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第143話 旧自室の領土紛争
王都にあるグラナード公爵本邸。俺が豚公爵として放漫と怠惰の限りを尽くしていた頃の、いわば負の遺産とも言える旧自室の前に、俺たちは立っていた。
父を屈服させ、俺がこの屋敷の総支配人となったことで、この部屋の処遇も俺の自由になったわけだが。
「ここがリアム様の王都での根城、でしたのね」
アリシアが扇子で口元を隠し、じっと扉を見つめる。その瞳の奥には、掃除婦としての使命感を超えた、もっと鋭利な「何か」が宿っていた。
「ええ、そうですわアリシア。以前のリアム様が、品性という言葉を辞書から削り取って過ごされていた、記念すべき空間ですわね。ふふ、淀みの原液が今にも扉の隙間から漏れ出してきそうだわ」
セレーナが毒を吐きながら、指先で聖なる魔力を練り上げる。
「失礼なことを言わないでいただけます? セレーナ様。今のリアム様がこの部屋を浄化しろと仰るなら、それは私の役目です。皆様は、新しく用意した清潔な客間へお引き取りくださいませ」
「あら、アリシア。この部屋にはリアム様の『過去の全データ』が詰まっているのでしょう? 聖女として、主の罪を把握し、清める義務が私にはありますわ」
「ふん。管理だの浄化だの、まどろっこしいな」
背後で腕を組んでいたフィオナが、軍鞭を鳴らして一歩前に出る。
「ここを誰が使うか、という一点において、帝国の皇女たる私が譲る道理はない。リアム、貴公の『脆弱』だった頃の環境を知ることは、今後の防衛戦略を練る上で不可欠だ。よって、今夜から私がここを接収する」
「なっ! フィオナ様まで、何を仰いますか!」
アリシアが即座に立ち塞がる。
「ここはグラナード家の内情に関わる神聖な場所です! 帝国の方を、あえてこの『豚小屋』の名残に泊めるわけにはまいりません!」
「『豚小屋』とはひどい言い草ね、アリシア。でも、確かに帝国の皇女様には、もっと煌びやかで剛健な部屋がお似合いよ。ここは私のような、影からリアム様を支える者が管理するのが妥当だと思わない?」
セレーナが微笑を浮かべながら、アリシアの横に並び、フィオナを牽制する。
「ほう。私を部外者扱いするか。リアム、貴公はどう思う。この部屋に最も相応しい『剛性』を備えているのは、私だろう?」
フィオナが俺に鋭い視線を送ってくる。いや、その顔、ちょっと赤くなってないか?
「いや、単にここが屋敷で一番広くて、かつての俺の贅の限りを尽くした調度品があるから、三人で茶でも飲んで共有すればいいかと思ったんだが」
俺が合理的な解決策を提示した瞬間、廊下の気温が氷点下まで下がった気がした。
「「「三人で?」」」
「リアム様、それはあまりに――」
「――無防備すぎますわ」
「――軍紀に乱れが出るぞ、リアム!」
どうやら、俺の提案は最悪の燃料だったらしい。
「カイン! 貴様からも言え。主人の元・寝室に、このような毒婦や他国の女を上げるべきではないとな!」
「えっ!? 僕ですか!?」
隅で震えていたカインが飛び上がる。
「えーとアリシアさん。僕が思うに、リアム様の元・自室って、たぶん『罠』がいっぱいあると思うんです。ほら、変な隠し扉とか、食べかけの腐ったお菓子とか。だから、僕が先に調査して」
「カイン、貴方は黙っていなさい。淀みの調査は私の『光』で十分です。アリシア、貴女は廊下の雑巾がけでもしていればいいわ」
「セレーナ様。今、私の魔導洗浄機が『聖女』を洗浄対象として認識したようですわ」
バチバチと火花が散り、アリシアとセレーナが至近距離で睨み合う。その横でフィオナが軍鞭を握りしめ、いつ参戦しようかと呼吸を整えている。
「クォオオン!」
そこへ、空気を完全に無視したシロが、俺の足元をすり抜けて部屋の中に飛び込んだ。そして、一番豪華なソファの上で丸くなり、ここはお前の場所だと言わんばかりに欠伸をする。
「「「」」」
三人の視線がシロに釘付けになった。
「シロが居座るというのなら、世話係の私がいなければなりませんわね」
「あら、シロは私の癒しの波動を求めているようですわ。私が隣に座るのが自然でしょう?」
「シロが、そこにいるなら。警護が必要だ。毛並みの剛性も、私が確認してやらねば」
結局、実家の「旧自室」を巡る紛争は、シロという中立地帯を得ることで(一時的な)停戦を迎えた。
「カイン、明日の移動計画を前倒ししろ。この屋敷の空気、俺の精神が持たん」
「了解しました、リアム様。でも、アリシアさんたち、なんだかんだで楽しそうですよ?」
どこがだ。俺には、次に誰がベッドの占有権を主張するかで、魔法の詠唱準備をしているようにしか見えないんだが。
俺は深くため息をつき、生まれ変わった実家の騒がしさから逃げるように、執務室へと足を向けた。




