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第43話 偽聖女と聖女対決
温泉地アイゼンでの甘美な休暇を終え、俺たちが王都へ帰還した際、出迎えたのはいつもの熱狂的な歓声ではなかった。
城門付近に集まった民衆の間に、奇妙な動揺と不信感が感じられるのは気になる。セレーナに確認してもらうか。
「セレーナ、何が起きている?」
俺が馬車の窓から外を見据えると、影の中からセレーナが苦々しげな表情で現れた。
「主。失策でした。不在の間に、強欲のマモンが送り込んだ工作員が入り込んだようです。現在、広場で演説を行っている女が一人います」
「演説? 王都の広場で、俺以外の言葉に耳を貸す馬鹿がいるのか」
「それが、マモンが黄昏の遺跡から発掘したという、古代の聖遺物を所持しているのです。人々の信仰心と、微かな恐怖を持たせるには十分な輝きを放っています」
「情報をありがとうセレーナ」
俺はセレーナの仕事にお礼をし、馬車を降りた。中央広場へ向かうと、そこには純白の法衣に身を包み、黄金の杖を掲げた一人の女が、高台に立って民衆に語りかけていた。
「皆さん、目を覚ましてください! あの背後にそびえる巨神は、神の慈悲などではありません! あれは、リアム公爵という悪魔が、皆さんの魂を吸い取るために用意した捕食の器なのです!」
女の言葉に合わせて、彼女が掲げる杖が神々しい光を放つ。その光に当てられた民衆が、一人、また一人と膝をつき、祈りを捧げ始める。
「私は聖域より遣わされた真なる聖女、エルドラ。今こそ、偽りの神を打ち倒し、真の光を取り戻しましょう!」
「真なる、聖女?」
俺の背後から、低く、冷徹な声が響いた。俺の重要になった聖王国の正統なる聖女、クラリスだ。
彼女の瞳には、かつてないほどの激しい怒りが宿っていた。
「リアム様。あの女、今、何と言いましたの?」
「クラリスを差し置いて真なる聖女を名乗っているな。随分と舐められたものだ」
「許せません。リアム様が私に与えてくださったこの聖なる役割を、あのような泥棒猫に汚されるなんて、あの杖、マモンの略奪品に違いありませんわ。死をもって償わせる必要がありますわね」
クラリスが前に出ようとするのを、俺は待てと制した。
「待て、クラリス。ただ殺すのは能がない。民衆の前で、格の違いを見せつけてやるのがいい。偽物の光が本物の愛の前にどれほど無力か、教えてやるんだ」
俺は恐れなく広場の中央へと歩み出た。
民衆が割れ、偽聖女エルドラが勝ち誇ったような笑みを浮かべて俺を見下ろす。
「あら、悪魔の公爵様、お帰りなさい。でも、もう遅いわ。この街の人々は、真実の光を知ってしまったのですから」
「真実の光、か。マモンの安っぽい略奪品から漏れ出す光が、そんなに眩しいか?」
俺が皮肉を飛ばすと、エルドラは眉を釣り上げた。
「略奪品ですって!? これは神が授けし天上のてんびん! あなたのような汚れきった存在を裁くための」
「黙りなさい、この泥棒猫!!」
クラリスが、俺の隣から一歩前に踏み出した。
彼女の全身からは、温泉での洗浄を経て極限まで研ぎ澄まされた、圧倒的な聖魔力が溢れ出している。
「なっ聖女クラリス!? あなた、まだその悪魔にたぶらかされているのですか!? 誇り高き聖王国の娘が、情けないですよ。今すぐに私の元へ来なさい!」
「たぶらかされている? 笑わせないで。私は今、人生で最も楽しいですわ。リアム様の魔力に満たされ、リアム様の一部となる。これ以上の聖なる仕事がこの世にあると思って?」
クラリスの言葉に、広場が静まり返る。民衆は困惑した。高潔であるはずの聖女が、悪名高いリアム公爵を聖なるものだと断言したのだ。
「狂っているわ! 皆さん、見なさい! これが、リアムに魂を売った女の末路です! 今こそ、この女ごと悪魔を浄化しましょう。神罰の豪光を」
エルドラが杖を振りかざし、広範囲の攻撃魔術が神罰の豪光を展開した。
黄金の雷が空から降り注ぎ、俺たちを焼き尽くそうとする。
「クラリス。好きにやっていいぞ」
「はい、リアム様。皆様、よく見ておきなさい。真の奇跡というものを」
聖女クラリスと偽の聖女エルドラとの戦いに。クラリスが両手を広げ、静かに祈りを捧げた。
だが、その祈りは神に向けられたものではない。俺に向けられた、狂信的な執着な祈りだ。
