15話
第15話
沈黙の霊廟の内部は、外界のあらゆる騒ぎなどからの関係が離れていた。
この場所に入って以来、不屈の法衣の暴走も収まり、俺の理性を焼き尽くそうとする苦痛は消えていた。だが、安心は長くは続かないのに理由がある。
あってはならないが、霊廟の特殊な結界ですら遮断しきれない、おぞましい魔力の波動が、はるか東から勢いよく押し寄せているのが、俺の魔力感知に引っかかっていた。
「まさか、もうここまで来やがったのか」
ゾルゲが守っていた最深部には、巨大な祭壇があった。その中央に、古ぼけた石碑が置かれている。
石碑に刻まれた古代文字を真理の速読で解読する。
「遥かなる地へと誘う転移門。起動には、至高の魔力と、愛する者との接触を要す。頭がクラクラする」
俺は、読み上げた文字の意味を理解した瞬間、目を見開いた。ゲームをやり込んだ俺でさえ、ヤバいなと思う設定。
至高の魔力は問題ない。俺のレベルと法衣の力があれば、文字通り世界を移動できるほどの魔力を生み出せるから。
問題はそこではなく、愛する者との接触の部分だな。
「冗談だろ。俺が今、この世界で愛してる奴なんて、存在しねぇよ」
俺の心臓が、ドクンと嫌な音を立てたのはわかった。
頭の中に浮かぶのは、たった一人の女の顔。
アリシア・フォン・ローゼンブルク。
俺を救世主と呼んで、地の果てまで追いかけてくる、あの闇堕ち聖女の顔だった。
「まさか、転移門の起動条件が、よりによってアレを呼ぶトリガーになるとは。この展開はキツいぞ」
俺が石碑の前で頭を抱えていると、霊廟の入り口がガタガタと音を立て始めた。
結界が、外部からの強大な魔力によって揺さぶられている証拠だった。普通にはあり得ない現象だ。
「リアム様! ここに、いらっしゃるのですね。 隠れ場所なんて、私には通じませんわよ」
どこか楽しげな、けれど粘着質なアリシアの声が、霊廟全体に響き渡る。その声が俺の耳にしっかりと届いた。
俺は最悪の事態を悟り、慌てて石碑に手を触れた。今の俺には、それしかないからな。
「くそっ、他に方法はないのか!? 愛以外の、何か代わりになるもので」
「反応なしかよ」
真理の速読が冷たく告げる。
やはり、この転移門は魂の繋がりを感知するタイプの術式らしい。ゲームでも、ここを起動できるプレイヤーは限られていたはずだった。
ドンッ!
霊廟の扉が、外からの衝撃で大きく内側に凹む。来たか。
アリシアが率いる聖女軍が、ついにここまで辿り着いたのだ。俺の心臓が高まる。なぜ緊張しているのだ俺は。まさかアリシアと俺は、いやいや。
「リアム様、出てきてくださいな! 隠れてばかりでは、私、寂しくて死んでしまいそうですわ」
「死んでくれれば、どれだけ助かるか」
俺は毒づいたが、状況は最悪に絶望的だった。
ここを突破されてしまえば、俺は再び彼女の愛の檻に囚われることになるのは、まっぴらごめんです。
だが、この転移門を起動するには、アリシアが必要という鬼設定だった。
どうする。アリシアを一時的に協力させて、転移門を起動させるか。しかし、そのリスクは極めて高いと直感でわかる。
俺が悩んだり考えを停滞させている間に、霊廟の扉が派手な音を立てて破壊された。普通、破壊するか。しかもこの扉は簡単な破壊できないはずなのに。
外からの光が差し込み、その中に、数千の兵士たちが隊列を組んで控えているのが見える。予想したとおりに兵士を確保したのか。
そして、その最前列に立つ、闇の翼を広げたアリシアの姿があった。完全に闇の聖女。俺は失神しそうだ。
「あら、見つけましたわ」
彼女の瞳は、まるで獲物を見つけた猛獣のようにギラギラと輝いている。聖女らしさもない。
その視線は、数千の兵士を従えているとは思えないほど、ただ俺一点に集中していた。俺だけを見ている。
「リアム様、逃げても無駄ですわ。この世のどこへ行こうとも、私があなたを見つけ出し、捕まえて差し上げます。さあ、大人しく私の腕の中へ」
「馬鹿言うな。俺は誰のモノにもならねぇ」
俺は石碑の前に立ち、アリシアを睨みつけた。言っても通じないとは思うが。
「アリシア。一つだけ、提案がある」
「あら? 私に、ですか? なんでもお聞かせくださいな。あなたの言葉なら、この命、喜んで差し出しましょう」
アリシアが、陶酔したように頬を赤らめる。勘違い女ほど怖いものはない。俺以外は何も見えていないか。
俺は、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
こんな屈辱的な提案は、前世の俺も、今の俺もしたことがない。だが、これしか方法がないのだ。だから言うのである。決して本位ではないが。
「この石碑、転移門だ。世界中のどこへでも行ける。でも起動には愛する者との接触が必要らしい」
俺の言葉に、アリシアの瞳が大きく見開かれた。なにやら覚醒したような。
そして、次の瞬間、彼女の顔にこの世のすべての幸福を詰め込んだような、狂気的な笑みが浮かぶ。悪手だったか。最大の失敗だったかも。
「まっ、ま、まさか。リアム様の方から、私を、愛してくださっている、と!?」
「勘違いするな! これは取引だ。いいか取引だぞ」
理解したかというと、俺の言葉をそのまま受け入れた顔だ。
俺は必死に否定したが、彼女の耳には届いていないようだった。やはり悪手だったか。
「ああああああ! なんてこと! 私のこの愛が、ついにリアム様の心を動かしたのですね! 私、この日のために生きてきたのよ、リアム様あああああああああああああああああああああああああああああああ」
アリシアが狂喜乱舞し、その場に崩れ落ちた。大丈夫か。いや、そのまま発狂して元の聖女に戻ればいい。頼むそうなってくれ。
数千の兵士たちは、その異常な光景にただ呆然と立ち尽くしている。まるで魔王を見たかのような顔をして。
ま、まずは、この状況を落ち着かせないと。
俺は転移門の起動条件を、彼女にだけわかるように愛という言葉で伝えたのだ。そしてアリシアは発狂中。兵士は困惑中。
ここからが正念場。転移門を起動させ、彼女をだます方法。
だが、そのための接触が、果たしてどこまで許容されるのかは、知らない。許容される範囲によっては俺はヤバいだろう。もうやるしかない。たとえ俺自身が危険になってもやるしか選択はないのだ。覚悟を決める。
「アリシア。立て。そして、俺の隣に来い。転移門を起動するぞ」
「はいっ! 喜んで。今すぐ、あなたの隣へ、あなたの胸の中へ飛び込みますわ」
狂ったようにして俺の横に来た。彼女の中で最高の状況のようだ。それは俺に取っては違うわかで。
俺は内心で絶叫しながら、転移門の起動準備に入った。
悪役貴族の生存戦略は、ついに狂信的なヒロインと接触して発動させ、その後に騙す考えの転移門を起動させるという、前代未聞のフェーズへと突入したのだった。はたして成功するのか俺にもわからない。成功しないと俺はどうなるのかと考えるも、考えるのをやめた。




