32話
第32話 神の失敗作の王
大陸南部の神罰の回廊。
ここは世界の創造主が、その完璧な理を構築する過程で生み出してしまったゴミ捨て場である。物理的な法則は歪み、上空には紫黒色の雷雲が渦を巻き、大地からは神に否定された者たちの怨嗟が瘴気となって噴き出している。
「はぁ、はぁ、くそっ、なんで、僕がこんな目にっ!」
俺の背後で、カイル・フォン・ベルトランが血の混じった泥を吐き出しながら、震える手で折れた聖剣を杖にしていた。
原作の光の勇者の面影はもはや少しもない。鎧はひび割れ、顔面は恐怖で引きつり、全身には回廊の失敗作たちから受けた無数の傷が刻まれている。
俺がカイルをここに連れてきたのは、単なる情けではない。原作の知識によれば、この回廊の最深部には、ある巨大なリソースが眠っている。それを起動させるための鍵として、神の加護の残りを持つカイルの血が必要だったのだ。
「カイル、無駄口を叩く余裕があるなら歩け。お前のその薄汚い命が、ようやく世界の役に立つ瞬間が来たんだ」
「何をするつもりだ、リアム。君は、この世界のすべてを、壊して回るつもりなのかっ?」
「壊す? 違うな。俺は再定義しているだけだ。俺が快適に生きるために、不要なものを排除し、使えるものを俺専用に書き換える。それのどこが破壊だ?」
俺が冷たく言い放つと、カイルは絶望に瞳を濁らせ、ふらふらと歩みだす。
「リアム様。あのゴミ、もう限界のようですわ。いっそ、私が後ろから突いて差し上げましょうか。その方が少しは早く歩けるようになりますわよ」
アリシアが闇の触手を出しながら、カイルの背後で楽しげに微笑む。彼女の闇は、この回廊の瘴気を吸うたびに不気味な脈動を繰り返し、その強度は既に人智を遥かに超越していた。
「主。前方、第12区画。これまでとは比較にならないほど巨大な、高エネルギー体を確認いたしました。どうやら、目的地に到着したようです」
影から現れたセレーナが、無機質な声で報告する。
俺たちは、回廊の最深部にある広大な円形広場へと辿り着いた。
そこには、一際巨大な石の塊があった。
いや、それは石ではない。
全長50メートルを超える、人型の巨大な肉体。しかし、その身体には首がなく、本来頭部があるべき場所からは数対の不揃いな翼が生え、全身は幾何学的な紋様、神の失敗した管理コードで埋め尽くされている。
「これか。神が最初に造ろうとした世界の王。魂の定着に失敗し、意志を持たぬまま捨てられた哀れな巨神」
俺がその巨体を見上げると、真理の速読が爆発的な勢いでその構造を解析し始めた。
レベル120に達した俺の眼が、この巨神の正体を暴く。
これは、神が自分に代わって世界を統治させるために用意した試作機だ。莫大な魔力を蓄える器はあるが、それを動かす意志がない。
『不浄!ナル、者』
意志はないはずの巨神が、その胸部の空洞から、魂を揺さぶるような音波を放った。
本能的な拒絶反応。神の失敗作たちが持つ、生者への無差別な攻撃衝動だ。
巨神がゆっくりと、その山のような腕を持ち上げる。
「う、うわあああああぁぁぁ!!」
カイルが腰を抜かし、叫び声を上げる。
巨神の腕が振り下ろされるだけで、この回廊の空間そのものが歪み、絶対的な質量が俺たちを押し潰そうとする。
「アリシア、セレーナ。手出しは無用だ」
俺は不撓不屈の法衣から溢れる魔力を、一点に集中させた。
俺が求めていたのは、この巨神を倒すことではない。この空っぽの最強の器を、俺自身の拡張パーツとして私物化することだ。
「カイル、立て。お前の出番だ」
「何をさせる気だ」
俺は因果の支配者のスキルを発動し、カイルの身体を空中に固定した。
彼が流す血。神の祝福の残りが含まれたその液体が、空中で複雑な幾何学模様を描き、巨神の胸元へと叩きつけられる。
「あ、ああ、あああああああぁぁ!!」
カイルが絶叫する中、彼の血を媒介にして、俺の魔力が巨神のシステムへと潜り込んでいく。
神の失敗コードを、俺の真理の速読で得た知識で強引に修復し、俺の魔力に適合するように書き換えていく魔導ハッキングだ。
「観測者の干渉。プロトコルの偽装。この個体の所有権を、神からリアム・ド・グラナードへ譲渡しろ」
巨神の身体に刻まれた紋様が、白銀色から、俺の魔力と同じ紫黒色へと変色していく。
激しいスパークが空間を焼き、巨神の声が回廊全体を震わせる。
『オ、主、オレ、ノ』
「黙れ。お前に意志は不要だ。お前はただ、俺の玉座であり、俺の拳であればいい」
俺の魔力が、巨神の神経系を完全に制圧した。
次の瞬間、巨神の動きが止まった。
振り下ろされていた巨大な拳が、俺の鼻先数センチで停止し、そのまま降ろされる。
沈黙。
そして、巨神はその巨大な膝を、俺の前に屈した。
「あ、嘘だろ。神様の失敗作さえ、君に従うのかよ」
カイルが地面に突っ伏したまま、絶望に満ちた声を漏らす。
カイルが信じていた世界の秩序は今、目の前で俺という絶対者によって完全に破壊され、書き換えられた。
「主。巨神の制御権、完全掌握を確認。素晴らしいですわ。これなら、王都を一つ更地にするのに一秒もかかりませんね」
セレーナが、巨神の足元でうっとりとその巨体を見上げる。
「リアム様、流石ですわ。 神様が失敗したものを、リアム様が完璧なものとして完成させてしまった。これこそが、新しい神の姿ですわね!」
アリシアが歓喜の声を上げ、俺の首に腕を回す。彼女の瞳には、もはや神への信仰など欠片もなく、俺という存在への狂信だけが輝いていた。
「神の巨人か。下らないな。俺は、俺が快適であるために、この世界を最適化しているに過ぎない。カイル、お前も光栄に思え。お前の血が、俺の新しい玩具を動かす油になったんだ」
俺は、今や俺の意志一つで動く巨大な肉体、虚無の王であるアバターを見上げた。
この巨神を媒介にすれば、俺の魔法の射程は大陸全土に及ぶ。
『ステータスが更新されました:レベル125』
『称号:【理の管理者プロキシ】を獲得しました』
脳内で響く通知。
俺はこの巨神の肩に飛び乗り、カイルを闇の鎖で引きずり上げた。
「さて。この巨神の初仕事は、七つの大罪どもの掃除にするとしようか。どんな顔をするか楽しみだ」
俺の声と共に、巨神が立ち上がる。
その巨大な一歩が回廊を揺らし、物理法則を無視した圧倒的な魔圧が地上へと向けて解き放たれる。
救世主ではない。
神の代行者でもない。
神が捨てた失敗作を従え、自らを世界の理として定義した。
リアム・ド・グラナードの覇道は、もはや魔王と同レベルの神域の領域へと踏み出していた。
行くぞ。この世界のエンディングを、俺の都合の良いように書き換えてやる。
紫黒色の巨神が空へと羽ばたき、大陸全土に絶望と沈黙の影が落ちる。
悪役貴族の、神殺しよりも残酷な世界の私物化が、本格的に幕を開けたのだった。




