21話
第21話 壊れた勇者
特別講義が終わった演習場には、悪役貴族の俺は過去になり、先生として尊敬させる。そして人間が尊厳をへし折られたときに出す、独特の沈滞した空気が充満していた。
俺はセレーナがいれた二杯目の紅茶を口に含み、ゆっくりとその場を後にしようとした。這いつくばる生徒たちが、俺の靴音が遠ざかるたびに安堵の吐息を漏らすのが手に取るように分かる。これくらいで特別授業とやらは終わりでいい。王家にも伝わるだろう。
だが、その安堵は長くは続かなかった。
「リアム・ド・グラナードッ!!」
背後から、鼓膜を突き刺すような、しかしひどい声の叫びが響いた。
振り返ると、そこにはおよそ勇者と呼ぶには無惨な姿をした男が立っていた。原作主人公のカイル・フォン・ベルトラン。白銀の鎧は脱ぎ捨てられ、その肌には血が滲んだような、不気味に発光する幾何学模様の術式が、首筋から顔面にかけて浮き上がっている。何かしたのか?
「なんだ、カイル。まだ生きていたのか。その顔、少しは見られるようになったじゃないか」
俺が皮肉を投げかけると、カイルの周囲の空間が歪んだ。
熱い。いや、物理的な熱ではない。彼の存在そのものが、極限まで圧縮された光の質量と化しているのだ。一歩彼が踏み出すごとに、演習場の石畳が白く蒸発し、触れてもいない壁がボロボロと崩れ落ちる。俺の予想では精霊を使ったものと推測する。
「精霊との強制合一か。バカな真似を。人間の器に上位精霊を無理やり押し込めれば、お前の魂は数分も持たずに焼き切れるぞ」
俺の世界の観測者が、カイルの体内を透視する。
本来なら黄金色に輝くはずの光の精霊は、カイルの憎悪に当てられ、真っ白な破壊のエネルギーへと変質していた。もはや彼は人間ではない。歩く光の時限爆弾だ。
「構わない。アリシア様を僕の光だったアリシア様を、貴様のような泥沼の闇から救い出すには、もう、この世界ごと浄化するしかないんだ!」
カイルの両目から、液体のような光が溢れ出す。
彼は狂った笑みを浮かべ、両手を天に掲げた。聖女アリシアへの想いがカイルを動かしている。しかし危険過ぎるな。アリシアへの想いが強すぎて、ここまでするのかと驚いた。
「見ていてください、アリシア様! 汚れたものは、僕がすべて焼き払って差し上げます! 貴様も、この学園も、そして僕自身も、すべてを無に帰す光の中で、僕たちは一つになるんだぁぁぁ!!」
カイルの体を中心に、太陽のような光球が膨れ上がり始める。
真理の速読が計算を弾き出す。あと十秒で臨界点に達する。発動すれば、この学園どころか王都の半分が消し飛ぶという計算結果が出る。いやいや、これはヤバいだろう。
「リアム様、危ないっ!」
アリシアが前に出ようとする。彼女の闇の魔力が、光を打ち消そうと渦巻く。
だが、その速度では間に合わない。カイルの自爆は、すでに因果の果てに到達しかけていた。
「主。その汚物、私が処理いたします」
俺の隣で、暗殺メイドのセレーナが短く告げた。
彼女の姿が、陽炎のように揺らいだ。
セレーナはカイルに向かって走ったのではない。彼女は自身の存在を無へと変換し、カイルが放つ光の干渉を一切受け付けない特殊な位相へと潜り込んだのだ。
これが彼女の真骨頂、虚無の暗殺術。零相。
カイルの周囲にある、鉄をも蒸発させる超高熱の領域。そこを、セレーナは平然とした足取りで歩み抜ける。光は彼女を透過し、熱は彼女を捉えられない。
「な、貴様、何故近づける!? 僕は光だ! 正義の光なのにッ!」
「主人の資産であるこの学園に、傷一つ付けることは許されません」
セレーナの冷淡な声が、カイルの耳元で囁かれた。
