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第35話 王女たちの覚醒
俺の屋敷を取り巻く空気は、もはや一つの独立した理によって支配されていた。
虚無の王アバター・リアムが放つ絶大な魔圧と、俺本人の底知れぬ存在感。そこに、大陸中から集められた王女たちの魔力が共鳴し、館全体が神聖にして邪悪な、不可侵の領域と化していた。
その日の午後。俺のものとなった王女たちは、中庭でアリシアとセレーナの指導のもと、ある訓練に励んでいた。
王国の末姫エレナ、聖王国の聖女クラリス、帝国の第一皇女フィオナの三人である。
「皆様、もっと集中してくださいな。リアム様から分け与えられた魔力を、ただ保持するだけでは意味がありませんわ。それは貴方様の血であり、肉であり、俺様への愛そのもの。その熱を、因果の壁を突き破る一撃に変えるのです」
アリシアが闇のドレスを翻し、王女たちの間を優雅に歩く。
昨日までドレスの裾が汚れることすら恐れていた王女たちが、今は泥に塗れ、汗を流しながら、必死に自らの魔力を練り上げていた。
「主は、役に立たない道具を最も嫌います。この館に居続けたいのなら、最低でも自分の身を護る程度の毒は身につけなさい」
セレーナが冷徹に告げ、指先から放たれた不可視の糸が、訓練用の石像を瞬時に粉砕する。
王女たちはその光景に震えながらも、瞳には確かな輝きを宿していた。
彼女たちにとって、俺から与えられる魔力の共鳴は、どんな大金よりも嬉しくて、身体を芯から作り替えていく万能薬のようなものだったのだろう。
その時。
王都の空が、不自然なほど鮮やかな桃色の霧に包まれ始めた。なんだ?
「あらあら。随分と楽しそうにおままごとをしているのね」
空から降ってきたのは、鈴を転がすような、それでいて神経を逆撫でするような甘い声。
「この声は、あの女か」
七つの大罪が一人、色欲のリリスと思われる。
彼女は前回の撤退で得たデータを元に、俺本人が動く前に、拠点を内部から崩壊させようと再び姿を現したものと推測する。まあ、そこは予想はしていたが。
「また貴女ですの? 懲りない害虫ですわね」
アリシアが不快そうに空を見上げる。だが、リリスは余裕の笑みを浮かべたまま、空中に座るように滞空していた。
「今日はあなたたちと遊ぶつもりはないわ。ねえ、そこの可愛らしい王女さまたち。可哀想に、あんな太った男に無理やり魔力を吸い取られて。本当は自由になりたいんでしょう。私が、あなたたちの心を解放してあげる」
「何をする気だ?」
俺の問いを無視して、リリスが両手を広げると、桃色の霧が意志を持つ蛇のように王女たちへと殺到した。
「因果の誘惑。精神侵食モード」
因果の誘惑、これは原作にも登場した。原作知識では、相手が最も求めている欲望を肥大化させ、支配者を憎ませ、リリスを絶対の救済者と認識させる、大罪級の精神汚染だったか。
つまりは超チート級の能力を使ってきたわけか。アリシアとセレーナの二人が負けたのは、こいつがチート設定だからだ。
リリスは確信している。
いくら俺が強くとも、強制的に集められた女たちの心まで完璧に掌握できているはずがない。彼女たちが反旗を起こせば、俺の魔力供給源は絶たれ、屋敷は内側から自壊すると。
だが、そういかせるか。俺もリリスとの対応は考えていたのだ。
「何かしら、この霧。少し甘ったるくて、鼻がムズムズしますわ」
王国の末姫、エレナが不思議そうに霧を指先で払った。
彼女の瞳には、憎悪も、解放への渇望も、リリスへの心酔も、欠片ほども浮かんでいない。
「ええ。リアム様がいれてくださる最高級の紅茶の香りに比べたら、なんだか、安物の香水のようで不快ですわね」
聖女クラリスが、眉をひそめて首を振る。リリスの表情が、一瞬で凍りついた。
「バカな。私の誘惑のギフトを受けて、なぜ自我を保っていられるの!? あなたたちは奴隷のように扱われているはずでしょう!?」
「奴隷? 失礼なことをおっしゃるのね」
帝国の第一皇女フィオナが一歩前に出た。彼女の周囲には、俺から分け与えられた紫黒色の魔力が、オーラとなって揺らめいている。
「私たちは、俺閣下の一部になれる幸せを知ってしまったの。貴女が持ってきたその自由という名の空虚さ、今の私たちには一文の価値もありませんわ。俺閣下の圧倒的な魔力に満たされているこの至福。貴女のような浅はかな魔女に、理解できるかしら?」
「その通りですわ。お帰りくださいな、魔女さん。貴女の誘惑なんて、リアム様の愛のしつけに比べれば、そよ風のようなものですわよ」
