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第33話 巨神の凱旋
大陸南部から王都へと至る街道は、かつてない戦慄に包まれていた。
空を覆い尽くすほどの巨大な影。それは雲ではなく、物理的な質量を持った絶望であった。神が捨てた失敗作の王である虚無の王アバターが、その巨体を大陸を大股で歩き帰還したのだ。
一歩、その巨神が地面を踏みしめるたびに、大気が悲鳴を上げて衝撃波が広がる。
地上にいる人々は、ただ空を見上げ、腰を抜かして祈るしかなかった。それが自分たちを救う神の使いなのか、あるいは世界を滅ぼす魔王の軍勢なのか、彼らの知性では判断すらつかなかったようだ。
「壮観だな。この高さから見る世界は、まるで箱庭のようだ」
巨神の肩。そこには、俺専用の玉座が魔力によって構築されていた。
俺はそこに深く腰掛け、眼下に広がる大陸の景色を眺めていた。レベル125に到達し、さらに理の管理者という称号を得た今の俺にとって、この巨神の操作は指一本を動かすよりも容易だ。
「リアム様、見てくださいな。下の人民たちが、まるで神を仰ぐように貴方様にひざまずいていますわ。ああ、なんという美しい光景。世界がようやく、正しい形に整い始めていますわね」
俺の隣で、アリシアがうっとりと頬を染めていた。彼女の背後にある闇の翼は、巨神が放つ神の失敗作より特有の魔力を吸い込み、より美しく、より力強く脈動している。
「主。王都までの距離、残り十キロ。既に王宮の魔導障壁が、巨神の放つ余波だけで限界を迎えようとしています。このまま直進して、粉砕いたしましょうか?」
セレーナが、影の中から俺の耳元でささやく。彼女は既にこの巨神の神経系と自らの糸を同調させており、巨神そのものを巨大な暗殺具として扱う準備を整えていた。
「いや、粉砕する必要はない。向こうから門を開けさせる」
俺は視線を、巨神の足元の荷物へと向けた。
そこには、闇の鎖で繋がれ、巨神の移動による気圧の変化と恐怖で、半死半生の状態になっているカイル・フォン・ベルトランがいる。
「カイル。起きろ。お前の故郷が見えてきたぞ」
「あ、あぁ」
カイルは掠れた声を出し、焦点の定まらない目で王都の方角を見た。
かつて彼が英雄として喝采を浴びた場所。だが、今そこへ向かっているのは、英雄を連れた救世主ではなく、英雄を家畜のように引き連れた世界の支配者だ。
王都の城門前。
そこには、王国国王を筆頭に、大陸各国の王たちが立ち並んでいた。
彼らは、降伏状を送ったものの、まさかリアムが神の試作機そのものを私物化して戻ってくるとは夢にも思っていなかったと思う。
「な、なんだ、あの巨大なモノは。山が動いているのか?」
国王が震える声で。空にそびえる巨神の影が王都を覆った瞬間、真昼だった街は夜のような暗闇に包まれてしまう。
そして、巨神がゆっくりとその膝を折り、王都の城壁のすぐ外に着地した。
――ズゥゥゥゥゥゥゥゥン!!
