17話
第17話 効率的な竜狩りと勇者の徴兵
竜の巣、そこは空が赤く染まり、大地から噴き出す魔力が竜たちと混ざり合う、地獄の最下層のような場所だった。
周囲の岩壁には、レベル90を超えるサラマンダー・キングが群れを成し、獲物を探してその巨大な翼を休めているという、極めて危険な場である。今の俺でも厳しいだろう。
「さすがに、空気が重いな」
俺は不撓不屈の法衣の襟を正し、周囲を警戒する。だが、俺の警戒など必要ないと言わんばかりに、隣に立つ少女がゆらりと前へ出た。
「リアム様、危ないですから私の後ろへ。このトカゲども、私たちの大切な時間を邪魔するなんて、万死に値しますわ」
お前がここへ連れて来たのだろうとツッコミを入れたくもなる。
アリシアが細い腕を広げると、彼女の影が生き物のように伸び、周囲の岩壁を侵食していった。
聖女の慈愛はどこへ消えたのか。今、彼女が放っているのは、触れるものすべての自由を奪い、魂を凍りつかせる深淵の拘束だ。聖女の闇落ち設定ならではの展開と言いたいところだが、果たしてどうなるのか。
「ギ、ギィィィ!?」
急降下してきた三体のサラマンダー・キングが、空中で静止した。いや、目に見えない闇の触手に絡め取られ、空中に固定されたのだ。嘘だろ。相手はサラマンダー・キングだぞと思った。
「よし、アリシア。そのまま動かすな。真理の速読、起動。ドロップテーブル、解析」
俺は彼女の背後から、宙に浮く竜たちを見据える。不本意ではあるが、アリシアの力に頼る選択を取る。
ゲーム知識によれば、サラマンダー・キングの心臓から進化の宝玉を確定でドロップさせるには、特定の魔力振動を維持しながら、心臓の鼓動が止まる瞬間に右心室を火属性、左心室を氷属性で同時に貫かなければならない。普通に考えて不可能な設定だった。しかし俺は必ず達成したい。
「精密作業だ。アリシア、竜の心臓の位置を魔力で強調しろ」
「はい、リアム様! 喜んで!」
アリシアが指を弾くと、竜の胸部が透けるように青白く発光した。
俺は指先に魔力を凝縮し、二対の属性弾を形成する。
「そこだ」
放たれた魔弾が、竜の心臓を完璧に射抜いた。的中であった。
絶命した竜の体が光に包まれ、その胸元から、脈動する真っ赤な宝玉、進化の宝玉が落ちる。
「一つ目。悪くない効率だ。次、行くぞ」
「ふふ、リアム様が喜んでくださるなら、私は何千、何万の竜を捕らえて差し上げますわ。さあ、次の子たち、おいでなさいな」
アリシアは狂喜に満ちた笑みを浮かべ、さらに広範囲に闇の網を広げた。今のアリシアの前ではサラマンダー・キングでさえ、この有り様。
それから数時間。竜の巣の一角は、文字通り竜の死体の山と、ありがたい宝玉の海に変わっていた。
俺のレベルは、宝玉を吸収するたびに爆発的な上昇を続け、ついに大台へと到達する。
『レベルが80に到達しました。隠しパッシブ、世界の観測者が解放されました』
「ハ、ハハ。レベル80か。学園にいた頃の俺が見たら、腰を抜かして死ぬな」
レベルが80になった。これだけ経験値を得れば当然だった。この短期間で達成したのは驚異的だろう。
俺は自分の手に宿る、かつてないほど濃密な魔力に驚いていた。
だが、俺の驚きを上回る光景が、目の前で繰り広げられた。
「リアム様! 見てください! この子が一番立派な心臓を持っていましたわ!」
アリシアが、返り血を全身に浴びた姿で駆け寄ってきた。聖女にこの姿はあってはならない。しかしアリシア本人は気にしていないのが痛い。
その手には、まだドクドクと脈打っている巨大な竜の心臓が握られていた。道具も魔法も使わず、彼女は素手で竜の胸を裂き、心臓を引き抜いてきたのだ。解体の常識をぶち壊す行為だった。一般的に魔物の解体は道具を使い、時間をかけて行うから、プレイヤーからしたら面倒な作業の一つとされる。その常識はアリシアにはないようだ。
「ひ、引き抜いてきたのか?」
「ええ! 魔力で壊してしまっては、リアム様が素材を回収するのに手間がかかると思いまして。…さあ、受け取ってください。私の愛、そしてこの竜の命の結晶です!」
アリシアは、宝石を差し出すかのような無垢な笑顔で、血まみれの心臓を俺に捧げた。おれが喜ぶと思ったのだろう。
