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29話

第29話 大罪の深淵



 王都の夜を切り裂く、異質な魔力の激突。

 アリシアの放つ、すべてを飲み込む闇の流れ。そしてセレーナが紡ぐ、空間すらも断絶する虚無の糸。その二つが同時に、潜入者であるリリスへと襲いかかった。

 並の魔族であれば、塵一つ残さず消滅していたであろう一撃。だが。


「ふふ、いいわね。人間にしては、最高の熱量だわ」


 リリスが、妖艶な笑みを浮かべたまま指先を軽く振る。

 ただそれだけの動作で、アリシアの闇は散り、セレーナの糸はリリスの肌に触れる直前で、飴細工のようにぐにゃりと歪んで無力化された。


「なっ!? 私の闇を、手も触れずに消しましたわ!?」


「主人の魔力が込められた糸を、干渉すらさせない、だと?」


 アリシアとセレーナの顔に、初めて驚きが走った。

 レベル100を超え、人智を超越したはずの二人が、ただの一撃で防戦に回されたのだ。


「勘違いしないでちょうだい。私はこれでも七つの大罪の一角。神に造られた天使たちでさえ、私の色香の魔力には抗えなかったのよ。あなたたちの愛なんて、私にとっては砂上の楼閣に過ぎないわ」


 リリスの身体から溢れ出したのは、どろりとした、紫色の粘着質な魔圧だった。

 それは生物の精神に直接作用し、理性を麻痺させ、強制的にひざまずかせる絶対服従のオーラ。

 アリシアは歯を食いしばり、自身の魔力で精神を保護するが、その障壁にはみるみるうちに亀裂が入っていく。セレーナもまた、虚無の位相に逃れようとするが、リリスの魔力は空間そのものを甘い毒で満たし、彼女を引きずり出そうとしていた。


「くっリアム様、には、指一本、触れさせ、ませんっ!」


「あら、健気ね。でも、今日はもう十分だわ。あの男、リアム・ド・グラナード。彼の底知れなさは、あなたたちのような眷属を相手にしても測りきれないみたい」


 リリスは月を背に、ふわりと宙に浮き上がった。

 アリシアが執念で放った闇の槍も、彼女の周囲に展開された自動防御の壁に阻まれ、届かない。


「リアムによろしく伝えておいて。あなたの魂、とても美味しそうね。次に会うときは、その傲慢な仮面ごと、私の指先で溶かしてあげるってね」


 リリスの姿が、紫の蝶へと霧散する。

 アリシアとセレーナが追撃を試みたが、その気配は既に王都の結界を越え、遥か彼方へと消えていた。


「逃がしたのだな」


 屋敷の応接室。報告を聞いた俺は、手にしたティーカップを机に置いた。

 アリシアは悔しさに肩を震わせ、セレーナは深く頭を下げて沈黙している。


「申し訳ございません、リアム様! 私の力が足りず。あの女に、貴方様への不敬を許してしまいましたわ!」


「主、申し訳ございません。相手は次元の干渉すら支配下に置いていました。私の糸では、彼女の存在の核を捉えきれませんでした」


 二人の表情は暗い。自分たちが最強であると信じ、俺を守ることを唯一の誇りとしてきた彼女らにとって、これ以上の屈辱はないだろう。

 でも俺はそうは思わない。なぜならリリスは強いのはわかつていたから。


「気にするな。相手が悪かった」


 俺は真理の速読で、リリスの戦闘データを再解析していた。

 原作知識での七つの大罪。彼らは魔王軍の中でも別格の存在だ。レベルは100オーバーだし、それ以上なのは知識にあった。各々が神が定めた世界の理の一つを司っており、単なる魔力数値では計れない特殊権能のユニーク・スキルを持っていることでも有名だった。

 原作ではゲームプレイヤーをどれだけ困らせたかとなり、あまりの強さにクレームがあったほどだ。

 原作知識では、リリスの権能は因果の誘惑のはず。自分に届くはずの攻撃を、因果ごと書き換えて届かないものに変えてしまうというチート。アリシアたちの攻撃が通用しなかったのは、彼女らが弱いからではなく、世界の法則がリリスの味方をしていたからだ。

 今の俺がレベル115。だが、大罪を相手にするには、まだ圧倒的に暴力が足りないか。

 先遣隊を倒したことで油断していたわけではないが、この世界の深淵は、俺の想像以上に深いようだな。原作のカイルたちは、聖剣の奇跡によってこの因果を強引に突破したが、俺は悪役だ。奇跡など起きない。


「アリシア、セレーナ。お前たちの不甲斐なさを責めるつもりはない。だが、このままでは、次に大罪が束になって来た時、俺の平穏は壊されるだろう」


 俺が静かに告げると、二人の瞳に再び、狂気にも似た闘志が宿った。


「リアム様。ならば、私はさらなる深淵へ潜りますわ。貴方様を脅かす者すべてを、闇の底で塵にするまで」


「主。私の虚無も、まだ不完全でした。因果すら切り裂く、真なる零を求めてまいります」


 俺は頷き、立ち上がった。


「王たちへの献上品は、セレーナが回収してくれ。俺は、再びダンジョンへ向かう。それも、この世界で忌まわしいとされる場所だ」


「どこでしょう」


「神の罰」


「まさか、大陸南部の神罰の回廊ですか!?」


 アリシアが息を呑む。そこは終焉の迷宮よりもさらに古く、神が不要と判断し、失敗した理が配下でひそかに進行した廃棄場だ。そこにある経験値は、もはや毒に近い。


「レベルを上げるだけじゃ足りない。七つの大罪を超えるには、俺自身がこの世界の理の外側、超越者の領域へ至る必要がある」


 俺は不撓不屈の法衣を強く握りしめた。かつての豚公爵。今や神殺しの公爵。

 だが、魔王軍の真なる幹部たちは、その称号すらも嘲笑う強敵なのだ。原作ならカイルがいるが、今のカイルはな。


「準備しろ。俺たちの本当のレベリングは、ここからだ」


 俺の言葉に、二人の狂信者が深く、深く頭を下げた。

 俺が生き残り、平穏を守るための蹂躙。そのために必要なのは、さらなる圧倒的な力を得るしかない。

 俺は立ち止まったら終わりになる。終わらないための覇道は、世界の限界を突破するための、新たな試練へと突入すると決めた。

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