彼女が手にしていたのは、魔力を一切通さない黒い短刀。
それを、カイルの体に刻まれた術式の起点である、魔力回路が交差する急所に、無造作に、そして華麗に突き立てた。
プツン、と。
糸が切れるような音が、演習場に響いた。
「あ、え、え、え、え?」
カイルの全身を包んでいた光が消えた。
膨れ上がっていた光球は、針を刺された風船のようにしぼみ、最後にはパチリと小さな火花を散らして消えた。
術式を物理的に断絶されたカイルは、合一していた精霊の拒絶反応により、全身から激しく血を噴き出してその場に転がった。これが原作主人公の姿なのは、あまりにも酷いな。俺を処刑フラグにしていくカイルだとしても、見ていられない。
「僕の、正義が、聖域が」
ピクピクと痙攣しながら、地面に顔を擦り付けるカイル。
かつての勇者の威厳はどこにもない。ただの、力を制御できずに自爆に失敗した、惨めな道化だった。
俺は、無力化したカイルの元へゆっくりと歩み寄った。
周囲で様子を伺っていた生徒たちが、一人、また一人と立ち上がり、カイルを囲むように集まってくる。
「なんだよ。あんなに大口叩いて、結局何もできなかったのかよ」
「自爆して俺たちを巻き込もうとしたのか? 最低だな、カイル」
「救世主どころか、ただの人殺し未遂じゃないか。見てみろよ、あの格好。術式が崩れて、全身痣だらけだぜ。キモいな」
冷たい言葉の刃が、カイルに降り注ぐ。
かつて彼を光と仰いでいたクラスメイトたちは、今や自分たちを殺そうとした彼を、最大級の軽蔑を込めて嘲笑っていた。
「や、やめろ。僕は、君たちのためにアリシア様のためにやったのだぞ」
「アリシア様のため? 笑わせないでくださいな」
アリシアが、俺の腕を抱きながらカイルを冷たく見下ろした。その瞳には、かつての仲間に向ける慈悲など、全く残っていない。
「リアム様を傷つけようとした罪。そして、この私を自分の所有物のように呼んだ罪。本来なら千回殺しても足りませんけれど、今の貴方には、その価値もありませんわ。ねえ、皆さん? この自称・勇者様が、どれほど滑稽か教えてあげて?」
アリシアの言葉を皮切りに、生徒たちの罵声はさらに激しくなった。
彼らは、自分たちのプライドを折った俺への恐怖を、今、目の前で無様に転がっているカイルにぶつけることで解消しようとしているのだ。
「カイル、聞こえるか? これがお前の守ろうとした人々の真実だ」
俺は屈み込み、カイルの耳元で囁いた。
「お前が正義を叫べば叫ぶほど、こいつらは離れていく。お前はもう勇者じゃない。ただの、自分の妄執で世界を焼こうとした犯罪者だ」
「ああ、ぁぁぁぁぁ!!」
カイルは顔を覆い、血の混じった涙を流しながら絶叫した。
だが、その声は生徒たちの嘲笑にかき消されていく。原作との違いに俺もショックだけどな。
「セレーナ。後始末は任せる。殺すなよ。こいつには、自分が守りたかった連中から蔑まれ続ける地獄の日常を与えてやれ」
「御心のままに、主人。まずはこの不快な術式を、一生消えない奴隷の印へと書き換えて差し上げましょう」
セレーナが冷たく微笑み、カイルの髪を掴んで引きずっていく。
俺は一度も振り返ることなく、アリシアと共に学園を去った。
背後からは、いつまでもカイルの泣き声と、学園の生徒たちの卑俗な笑い声が響き続けていた。
勇者は死なず、ただ地に堕ちた。
そして、俺という悪役の覇道は、この惨劇を礎に、さらなる高みへと昇っていく。
「さて次は王都の中枢を少しばかりデバッグしに行くか、アリシア」
「ふふ、はい。どこまでも、地獄の果てまで、あなた様と一緒に参りますわ」




