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第138話 実家に帰る
久方ぶりの帰郷は、華やかな凱旋とは程遠い、重苦しい空気に満ちていた。
「相変わらず、無駄に広いだけの屋敷だな」
馬車を降り、見上げるのはグランゼール王国の名門、グラナード公爵邸。俺が豚公爵と呼ばれ、怠惰の限りを尽くしていた男の故郷だ。つまりは実家に帰ったわけだ。
「クォオオン!」
隣でシロが、落ち着かない様子で低く鳴く。
「シロ、静かに。ここにはこの家の法がある。野蛮な魔獣だと決めつけたい連中が、手ぐすね引いて待っているからな」
「あら、リアム。随分と可愛らしい番犬をお連れですこと。それとも、新しい食料の備蓄かしら?」
嫌味な声と共に、屋敷の重厚な扉が開く。そこに立っていたのは、見事な狩猟服に身を包んだ男。俺の兄、エドワード・ド・グラナードだ。
「兄上。お変わりないようで」
「変わり果てたのはリアムの方だろう? 痩せたとは聞いていたが、まるで別人だ。不気味なほどにな。もっとも、中身が以前のような豚のままなら、その皮もすぐに弾け飛ぶだろうが」
エドワードは鼻で笑い、腰の剣を誇示するように叩いた。
「どうした、カインもそんな出来損ないの従者として、シロフォートレスだか何だかの辺境で、野蛮人と泥遊びをしていたのか?」
「お久しぶりです、エドワード様。僕はリアムと共に、民を救うために尽力しておりました」
カインが静かに、はっきりと答える。エドワードの眉がぴくりと動いた。
「民、だと? 貴族が語る言葉ではないな。身分をわきまえろ、出来損ない。父上が執務室でお待ちだ。あまり待たせるな。古文書の整理を邪魔されるのを、あの方は何よりも嫌われる」
執務室の空気は、さらに冷えていた。壁一面を埋め尽くす古文書と、ワインの香りが混ざり合う空間。机の向こうで、俺の父親のハインリヒ・ド・グラナード公爵が古典詩の写本に目を落としていた。
「戻ったか、リアム」
父は顔を上げない。その声には、歓迎の響きなど微塵もなかった。
「はい、父上。シロフォートレス、およびシロノヴァの統治報告に参りました」
「報告など不要だ。辺境の開拓など、伝統ある我が家の歴史に比べれば、砂遊びに等しい。それよりも、聞いたぞ。街道の整備や兵の物資の最適化などという、職人がやるようなことをしているそうだな」
「それは、領地の繁栄と国防のために不可欠な――」
「黙れ!」
ハインリヒが、手元の羽根ペンを叩きつけた。
「貴族の務めは統治であり、駆け引きだ。泥にまみれて道を直すことではない。リアムが怠惰にむさぼっていた時も失望したが、今の実務家気取りも同様に浅ましい。我がグラナード家の誇りは、格式と伝統にある。それを汚すことは許さん」
「格式だけで、飢えた民を救えるとお考えですか?」
俺の言葉に、部屋の温度が氷点下まで下がった。すると兄のエドワードが背後で薄笑いの声が。
「ふん、言うようになったな弟よ。結果が全てだ。辺境でどれだけ小銭を稼ごうが、王都での影響力はゼロ。父上がお前を呼び戻したのは、褒めるためではない。お前という不安定要素を、再び我が家の管理下に置くためだ」
「管理、ですか」
「そうだ。お前の領地は、今後エドワードが管理する。王都で以前のように豚になって大人しくしていればいい。ああ、もちろん、その不気味な魔獣は処分させてもらうがな」
シロが唸り声を上げる。俺は、静かに拳を握った。原作の知識によれば、この時期のグラナード家は、伝統に固執するあまり、近隣諸国との物流網から取り残され始めている頃。
「父上。そして兄上。一つ、お聞きしたいことがあります」
俺はあえて、少し笑みを浮かべた。
「この屋敷の地下に眠る、12世紀のヴィンテージワイン。保管状態が悪く、酸味が強まっていることに、お気づきですか?」
ハインリヒの目が、鋭く見開かれた。
「何だと? 貴様、何を知っている」
「兵の物資を極めるということは、温度、湿度、そして最適な輸送経路を把握すること。俺にとっては、領地の経営も、この屋敷の管理も、本質的には同じなんですよ」
「貴様!」
兄エドワードが剣の柄に手をかける。俺は一歩も引かない。
「久しぶりの実家だ。少しばかり、この古臭い屋敷の物流を最適化して差し上げましょう。もちろん、俺流のやり方でな」




