も、足も、全部バラバラに噛み砕いて、ゆっくり味わってあげる!!」


「やってみろ。その前に、お前の喉を切り裂いてやる」


 ベルゼブブが巨大な羽を羽ばたかせ、俺の頭上から急降下してくる。

 その速さは尋常ではない。ただの魔族とも違う、別次元の速さだった。だが、俺には彼の動きのパターンが見えている。

 原作では、ベルゼブブは突進の直前、必ず右の羽をわずかに下げる癖がある。そこが、死角だ。


「そこだ」

 

 俺は地面を転がるようにして突進を避け、ベルゼブブの腹の下へと潜り込んだ。


「え!? どこに!?」


「ここだ。二ノ太刀」


 再びの真空刃が、ベルゼブブの腹部を横一文字に引き裂いた。

 緑色の血が飛び散り、大罪の怪物が地に伏せる。


「が、は。信じられない。ボクの動き、全部読まれているみたいだ」


「言ったはずだ。お前の敗因は、俺という存在を侮ったことだ」


 俺はとどめを刺そうと歩み寄ったが、ベルゼブブは土煙りを上げて飛び、退く。


「ううう、今日はもうお腹いっぱいだよ! 痛いのは嫌だ! マモンに言いつけてやるんだから!!」


 蠅の化け物は、情けない悲鳴を上げながら空のかなたへと逃げ去っていった。


 静けさが戻った。俺は剣をさやに収め、乱れた呼吸を整える。とりあえず去ったのは良かったか。


「リアム様!!」


 アリシアが駆け寄り、俺の体を隅々まで調べ始めた。


「お怪我はありませんか!? ああ、そのお召し物が少し汚れて! 今すぐ魔法で綺麗にいたしますわ!」


「主、失礼しました。私たちがいたにも関わらず、主自ら剣を振るわせることになるとは、力が足りませんでした」


 セレーナが膝をついて謝罪する。


「気にするな。それに、悪いことばかりじゃない。魔力を使わずとも、大罪と渡り合えることが証明できた。マモンの結界の中でも、俺は戦えると思える」


「リアム様。貴方様は、どこまでお強くなるのですか? 巨神アバターという大きな力を失っても、なお、自らの足で立たれるそのお姿。私は、また貴方様に惚れ直してしまいましたわ」


 アリシアが頬を赤らめて俺の手を取る。


「ふん。惚れるのは勝手だが、今は先を急ぐぞ。マモンが古代兵器を完成させる前に、あの遺跡を俺の領地に変えてやらなければならないからな」


 俺たちは再び馬を走らせた。

 二人の従者は、俺の背中を見つめながら、小声で会話を交わしていた。


「ねえ、セレーナ。リアム様のあの動き。どこかの流派のものかしら?」


「いえ。古今東西のあらゆる剣術を網羅しているつもりでしたが、あのような敵の未来を知っているかのような動きは見たことがありません。主は、私たちが思うよりもずっと深い、知恵の泉を持っておられるようです」


「ふふ、そうね。私たちのリアム様は、ただの管理者じゃない。世界のすべてを手のひらで転がす、真の支配者なのですわ」


 彼女たちの会話を聞きながら、俺は心の中で苦笑した。

 知恵の泉、か。ただの原作知識、つまりネタバレだなんて、口が裂けても言えないからな。そもそも俺が転生したことは秘密のままであるからな。

 空には、マモンの不気味な黄金の輝きがまだ残っている。巨神は壊れ、魔力は半減した。

 だが、俺の胸の中には、これまでで一番強い確信があった。


 待っていろよ、マモン。お前の強欲を、俺の剣で切り裂いてやるからな。不便ささえも武器に変え、さらなる高みへと続いていくぞ。

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