大地が激しく揺れ、城壁の一部に亀裂が走る。
砂塵が舞い上がる中、巨神の肩から、一本の闇の階段が地上へと伸びた。
俺は、アリシアとセレーナを引き連れ、そして鎖で繋いだカイルを犬のように従えて、その階段をゆっくりと降りていった。
「待たせたな、王たちよ。約束通り戻って来た。それと魔王軍を掃除するための道具を持ってきたぞ」
俺が地上に降り立ち、静かに告げると、王たちは示し合わせたように一斉に平伏した。
「リ、リアム閣下。 お帰りをお待ちしておりました。 その、背後におわす御方は?」
「こいつか? これは神が捨てた粗大ゴミだ。俺が拾って、俺の使いやすいように直してやった。名前はアバター・リアム。以後、この国の防衛の要としてここに置いておく」
俺が淡々と言うと、王たちは絶句した。
神の失敗作。それを直したと言い切る傲慢さに。そして、その圧倒的な力を防衛の要として王都に据え置くという宣言しとことに言葉がなかった。それは、王都そのものが俺の支配下にあるという事実を、物理的に突きつけるものだったからだ。
「そ、それで、そちらにいるのは?」
国王の視線が、俺の足元で震えるカイルに向けられた。
「カイルか。見ての通りだ。修行のレベリングに連れて行ったが、器が足りなかった。少しはレベルアップしたとは思うが。まあ、魔王軍を誘き寄せるための撒き餌としては、まだ使い道があるだろう」
「あっ、ああ」
カイルは何かを言おうとしたが、セレーナが鎖を軽く引くと、その首元に激痛が走り、言葉は悲鳴へと変わった。
かつての希望の象徴であり原作主人公が、今や見る影もなく堕ちた姿になった。王たちは、もはや俺に逆らうという選択肢がこの世から消失したことを、頭で理解しただろう。
その夜。
俺は王宮の最も豪華な一室。かつては王族のみが使用を許された特別室を接収し、休息を取っていた。
窓の外を見れば、巨神が王都を見守る、あるいは監視するように、静かに立っているのが見える。
街の人々は、その巨大な影に怯えながらも、あれがあれば魔王軍も怖くないという歪んだ安堵感が生まれるかもな。
「リアム様、お疲れではありませんか。 私が心を込めて、貴方様の魂を癒やすマッサージをして差し上げますわ」
アリシアが、薄衣一枚のような姿で俺の背後に忍び寄る。彼女の指先からは、精神を弛緩させる甘い闇の香りが漂っていた。
「本当か。マッサージ頼むよ」
「はい」
「主。王女たちのリスト、最終確認が完了いたしました。帝国の第一皇女、聖王国の聖女、そして王国の末姫。明朝には、すべてこの館へ揃います」
セレーナが、影の中から書類を差し出す。俺はアリシアのマッサージをベッドでされつつ聞いている。
彼女の仕事は完璧だ。降伏の代償として要求した人質兼侍女たちの手配は、一刻の猶予もなく進められていた。
「よし。これで、リリスたち七つの大罪を迎え撃つ準備が整う」
俺はワインを一口飲む。
巨神という絶対的な暴力。原作主人公のカイル。そして、各国の王族という魔力リソース。
俺の手元には、原作知識以上の手札が揃いつつある。
だが、俺の真理の速読は、依然として微かな警鐘を鳴らし続けていた。
色欲のリリス。彼女が前回の偵察で見せた余裕は、決してハッタリではない。
魔王軍の幹部たちは、神が作った理そのものを武器にする。俺が手に入れた巨神も、元を正せば神のシステムの一部だ。もしリリスが、その根本的なバグを突いてくれば、この巨神すらも俺の敵になりかねない。
レベル125。まだだ。リリスを確実に沈めるには、もう一段、俺自身の核を研ぎ澄まさなきゃならん。
俺は目を閉じ、自身の内側にある魔力回路を精査した。
アリシアの狂気。セレーナの虚無。そして俺の傲慢。
この三つが混ざり合い、一つの究極の術式を編み上げる必要がある。
「アリシア。セレーナ。明朝、王女たちが揃ったら、すぐに教育を開始する。彼女たちの魔力を、俺の巨神を強化するための触媒として使い潰す。異論はないな?」
「もちろんですわ、リアム様。私、その女たちが二度と貴方様以外に心を向けられないよう、完璧に闇に染めて差し上げますわ」
「承知いたしました。魂の摩耗が最小限になるよう、肉体の改造から着手いたします」
二人の従者は、この世で最も美しい、そして最も残酷な笑顔で応えてくれた。
夜の王都に、巨神の呼吸のような重低音が響き渡る。
救世主などいない。奇跡も起きない。
あるのは、一人の男の快適な生存のために、世界中のすべてが消費されていくという、無慈悲な現実だけだった。
来い、リリス。お前のその色欲ん俺の絶望で上書きしてやるよ。
俺は静かに灯りを消した。
暗闇の中で、アリシアの紫の瞳と、セレーナの琥珀色の瞳だけが、俺を、ただ俺だけを照らし続けていた。