「聖域の反転。深淵なる抱擁」
エルドラが放った黄金の雷が、クラリスの周囲に展開された半透明の結界に触れた瞬間、その色が反転した。
白金色の光はどす黒い紫の炎へと変わり、因果が捻じ曲げられ、そのままエルドラへと跳ね返っていく。
「なっ!? 私の術が、吸収もされずに反射された!? そんな理論、聖魔術には存在しないわ!」
「ええ、存在しませんわね。これは、リアム様の虚無に、私の浄化を掛け合わせた、私だけの特権。偽物の杖でしか何もできない貴女には、逆立ちしたって届かない領域ですわ」
跳ね返った黒い炎がエルドラの杖を焼き、彼女の法衣をボロボロに引き裂く。
「あ、あああぁぁぁ!! 私の天上のてんびんがっ! マモン様から預かった大切なコレクションがぁぁ!!」
「コレクション? ふん、やっぱりな。マモンの道具箱からくすねてきただけの小娘か」
俺はゆっくりと壇上へ歩を進めた。震えるエルドラのアゴを、俺は冷たく指先で持ち上げる。
「どうした。聖なる神の言葉はもう終わりか? お前がこの街に撒き散らした不信という汚れ。クラリス、掃除してあげてくれ」
「喜んで、リアム様。さあ、皆様、本当の光をお見せしましょう」
クラリスが俺の魔力を媒介にして、王都全体を包み込むような広域術式を発動させた。
それは攻撃ではない。温泉で俺が行った回路の洗浄を、王都の街全体に広がる波として民衆に波及させたのだ。
「あ、体が軽い」
「なんだ、この温かい感じは。先ほどの杖の光より、ずっと深く染み渡るぞ」
民衆たちが次々と顔を上げ、クラリスと、その背後に立つ俺を見つめる。
彼らの脳内には、クラリスの魔力を通じてリアムこそが真の弱者や立場の弱い人を救う人であるという認識が、より強固に刻み込まれていく。
「エルドラ、と言ったな。強欲のマモンに伝えろ。小細工はもういい。お前が掘り起こしているその神殺しの鉄槌。最高に仕上げて持ってこい。それを俺の巨神の盾で粉砕してやるからな」
「ああぁっ」
エルドラは恐怖で足は震えて、這いつくばって逃げ出そうとした。
「セレーナ。逃がすなよ。マモンへの返信として、こいつの声だけは届けてやれ。それ以外のパーツは好きにしろ」
「御意。喉だけを残して、再構成いたします」
セレーナの影がエルドラを飲み込み、広場には再び静けさが訪れた。
その日の夜。俺は執務室で、クラリスから戦果の報告を受けていた。
報告、という名目の甘えに近い時間だ。
「リアム様。私、お役に立てましたでしょうか? あの泥棒猫を、完璧に排除できましたかしら?」
クラリスが俺の足元に来て、すがるような瞳で俺を見上げる。
彼女の指先はまだ、勝利の余韻で微かに震えていた。
「ああ。見事だった。偽物の光を焼き払い、民衆の依存度をさらに高めた。クラリスの聖女としての価値、また一段上がったぞ」
「あぁっ、嬉しい。リアム様に、価値があると言っていただけるなんて。もっと、もっとお役に立ちたい。次は、何をすればよろしいですか? マモンの喉を、私が直接焼き切りに行きましょうか?」
「焦るな焦るな。マモンは泳がせておく。それよりも、クラリス。温泉での洗浄を経て、魔力回路は今、俺の魔力を最も受け入れやすい状態にある。今夜は、王女たちを代表して、特別な共鳴を施そうと思うがいいか」
「特別な…。あああああ、リアム様! 私、壊れてしまっても構いません。貴方様のすべてを、私に流し込んでくださいまし!」
クラリスがうっとりとして俺の手に顔を寄せる。
その様子をドアの影から見ていたアリシアが、不機嫌そうに扇子を噛んでいた。
「…ょっと、クラリス。一人で先走るのは感心しませんわね。リアム様、私の闇の調整も、まだ終わっていませんわよ?」
「主。王都の外縁部、不穏な魔力の増大を検知。マモンが、いよいよ古代兵器の出力を上げ始めたようです」
セレーナの報告。俺は二人を制し、窓の外を見上げた。
遠く空が、黄金色に不気味に光っている。
強欲マモンの欲望は、一気に加速していくのを感じる。
「いいだろう。マモン、お前の強欲が、どこまで届くか見せてもらおうか。そのすべてを俺が飲み込み、巨神の糧にしてやるが」
俺はクラリスの髪を無造作に撫でながら、考えた。
レベル145の俺の力は、もはや収まる規模を超え、世界の根源へと手を伸ばしてやる。