その瞳には、一筋の迷いも後悔もない。ただ、俺に褒められたいという一心だけが、彼女を動かしているのは確かだ。それだけの単純な理由で動いている。
「ああ、ありがとう。アリシア。助かるよ」
本気でドン引きだ。俺は内心で悲鳴を上げながら、その心臓から宝玉を取り出した。
最強の聖女を味方につけたと思っていたが、俺が育ててしまったのは、聖女の皮を被った世界の終焉そのものだったのかもしれない。もしかしたら世界は終わる可能性もある。この女しだいで。
◆
同時刻。
王都の外れにある、かつてリアムが悪行の限りを尽くしたとされる貧民街。
「集まってくれたか、勇気ある同志諸君」
そこには、白銀の鎧を着た主人公カイル・フォン・ベルトランの姿があった。
彼の前には、ボロボロの衣服を着た数十人の男女が並んでいる。かつて悪役貴族リアムに家を焼かれた、畑を奪われた、尊厳を傷つけられたという被害者たちだ。カイルは行動に出た。
「リアム・ド・グラナードは、アリシア様を奪い、禁忌の魔力で世界を汚そうとしている。僕たちには、彼を止める義務がある。正義は、僕たちと共にあるんだ」
カイルの声は、以前よりも低く、どこか冷徹な響きを帯びていた。
被害者たちの一人が、怯えながら声を上げる。
「で、ですが。豚貴族リアム様は、いえ、あの悪魔リアムは、軍隊を一人で壊滅させたという噂も。俺たちみたいな素人が行って、何ができるんですか?」
「大丈夫だ。僕が君たちに、ある力を授けよう」
カイルが聖剣を空に掲げた。
だが、その聖剣から放たれたのは、清らかな光ではなかった。
細く、粘つくような銀色の糸が、カイルの剣から噴き出し、被害者たちの頭の中へと侵入していく。主人公がやってはならない行為だった。
「ああ、あ、ああ」
人々の瞳から魂が消えたようになり、人形の虚ろな表情に変わっていく。
カイルが使っているのは、かつて勇者が魔王を封印するために使ったとされる禁忌の術。聖域の調伏の変異種だった。
対象の自我を正義という名の暗示で塗りつぶし、逆らえない捨て駒へと変える洗脳魔法だった。リアムへの憎しみがカイルを悪事にさせた。
「君たちは、リアムを憎んでいる。そうだね? 彼は悪だ。悪は滅ぼさなければならない。僕のために、命を投げ出してくれるね?」
「はい、カイル様。リアムを殺す。正義のために」
数十人の被害者たちが、揃って機械的な声を上げる。
カイルはその光景を見て、満足げに微笑んだ。
「そうだ。これでいい。リアム、貴様は多くの人の心を壊してきた。ならば、その壊れた心を駒し、駒に殺されるのが、お似合いの末路だ」
カイルの背後には、洗脳されたリアム討伐騎士団が、不気味な足音を揃えて行軍を開始した。
正義を叫ぶ勇者は、もはやその目的のために、自らもまた悪へと足を踏み入れていることに気づいていない。すでに取り返しのつかない方向へと進んでいた。
◆
竜の巣。
レベル80に到達した俺は、全身から溢れる力を察知していた。なんだこの察知は。
「何かが来る」
世界の観測者のパッシブスキルが、遠くから迫る不穏な魔力の波を感知した。それはカイルだろうと直感した。
かつての正義が、俺に向けて憎悪を燃料にした軍勢を引き連れて、こちらへ向かっていると予想する。
「リアム様? 何か、お邪魔虫の気配がしますわね」
アリシアが、血に濡れた手をハンカチで拭きながら、俺の隣に並ぶ。
その顔には、獲物を待ち構える猟犬のような、残忍なまでの美しさが宿っていた。
「ああ。カイルだ。どうやら、決着をつけなきゃならないらしい」
「ふふ、嬉しい。またリアム様を困らせる不潔な男を、この手で握り潰せるのですね。今度は、心臓だけじゃなく、魂の欠片も残さないようにして差し上げますわ」
本気で言っているのか。とても学園の卒業パーティーで一緒にいたカイルに向けて言う言葉ではない。
俺は腰のナイフを抜き、静かに構えた。
レベル80の悪役貴族。
闇に堕ちた聖女アリシア。
そして、狂信に支配された勇者カイル。
原作のシナリオは、もはや影も形もない。完全に破綻した。もはや誰がいつ死ぬかわからない。俺の想像もできない終わり方になるのは確実だ。
ここから先は、地獄すら生ぬるい本当の断罪が始まるのだ。
「待ってるぜ、カイル。お前の正義が、俺の生存に勝てるかどうか。試してみようじゃないか」
俺は赤く染まった空を見上げ、不敵に笑った。




