26話
第26話 束の間の休息
終焉の迷宮を文字通り踏破し、己の過去すらも魔力の糧とした俺は、数日ぶりに人里へと戻っていた。
迷宮から最も近い拠点となるのは、冒険者の街ラズウェル。普段なら血気盛んな荒くれ者たちが闊歩する街だが、俺たちが正門を潜った瞬間、騒ぎは潮が引くように消え去った。
「静かなもんだな。俺の顔に何か付いているか?」
俺が独り言ちると、視界に入る範囲の冒険者たちが一斉に目を逸らし、路地の奥へと逃げ込んでいく。レベル115に達した俺の存在強度は、もはや普通に歩いているだけで周囲の空間を歪ませ、本能的な恐怖を植え付け、強制的な静けさを無理強いさせてしまうらしい。
「無理もありませんわ、リアム様。今の貴方様は、この世界の太陽よりも眩しく、深淵よりも深い輝きを放っておられますもの。羽虫たちが直視できないのは当然ですわ」
アリシアが誇らしげに胸を張り、俺の右腕に自分のそれを絡めてくる。迷宮攻略を経て、彼女の闇の魔力もまた研ぎ澄まされ、その美しさには人外の毒々しさが混じり始めていた。
「主、この街で最も高級な宿。いえ、主人の休息を邪魔しない、最も静かな宿を確保いたしました。既に従業員には、主人の視界に入る際は息を止めるよう教育済みです」
左側の影からセレーナが音もなく現れ、一軒の宿を指し示す。
静けさの白百合亭。名前の通り、普段は高位の貴族や豪商が利用する宿と思われるが、今は全館貸し切り状態になっているようだ。
というかセレーナに逆らえなかったというのが正しいか。
宿の最上階。
俺たちは戦いの汚れを落とし、豪華な円卓を囲んでいた。
「たまにはこういう食事も悪くないな」
テーブルに並ぶのは、地元の最高級食材を使ったフルコースだ。迷宮での携帯食や魔物の肉とは違い、丁寧に調理された料理の香り素晴らしい。
「リアム様、あーんしてくださいな。このドラゴンステーキ、一番柔らかいところを私が浄化しておきましたわ」
アリシアが溶けるような笑顔で肉を差し出してくる。浄化と言いつつ、彼女の闇の魔力で熟成が進んでおり、本来の味を超えた禁断の美味へと昇華されているのが凄い。料理の概念を変える方法だった。
「主、こちらはこの地方の銘酒でございます。毒見は既に済んでおります。私の耐性を超える毒はこの世に存在しませんので、ご安心を」
セレーナが淀みのない動きでグラスに琥珀色の液体を注ぐ。彼女の無機質な毒舌も、俺と過ごす時間の中ではどこか甘やかな響きを帯びるようになっている。
三人で囲む食卓。
かつての俺は誰からも愛されず、卑屈に食べ物を詰め込んでいた豚公爵だった頃には、想像もできなかった光景だ。
狂信的な聖女と、冷徹な暗殺メイド。
世間から見れば破滅の引き金のような二人だが、俺にとっては今の平穏を守るための、最も信頼できる力であった。
「アリシア、セレーナ。お前たちのレベルも、この迷宮で随分と上がったな」
「はい、リアム様! 貴方様の隣に立つのに相応しい化け物に、一歩近づけましたわ」
「主の影として、神の首を刈る準備は整っております」
二人の瞳に宿る執着の炎を見ながら、俺は静かにワインを飲む。その平穏な時間は、一枚の手紙によって破られた。
食事を終えようとしたその時、宿の入り口で、死を覚悟したような顔をした王国の伝令騎士が、震える手でセレーナに親書を手渡したのだ。
「主。大陸連合会議より、公式な降伏状が届きました」
セレーナが親書を読み、俺の前に差し出す。
アリシアが不快そうに眉を寄せた。
「降伏? 今さらどの面を下げて。リアム様を追放し、神の使徒を差し向けた罪を、ただの紙切れ一枚で済ませるつもりかしら」
俺は親書を手に取り、その内容に目を通した。
そこには、大陸中の王たちの署名と共に、驚くべき文言が並んでいた。
『我ら大陸諸国は、リアム・ド・グラナード公爵の至高なる力を認め、全面的な降伏を宣言する。以後、全国家の軍事権、並びに法執行権の最終裁定を公に委ねるものとする』
「丸投げだな」
俺は思わず鼻で笑った。
これは単なる降伏ではない。王たちは自分たちの無力さを認めると同時に、北から迫りくる魔王軍という破滅級の災厄に対する全責任を、俺という個人に押し付けたのだ。
『ついては、近日中に発生すると予見される魔王軍先遣隊の迎撃を、大陸の守護者たるリアム公に一任したい』か。要するに、俺を最強の防波堤として使い、自分たちは安全な後方で震えていたいというわけだ」
「ふっ、ふざけないでっ!!」
アリシアが激怒し、テーブルの銀食器が破壊される。
「リアム様を都合の良い盾にするつもりですの。あれだけリアム様を劣っていて見下しておいて、負けそうになったら頼りにする。人間の醜さも、ここに極まれりですわね」
「主。この降伏状を書いた指、すべて切り落としてまいりましょうか。 主人を守護者などという安っぽい枠にあてはめようとする傲慢さは万死に値します」
セレーナの殺気が、宿の建物をミシミシと鳴らす。貸し切りにして正解だった。お客様がいたら大迷惑だったから。
「待て。二人とも、そう怒るな」
俺は親書を指先で破らずに、笑みを浮かべた。
「向こうが全権を委ねると言ったんだ。なら、受けてやろうじゃないか。ただし、俺を盾に使う代償がどれほど高くつくか、骨の髄まで理解させてやる」
俺は真理の速読で、魔王軍先遣隊の進行ルートを解析する。
彼らは、俺が追放された王国を最初の蹂躙対象に選んでいる。
「降伏を受け入れる。そして、魔王軍を俺が掃除する。その代わり、この大陸のすべての土地、金、そして人命は、名実ともに俺の私財となる。文句は言わせない」
俺がそう告げると、アリシアとセレーナの顔に、暗く深い悦楽の笑みが浮かんだ。
「素敵ですわ、リアム様。世界そのものを貴方様の持ち物にするのですね」
「承知いたしました。大陸全土を主人の庭とするための、最初の大掃除。準備にかかります」
「しかし魔王は世界を破滅させる可能性もある。俺にとっては脅威であることは代わりはない。油断はできないぞ」
俺は立ち上がり、バルコニーから夜の街を見下ろした。
救世主ではない。聖人でもない。
俺は、俺の生存圏を脅かす魔王を排除し、ついでにその功績で世界を私物化する最凶の悪役でいい。
「さあ、魔王軍。俺のレベル上げのエサとして、どれだけ質の良い魔力を持っているか、見せてもらおうか」
俺の瞳に宿る紫黒の光が、夜の闇よりも深く輝いた。原作知識では魔王による世界の崩壊、破滅のルートは存在する。俺も死亡するルートにいるとしたら、捻じ曲げる必要はある。




