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第142話 密談と黄金の種
狂乱とも言える晩餐会が幕を閉じ、客たちがそれぞれの私室へと引き上げた後。
俺は執務室の窓を開け、夜風に当たっていた。背後では、唯一残ることを許された女商人マルコが、未だにカツレツの余韻に浸るように頬を上気させて立っている。
「さて、マルコ。腹は膨れたか?」
俺の問いに、マルコは弾かれたように姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「失礼いたしました、閣下。あのような禁断の味を教え込まれては、商売人として理性を保つのが精一杯でございます。あれは、ただの料理ではありません。人を国を狂わせる武器です」
「話が早くて助かる。あれをシロノヴァの新たな象徴にするつもりだがその前に頼みたい物流の裏仕事がある」
俺が机の上に置いたのは、一袋の小さな種だった。
「これは? 見たことのない形状ですが」
「菜種だ。これを領内で大規模に栽培させ、油を絞る。今回使った揚げ油の原料だ。今はまだ魔獣の脂を使っているが、植物性の油が安定供給されれば、あの料理は庶民にまで降りていく」
マルコはその言葉の重みを即座に理解したのか、目つきが鋭くなった。
「閣下。揚げ物は油を大量に消費します。つまり、この種を握る者が、王国の食の利権を掌握するということですね?」
「そうだ。それだけじゃない。この油の搾りかすは、家畜の極上の飼料になる。肉が旨くなり、さらに揚げ物が普及するこの循環を、マルコの商会で支配しよう」
マルコは一瞬絶句し、それから震えるような吐息を漏らした。
「恐ろしいお方だ。貴族の皆様が領地の見栄えを気にしている間に、閣下は胃袋から王国を買い叩こうとしている」
「買い叩くのではない。最適化するだけだ。それと、アリシアやセレーナが嗅ぎ回る前に、この流通経路を確立しておくこと。あいつらは鼻が利きすぎる」
「ふふ、確かに。アリシア様はリアム様の健康に害があるのではと心配し、セレーナ様はその利益を軍備に回せと急かされるでしょうから」
マルコが少しだけ悪戯っぽく笑った、その時だった。
「あら。私の名前が出たような気がしたけれど、気のせいかしら?」
音もなく扉が開き、セレーナが姿を現した。その隣には、不機嫌そうに眉を寄せたアリシアもいる。帝国フィオナもだ。
「セレーナ、勝手に入るなと言ったはずだが」
「あら、ごめんなさい。でも、主がこんな夜更けに女商人と二人きりで密談なんてしているから、毒見役として心配になったのです」
セレーナの視線が、机の上の種袋を射抜く。
「それで? その奇妙な種で、次は何を企んでいるの? まさか、あの料理をまた独り占めするつもりじゃないでしょうね」
「リアム様、セレーナの言い方は不敬ですが私も同意いたします。先ほどの料理、あまりにも中毒性が高すぎます。あのようなものを領内に広めれば、領民たちが働く意欲を失い、食欲の奴隷になってしまうのでは」
アリシアの心配は相変わらず斜め上だが、その目は本気だな。
「安心していい。これは兵の物資の効率化の一環だ。高エネルギーの食事は、行軍速度を上げ、兵の士気を維持する。そしてマルコはもう行っていい。ここからは身内の小言の時間だ」
マルコは苦笑しながら、優雅に一礼して下がっていった。
「閣下、種のご依頼、確かに。アリシア様、セレーナ様、夜更かしはお肌に毒ですわよ」
「余計なお世話よ、守銭奴」
セレーナが吐き捨てるように言い、マルコが去った後の執務室には、俺と、俺を監視するかのように立つ三人の女が残された。
「さて。三人とも、食い足りなかったのか?」
「そういうわけでは。ただ、リアム様が最近、私に内緒で物事を進めすぎている気がして」
アリシアが少しだけ寂しそうに視線を伏せる。
「私は別に構わないわよ。貴方の企みが、最終的に私の剛性を試す戦場に繋がるのであればね。でも、あのカツレツのレシピだけは、後で教官に書き留めさせなさい。忘れるには惜しすぎるわ」
「クォオオン!」
いつの間にか足元に忍び寄っていたシロが、同意するように短く鳴いた。
「わかった、わかった。レシピも、油の供給も、すべて計画の内だ。今は寝るとしよう。明日からは油を巡る隣領との境界交渉が待っているんだからな」
俺は窓の外、暗い森の向こうにある隣領、守旧派の貴族たちが治める土地を見据えた。
新しい味を知った人間は、もう古い世界には戻れない。
俺の仕掛けた禁断の毒は、確実にこの国の構造を変えるきっかけになるな。




