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25話

第25話 深淵の効率


 終焉の迷宮。

 この大陸に存在するあらゆるダンジョンの母体であり、最下層にはこの世界を構築する純粋な魔力の流れが眠るとされている。かつて多くの英雄たちが挑み、誰一人として生還しなかった死の聖域。

 だが、俺にとってここは聖域でもなければ、絶望の地でもない。

 ただの、効率の良い経験値稼ぎの狩場だ。


「真理の速読。迷宮構造の全階層スキャン。完了。障害となる守護者は計127体か」


 俺は迷宮の入り口、光の届かぬ巨大な縦穴の縁に立っていた。

 レベル105。今の俺がさらに上を目指すには、この世界の限界を超えた濃密な死を喰らう必要がある。


「リアム様、準備は整っております。邪魔なゴミどもは、私が一つ残らず闇の底へ沈めて差し上げますわ」


「頼もしいな」


 アリシアが、俺の隣でうっとりとした表情を浮かべながら、背後に巨大な闇の触手を伸ばす。彼女の魔力は迷宮の瘴気と混ざり合い、その存在感はもはや人を超え、災厄そのものへと近づいていた。また強くなったか。俺もしないとな。


「主。偵察の結果、第10階層までの罠はすべて解除。いえ、物理的に破壊いたしました。進行に支障はございません」


「行動が早いな」


 影から音もなく現れたセレーナが、血に濡れた糸を巻き取って報告する。彼女は俺が指示を出す前から、入り口付近の警備兵代わりの魔物を掃除していたらしい。

 恐ろしく仕事が早い。メイドだからなのかはわからないが。家で暮らしても仕事は早いのだろう。


「よし。行くぞ。目標は最下層。道中の敵は全滅させ、魔石をすべて回収する」


 俺たちは迷宮を降りるのではなく、文字通り蹂躙した。

 通常の冒険者なら数日かけて攻略する階層を、俺たちは分単位で突破していく。速度が大事だった。

 第20階層。そこには、一振りで城壁を砕くと言われる伝説の魔物、ベヒモス・ロードがいた。


「グルゥァァァァッ!!」


 鳴き声と共に巨体が迫るが、俺は歩みを止めない。伝説の魔物でも俺は戦える。


「観測者の干渉。原子振動の停止」


 俺が指をパチンと鳴らす。

 次の瞬間、ベヒモスの巨体は空中で静止し、そのまま硝子細工のように粉々に砕け散った。

 真理の速読によって導き出されたもっとも効率的な分子構造の破壊だ。レベル100を超えた魔法は、もはや詠唱も術式も必要としない。俺が消えろと観測すれば、世界はその通りに事象を書き換える。


「あら、リアム様。今の無駄のない動き、ため息が出るほど美しいですわ!」


 アリシアが歓喜の声を上げながら、砕けたベヒモスの魔力を自らの闇で吸収する。彼女もまた、この迷宮で凄まじい速度で成長していた。


 第50階層。

 ここからは死の魔導師たちの亡霊が無限に湧き出す呪いのエリア。

 だが、セレーナの動きはそれすらも許さない。


「主に向けられる視線が、死者のものであろうと不快です。消えなさい」


 セレーナが虚空に指を走らせると、目に見えない暗殺糸が空間を網目状に裁断した。姿を見せる前の亡霊たちが、存在の根源から切り刻まれ、絶叫を上げる暇もなく消滅していく。