王女たちが一斉に冷ややかな視線をリリスに向ける。リリスは戦慄した。彼女の能力である誘惑は、相手の心に欠落がなければ入り込めない。だが、この王女たちは、俺という強大すぎる存在によって、心も、魂も、魔力回路も、隙間なく完璧に満たされてしまっていたのだろう。
「ふっ、ふざけないで! だったら、力ずくでその傲慢な顔を剥ぎ取ってあげるわ!」
逆上したリリスが、魔力の流れを地上へ叩きつけようとした。だが、その頭上に、巨大な影が差した。
『不要、ナル、ノイズ、消去』
『虚無の王アバター・リアム、トメル』
俺の屋敷の背後に鎮座していた巨神が、その巨大な腕をリリスに向けて動かした。
「なっ動くの!? この距離で!?」
リリスは慌てて防御を展開しようとしたが、巨神の腕は物理的な攻撃ではなかった。
「セレーナ、アリシア。王女たちの初陣だ。手本を見せてやれ」
屋敷のバルコニーから、ワイングラスを手にした俺が声をかける。
「御意、リアム様! さあ皆様、私たちが練り上げた魔力を、巨神の回路へ同調させてくださいな。害虫を駆除する光を放ちますわよ!」
「同調開始。王女三名の魔力特性を収束。目標、色欲のリリス。概念ごと、削り取ります」
アリシアとセレーナの誘導により、王女たちの魔力が巨神の手の一点へと集まった。
それは、俺という中心核を持ち、王女たちの献身という燃料で燃え盛る、究極の収束魔導。
「嫌、待って、これはっ!」
リリスが逃げようとしたが、セレーナの糸が既に彼女の周囲の空間を縫い付けていた。
「リアム・バースト。純潔の処刑。行きますわ!!」
巨神の手から放たれたのは、紫黒色の極限の光。それはリリスの誘惑を、その因果ごと力ずくで焼き払い、彼女の魔力防壁を紙のように切り裂いた。
ドォォォォォォォン!!
王都の空が、一瞬だけ紫黒色に染まり、直後、衝撃波が雲をすべて吹き飛ばした。
極限の光が収まった時、空にはボロボロになったドレスをまとい、片方の翼を失ったリリスが、信じられないものを見たという表情で浮いていた。
「あ、あ。私の魔力が、大罪の能力が、人間の小娘たちにっ」
「まだ、息があるか。流石は大罪だな」
俺はバルコニーから飛び降り、巨神の手のひらの上に着地した。
そのまま巨神の手がリリスの目の前まで移動し、俺と彼女の視線が交差する。
「リリス。言っただろう。俺の許可なく、俺の所有物に触れるなと」
「リアム、ド・グラナード。あなた、何を彼女たちに、何をしたの?」
「何もしていない。ただ、俺という絶対を教え込み、依存させただけだ。お前の誘惑は、相手を自分に酔わせるものだが、俺の支配は、相手を俺なしではいられない身体にする。格が違うんだよ」
俺が右手をリリスの喉元に伸ばすと、彼女は屈辱と、そして抗いがたい恐怖による興奮に身を震わせた。
「く、殺しなさいよ。こんな無様な姿、ルシファー様に見せるくらいなら」
「殺す? お前の能力、まだ俺の巨神に組み込むための調整が終わっていないからな。それまでは、魔王軍の連絡役として、震えて待っていろ」
俺が指先をパチンと鳴らすと、巨神の魔圧がリリスを弾き飛ばした。
彼女は彗星のように地平線の彼方へと消えていった。静けさが戻った中庭。
初めての戦闘、といっても魔力を貸しただけだが、を終えた王女たちは、高揚感に包まれて膝をついていた。
「リ、リアム様! 私たち、お役に立てましたでしょうか?」
エレナが期待に満ちた目で俺を見上げる。
「ああ。80点といったところだ。だが、次はもっと効率よく魔力を流せ。俺の道具なら、もっと美しくあれ」
「「「はいっ!!」」」
王女たちの歓喜の叫び。その光景を、隅っこでパンの耳を握りしめたカイルが、虚ろな目で見つめていた。
「もうダメだ。この世界、リアムが救世主でいいよ。僕の出る幕なんて、最初から一秒もなかったんだ」
カイルの呟きをよそに、俺の館は再び平穏、という名の狂気的な幸福に包まれる。前回はリリスに敗北した。初めての敗北であった。
今回はリリスの敗北。それは魔王軍にとってリアム・ド・グラナードという存在が、もはや個人の手に負えるレベルではないという、残酷な警告となったと思う。
ルシファーに俺の存在を教えてやったまでだ。
「さて、次は王女たちの魔力も馴染んできた。そろそろ、巨神に大罪殺しの武装を施すとしようか」
俺はアリシアとセレーナ、そして頬を上気させた王女たちを連れ、再び暖かい館の中へと戻っていった。
空には、リリスが散らした桃色の霧の残りが消えていく。




