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第38話王女たちのご褒美
強欲のマモンが去った後の王宮は、嵐の前の静けさと、俺に媚を売る王たちの喧騒が混ざり合った、実に奇妙な空間だった。
マモンの出現によって一度は氷点下まで冷え込んだ空気も、俺が追い払った。宴を続けろと一言命じれば、彼らは無理やりにでも笑顔を張り付かせ、再びグラスを掲げる。
実に滑稽だ。彼らが守りたいのは国でも民でもない。俺の機嫌を損ねて、その首が飛ぶのを恐れているだけだ。だが、その恐怖こそが俺の平穏を維持するのだった。
「リアム様、あのような小汚い男のせいで、せっかくの誕生会に泥がつきましたわ。今宵は私が、その不快な記憶をすべて塗り替えるほどの献身を捧げさせていただきますわね」
アリシアが俺の腕に細い指を絡め、熱っぽい吐息を吹きかけてくる。その瞳の奥には、マモンへの怒りよりも、俺を独占したいという狂おしいほどの情熱が感じられる。
「主。王女たちの精神状態、極めて良好です。マモンの魔力略奪を巨神の装甲で防ぎきったことが、彼女たちの自信と、主への依存度を一段階引き上げました。現在、彼女たちはご褒美を求めて、別室で待機しております」
影から囁くセレーナの報告に、俺は小さく頷いた。
「そうか。ならば、茶番はここまでだ。王たちへの顔見せも済んだ。館へ戻るぞ」
王都を見下ろす俺の館。王宮のパーティーを早々に切り上げ戻ってきた俺を待っていたのは、着慣れない、しかし極限まで露出を抑えた清楚な部屋着に身を包んだ三人の王女たちだった。
エレナ、クラリス、フィオナ。
各国の至宝たちが、俺の前に跪いている。その顔は、色欲のリリスの誘惑を受けた時のような空っぽなものではなく、自分の意思で俺という深淵に飛び込んだ者特有の、うっとりとした輝きを帯びていた。
「リアム様、 今日は、閣下のお役に立てて、私は本当に幸せでした」
「閣下、私たちの魔力が、あの巨神を、貴方様を守る盾になれたのだと思うと、胸が熱くなって」
彼女たちは口々に忠誠と喜びを語る。原作では勇者カイルに救われ、彼に恋心を抱くはずだったヒロインたちが、今や俺という悪役に魂を売り渡している。
「評価してやると言ったはずだ。今日、お前たちは俺の所有物として及第点の働きをした。約束通り、褒美を与えてやろう」
俺がそう告げると、室内の温度が一段上がったかのように、彼女たちの魔力が波打った。
褒美といっても、大それたことではない。俺の魔力を、彼女たちの魔力回路に直接流し込み、その質を向上させる魔力供給だ。だが、彼女たちにとっては、それが魂を直接愛撫されるような、何物にも代えがたい快楽、あるいは救済になっていて、待っていたようだ。
「アリシア、セレーナ。お前たちもだ。今日は不快な邪魔が入った。回路を調整してやる」
「ああ、リアム様! お待ちしておりましたわ!」
「主。全神経を研ぎ澄ませて、貴方様の魔力を受け入れます」
アリシアとセレーナが俺の左右に座り、王女たちがその足元に集まる。
俺は真理の速読を発動させ、五人の魔力特性を脳内で展開した。一人一人の回路の詰まり、魔力の揺らぎを完璧に把握し、俺の虚無の魔力を、彼女たちが耐えうる極限の純度で注ぎ込んでいく。
「あっ、あ、ああっ!!」
エレナが短い悲鳴を上げ、その身を震わせる。俺の魔力は、彼女たちの魔力の根本的な定義を書き換えていく。より強く、より鋭く、そして、俺以外の魔力を決して受け付けない排他的なものへと。
一時間の濃密な共鳴が終わる頃、彼女たちは皆、心地よい疲労と満足感に包まれ、眠れる森の美女のように力なく横たわっていた。
その光景は、側から見れば退廃的なハーレムそのものだろうが、俺にとっては巨神をより完璧に制御するための整備に過ぎない。
だが。その静けさを、不自然なほどの心地よさが侵食し始めた。
窓の外から、薄桃色の霧がゆらりと流れ込んでくる。
