19話
第19話 最凶メイドvs闇堕ち聖女
砕け散った聖剣の破片が地面に転がり、かつての勇者カイルが絶望に打ちひしがれて膝をつく。竜の巣の入り口は、激戦の戦いの後の残った記憶と、アリシアが放つ圧倒的な闇の魔力によって、重苦しい沈黙に包まれていた。カイルが来るのはまたも想定外だったが、主人公だけにこのまま終わることなく、登場してくることも考えるとしておく。
「さて。邪魔者も消えたことだし、奥へ行くか」
俺が背を向け、アリシアと共に歩き出そうとした、その時だった。
世界の観測者のスキルが、背後の影の不自然な揺らぎを察知した。カイルでもない、何者かの気配。
「そこまででございます、リアム様」
鈴を転がすような、けれど徹底的に感情を削ぎ落とした声。
カイルのすぐ近く、岩陰の闇から空気のように、一人の女性が姿を現した。
漆黒のメイド服に、純白のフリルエプロン。乱れのない銀髪を綺麗にまとめ、鋭い琥珀色の瞳は冷徹な光を宿している。手には、王家の紋章が刻まれた一通の親書を持つ。リアム・ド・グラナード抹殺指令が握られていた。まさかこの展開で登場するのか。
「セレーナか? お前、なぜここに」
俺は眉をひそめた。セレーナ・ヴァイス。
公爵家に仕える美少女メイドでありながら、その正体は王家から送り込まれた監視役兼、最強クラスの暗殺者。原作では、リアムが救いようのない悪行を重ねた際、物語の途中で彼を密かに始末するデッドエンド・フラグの執行人だ。つまりは俺にとって最悪の女でもある。
「王命でございます。貴方様が学園を追放された後、もし不穏な動きを見せればその場で処刑せよと。ですが」
セレーナは、手に持っていた抹殺指令を、無造作に、けれど確実に、指先の魔力で粉々に引き裂いた。なぜ裂いた。俺を暗殺するのが仕事だろう。王令であるから、絶対命令であるはず。意味がわからないが。
「先ほどからの貴方様の戦い、そしてこの竜の巣を庭のように歩くその御姿。私の眼は、貴方様が王家の矮小な器で測れる存在ではないと判断しました」
彼女は音もなく俺の前に進み出ると、スカートの裾を優雅に持ち上げ、完璧な王家の挨拶を見せた後、その場に片膝をついた。暗殺らしい動きだった。気配を完全に殺していた。あそこまで気配を消すのは、普通ではない。
「監視役としての任は、たった今破棄いたしました。これよりはリアム様の影として、その覇道の邪魔となるゴミを掃除する役目、私めにお任せいただけないでしょうか」
「は?」
俺が呆気に取られていると、横から凄まじい殺気が膨れ上がった。ゴミと言われたアリシアが怖いが。
「不潔ですわ」
アリシアだ。彼女は俺の右腕を抱きしめる力を強め、セレーナを射殺さんばかりの勢いで睨みつけた。なぜかセレーナはアリシアに敵意のような言い方をする。やめてくれ、面倒事が増えるだろう。
「リアム様は私だけの救世主。私だけの光です。どこの誰とも知れないメイドが、馴れ馴れしくリアム様の影を自称するなど、滑稽を通り越して不愉快ですわ。今すぐその首、叩き落として差し上げましょうか?」
アリシアの背後に、巨大な闇の翼が展開される。対するセレーナは、表情一つ変えずに立ち上がった。俺を暗殺するはずが、アリシアとバトルしそうな空気に。なんだこの展開は。俺は全く想定していない展開だ。
「これは聖女様。いえ、今は闇に堕ちた迷い子と呼ぶべきでしょうか。そんなにベタベタと主人にまとわりついて。主人は貴女様の所有物ではありません。身の程をわきまえ、三メートルほど距離を置くのが従者としての礼儀では?」
「なんですって?」
「聞こえませんでしたか? 主人の邪魔だから離れろ、この図々しい厚かましい女と申し上げたのです。貴女様のような感情制御もできない方が隣にいては、リアム様の高潔な魂が濁りますわ」
セレーナの口から、冷淡な毒舌が止まらない。確かに原作においても毒舌風は話し方だったが。
一触即発。いや、二人の間で火花が散るどころか、空間そのものが魔力の衝突でバチバチと鳴っている。
マ、マジかよ。ヤンデレ聖女と毒舌暗殺メイドの板挟みか。俺は胃を抑えて天を仰いだ。レベル80になっても、女同士の修羅場を防ぐスキルは解放されていない。いや、そんなスキルや魔法は存在していないか。
「いい度胸ね。リアム様を理解しているのは私だけ。その生意気な口、二度と開けないように縫い合わせてあげますわ」
「試してみるがいいでしょう。自称・理解者という名のクソストーカーさん。貴女様が愛という名の独りよがりに浸っている間、私は主人の実利のためにこの命を捧げます」
セレーナの指先から、極細の暗殺糸が展開される。
アリシアの手のひらには、凝縮された闇の魔力が生まれる。
「二人とも、そこまでにしろ」
俺は不撓不屈の法衣の魔力を解放し、強引に二人の間に割って入った。
レベル80の圧力を叩きつけると、流石の二人も動きを止める。止めないと俺も危ないのは、この場が壊滅する可能性も考えたから。
「セレーナ、お前の実力は知っている。王家を裏切ってまで俺につくというなら、拒みはしない。だが、アリシアと争うなら今すぐ去れ。俺の目的は、この世界の深淵を暴くことだ。足の引っ張り合いに付き合う暇はない」
「失礼いたしました、リアム様。主のお言葉とあらば、一時、矛を収めます」
セレーナは深く頭を下げた。セレーナは俺の意見を聞いてくれるようだ。だがその直後、アリシアに向かってだけ聞こえるような小声で付け加えた。
「今は、引いてあげますわ。お可哀想な聖女様」
「こっ、この女、絶対に許しませんわ!」
アリシアはギリギリと歯噛みしながらも、俺に嫌われたくない一心で魔力を収めた。俺が二人が争うのを嫌っているのを感じ取った行動だ。
なんとか最悪の崩壊は免れたが、これからの旅が平穏であるのは期待したいが、それは俺の甘い考えだろうか。
最強の戦力が二人も手に入った。それはいい。だが、精神的な疲労がこれまでの十倍になりそう。
俺は重いため息をつきながら、竜の巣のさらに深部、黒龍が眠るとされる地下領域へと足を踏み出した。
前を歩く俺のすぐ後ろ、右側をアリシアがガッチリとキープし、左側の影にセレーナが音もなく潜む。
最強のヤンデレ聖女と、最凶の毒舌メイド。
二人を従えた悪役令息リアムの道行きは、もはや魔王ですら恐れをなすほどの異様な熱量を帯び始めていた。なぜか暗殺セレーナが一緒に行動するとなるのは全くの想定外な話になった。俺の破滅フラグは変えられているのかと疑問に思えてきた。
「さあ、行くぞ。龍の首を獲りに」
「はい、リアム様」
「はい、主人」
二人の声が重なる。
その響きに込められた、重すぎる忠誠と執着を背中に感じながら、俺は暗い地下へと続く階段を降りていった。