 俺たちは立ち止まらない。

 遭遇する魔物はすべて、俺のレベルを上げるための獲物に過ぎない。

 一時間で第80階層。二時間で第100階層。

 かつての英雄たちが命を賭けて挑んだ物語を、俺たちは効率という名の無慈悲な暴力で通過していく。

 やがて、迷宮の最深部。

 そこには、これまでとは異質な、白銀の輝きを放つ巨大な扉があった。


「ここが終焉の間か」


 扉の前に立つと、真理の速読がけたたましい警告を鳴らした。

 扉の奥に潜む存在強度は、レベル130を優に超えている。


「リアム様、扉の向こうに、この世界の理とは異なる冷たい魔力を感じます」


 アリシアが警戒を強め、俺の前に出る。彼女の闇の翼が、白銀の扉の輝きに反発してどす黒く波打つ。


「主、影の潜入も拒絶されました。この先は、純粋な力のみが鍵となるようです」


 セレーナが悔しそうに唇を噛む。


「いい。俺がやる」


 俺は不撓不屈の法衣の魔力を全開にした。

 法衣の裾から黒い炎が溢れ出し、白銀の扉に触れた瞬間、凍てつくような冷気と衝突して激しい衝撃波を生む。


「開け。お前が管理する経験値、俺がすべて喰らってやる」


 俺は法衣を纏った右拳を、扉へと叩きつけた。

 物理的な打撃ではない。俺の全魔力を込めた因果の強制突破だ。

 ドォォォォォォォン!!

 白銀の扉が内側から爆散し、俺たちは最下層の広間へと踏み込んだ。

 そこは、星空をそのまま地面に落としたような、幻想的で広大な空間だった。

 中央に座っていたのは、竜でも魔王でもない。

 それは、巨大な鏡だった。


「鏡? 面白いな。最下層の守護者が、自分の姿を見せるだけの鏡とは」


 俺が鏡に近づくと、その表面が波打ち、一人の人物が姿を現した。

 それは、かつての俺。

 醜く肥太り、卑屈な笑みを浮かべ、誰もから蔑まれていた豚公爵リアム・ド・グラナードの姿だった。


『ねえ、リアム。君はどこまで行くつもりだい?』


 鏡の中の豚公爵が、俺と同じ声で語りかけてくる。

 それは幻覚ではない。この迷宮が作り出した、俺自身の過去の罪と弱さの具現化だ。


『君がどれだけ力を手に入れても、君の中にあるのは空虚な復讐心と、自分だけが助かりたいという利己的な欲望だけだ。君が世界を救う救世主になれないのは、君が一番よく知っているはずだよ』


「リアム様、耳を貸してはなりません! それは偽りですわ!」


 アリシアが叫び、鏡を破壊しようと闇の弾丸を放つ。だが、闇は鏡の表面に吸い込まれ、鏡の中の豚公爵をより鮮明にするだけだった。


「弱さ、か。確かに、俺の中にそいつはまだ居座っているんだろうな」


 俺は自嘲気味に笑い、鏡の前に立った。


「だが、勘違いするな。俺は救世主になりたいなんて一度も言っていない。俺は、俺自身を肯定するために、お前のような惨めな自分を何度も殺してここに来たんだ」


 俺は拳を固め、鏡の中に映る豚公爵の顔面へと突き出した。

「世界の観測者。自己同一性の再定義。過去の残りを、今の俺の燃料に変換しろ」


 鏡の中の豚公爵が、驚きに顔を歪める。

 彼は自分を否定して欲しかったのだろう。だが、俺が行ったのは肯定による吸収だ。

 自分の醜さも、弱さも、すべてを俺の一部として、さらに高みへと昇るためのエネルギーに変える。

 パリンッ!

 鏡が粉々に砕け散り、そこから溢れ出した莫大な魔力が、濁流となって俺の体内に流れ込んだ。


『レベルが上昇しました。106、110、115』


『スキル:【虚無の王座】を獲得しました』


『スキル:【因果の支配者】を獲得しました』


 脳内に響く無機質な通知音。

 全身の血管が焼き切れるような熱気が走るが、俺はそれを力ずくで従わせた。


「はぁ。ようやく、一息つけるレベルになったか」


 俺の体から立ち上る魔圧は、もはや迷宮の魔の霧さえも恐れをなして退散するほどになっていた。

 アリシアとセレーナが、その圧倒的な光に当てられ、膝をついて俺を見上げる。


「ああリアム様。今の貴方様は、もはや神々しさすら感じますわ」


「主。全階層の魔力、完全に主人のものとなりました。この迷宮は、たった今、主人の庭へと変わりました」


 俺は、砕けた鏡の破片を踏みつけ、さらに奥にある世界の核へと歩き出した。

 レベル115。

 世界を救う救世主ではない。

 神に背き、己の過去すら喰らい尽くして進む最凶の悪役。

 俺の覇道は、この深淵から、いよいよ世界そのものを書き換える段階へと突入する。


「行くぞ。次は、俺を欠陥バグと呼んだ世界の理を、根こそぎ解体してやる」

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