色欲のリリスの因果の誘惑だな。今度は直接的な攻撃ではない。
「眠気か? いや、これは」
俺の真理の速読が即座に警鐘を鳴らす。
色欲の権能。夢魔の回廊だと。
対象が最も望む理想の世界を夢に見せ、精神を永遠に幸福の中に閉じ込める禁忌呪法。リリスは、マモンが俺の注意を引いている間に、王都全体をこの術式の射程に収めていたのか。
さすがは七人の大罪。規格外な攻撃だ。
「ふふ聞こえるわよ、リアム。あなたの心の奥底にある、本当の望みが」
夢の中に、リリスの声が響く。
俺の視界が歪み、豪華な館が消え、懐かしい、だが忌まわしい学園の風景に変わっていく。
そこには、俺を見下す生徒もいない。俺を豚公爵と呼ぶ者もいない。
すべての人間が俺を称賛し、俺はただの善良な貴族として、穏やかな日々を送っている。
「どう? これがあなたの望んでいた平穏』でしょう? 面倒な魔王軍も、狂信的な女たちも、誰もあなたを縛らない。さあ、この夢の中で、永遠に眠りなさい」
リリスの囁きが、俺の意識を底なし沼のように引きずり込む。
確かに、心地よい。
誰の血を流す必要もなく、ただ善良でいればいい世界。それは原作のリアム・ド・グラナードが、心の底で最も求めていたものだったかもしれない。
「笑わせるな」
俺は、俺自身の手で、その幸福な世界の空を、物理的に引き裂いた。
「リリス。お前は一つ、大きな勘違いをしている。俺が求めているのは、神や運命から与えられた平穏じゃない。俺が、俺の力で、すべてを屈服させて作り上げた支配下の平穏だ」
夢の世界が、ガラスのように砕け散る。
暗闇の中から現れた俺は、逃げようとするリリスの首筋を、冷徹な魔力の腕で掴み取った。
「な、なぜ!? 私の夢は、魂の深淵にある欲望を映し出すはず! なぜ、この幸福を拒絶できるの!?」
「幸福? 自分の意思で何も変えられない世界など、俺にとっては監獄と同じだ。それよりも、リリス。お前のこの夢の世界。実に効率的な魔力変換システムだな」
俺は夢の構成術式を真理の速読で逆探知し、それを俺の巨神の回路へと再接続した。
「王都の人々が見ている夢のエネルギー。無駄にするのは、もったいない。すべて、俺の巨神の精神防壁として接収させてもらう」
「や、やめて! 私の術式を勝手に書き換えないで! それは私のっ」
「お前のものは、俺のものだ。言ったはずだぞ」
俺が指を鳴らすと、王都を包んでいた桃色の霧が、一気に巨神の胸元へと吸い込まれていった。
リリスの最後の賭けは、皮肉にも俺の巨神をさらに強化する無料の更新作業へと成り下がった。
現実の世界に意識が戻る。
俺の傍らでは、アリシアとセレーナが既に目を覚ましていた。
彼女たちの瞳には、恐怖も迷いもなかった。
「リアム様。夢の中で、私、貴方様と二人きりの、誰もいない世界を見ていましたわ。ですが、やはり現実の貴方様の方が、何倍も残酷で、素敵ですわね」
アリシアが俺の手にキスをする。彼女の執着心は、リリスの幸福な夢という毒すらも、愛の栄養素として吸収してしまったらしい。
「主。王都を覆っていた霧の98%を接収。巨神の精神干渉耐性、500%上昇しました。リリスの座標、現在北の山岳地帯に固定。逃がしません」
セレーナが冷たく告げ、短刀の鞘を鳴らす。
「ふむ。王女たちも、夢の中で俺への忠誠心をさらに強化されたようだな」
眠り続けているエレナたちが、夢の中で幸せそうに俺の名前を呼んでいる。彼女たちにとっては、リリスの術式ですらリアム様との愛の夢を補強するツールでしかなかったのだ。
「リリス。お前の役割は終わった。これからお前を徹底的に追い詰め、その存在そのものを俺の糧にしてやる」
俺は立ち上がり、窓の外の夜空を見上げた。
巨神の放つ光が、王都を優しく、そして冷酷に照らしている。
魔王軍の幹部を資源として使い潰し、王女たちの愛を燃料として燃やす。
さて。明日からまた、忙しくなるぞ。俺の平穏を、さらに盤石なものにするために。




