13話
第13話 愛の檻と、決死の脱獄
意識が浮上する。
最初に戻ってきたのは、鼻をくすぐる、あまりに甘美で、どこか焦げたような香りの記憶だった。
「うっ」
まぶたを持ち上げようとして、自分の体が異常に重いことに気づく。不撓不屈の法衣の暴走による疲労ではない。手首、足首、そして腰回りに、目に見えるほど濃密な魔力の鎖が巻き付いていた。
そこは、神殿の最深部をアリシアが強引に作り替えた、紫色の光が明るくなったり暗くなったり不気味な寝室だった。
「お目覚めになられましたか、リアム様」
耳元で、鈴の音のような、けれど背筋を氷で撫でられたような声だった。
視線を動かせば、すぐ隣にアリシアが座っていた。彼女は俺の頭を自分の膝に乗せ、深い愛情を注ぐように俺の髪を指でふれていた。
「何をした、アリシア。この鎖を解け」
俺の声は聞き取れない程に弱い。魔力を練ろうとするが、手首の鎖がそれを瞬時に吸い取り、俺の体力を削っていく。
「解くなんて、とんでもない。あんな恐ろしい法衣に理性を奪われるあなた様を見て、私、心臓が止まるかと思いましたわ。ですから、お守りすることにしたのです。この愛の聖域エターナルゲージで」
「守るだと? 拘束の間違いだろ。俺にはやらなきゃいけないことがある。世界を救う、いや、俺が生き残るための準備があるんだ」
「世界? そんなもののために、リアム様が傷つく必要はありません。あんな学園も、追放を叫んだ愚民どもも、私がすべて消し去ってあげます。あなたはここで、私だけを見て、私だけを愛していればいいのですわ。ふふ、もう誰にも、あなたを傷つけさせない」
アリシアの瞳が、至近距離で怪しくなった。
その瞳に映っているのは俺だが、それは本当の俺ではなく、彼女の脳内で作り上げられた孤独な救世主リアム様という幻想なのだ。
クソ、話が通じないどころか、物理的に封じられたか。だが、俺を誰だと思ってる。このゲームの仕様を一番知っているのは俺だ。
俺は絶望したふりをして、ぐったりと彼女の膝に身を預けた。
アリシアが歓喜に吐息を漏らし、さらに強く俺を抱きしめる。
「ああ、リアム様。やっと分かってくださったのね。そう、逆らわなくていいのです。私だけが、あなたの味方。私だけが、あなたの理解者なの」
「アリシア。お前の言う通りかもしれないな」
俺は、消えそうな弱い声で話した。
真理の速読は、意識の奥底でまだ動いている。俺はアリシアの注意をそらしながら、脳内のスキルツリーを狂ったように検索していた。
拘束魔法の解除、いや、無理だ。あいつの出力が強すぎる。なら、逆に魔法の過負荷を起こさせるポイントはここか。
俺はアリシアの首筋に手を回し、引き寄せた。
彼女が驚きで息を止め、魔力の鎖が一瞬だけ緩む。
「リアム、様? 自ら、私を求めてくださるのですか?」
「ああ。お前の愛、確かに受け取ったよ。だから、お返しに、俺の魔力も全部くれてやる」
「えっ?」
「真理の速読、全制限解除。 魔力提供、開始!」
次の瞬間、俺の体から暴風のような魔力が、鎖を通じてアリシアへと逆流した。
本来、魔力を吸う鎖は吸い過ぎを想定していない。
ましてや、不撓不屈の法衣によって極限まで増幅された俺の魔力が、一気に彼女の術式に流れ込めばどうなるか。
「な、なん!? 魔力が、止まら、あ、ああああああああああああああああああああああああああああ!」
アリシアの構築した聖域の牢屋が、内部からの過剰な圧力によってひび割れ、ガラスのように砕け散った。
拘束の鎖が弾け飛び、衝撃波が神殿を揺らす。
「今だっ!」
俺は驚きで動きを止めたアリシアを突き飛ばし、全速力で立ち上がった。
法衣のデメリットである理性の消失を、あえてアリシアの魔力と衝突させることで相殺し、俺は一瞬だけ自由を取り戻す。
「リアム様! 行かないで! 行かせてなるものですかぁ!」
アリシアが、顔中を涙と狂気で濡らしながら、背後から闇の触手を伸ばしてくる。
俺は振り返らず、神殿の崩れた天井に向かって跳んだ。
「悪いなアリシア! お前の愛は重すぎる! 俺はもっと軽やかに、世界を蹂躙しなきゃならないんだよ!」
俺は空中で転移魔法を起動した。
座標は、ここからさらに西。呪いの砂漠を抜けた先にある、死者の住まう『忘却の墓所』。
そこにある魔力を完全に遮断する棺の中に隠れる。
視界が歪む直前、アリシアの絶叫が空間を震わせた。
「許しません! 絶対に、絶対に逃がしませんわよ! あなたの残り香を、この世界の果てまで追いかけて、今度こそ私の体の中に閉じ込めてあげますからぁぁぁぁ!」
転移が終わった先で、俺は冷たい墓石の上に転がり落ちた。
全身の倦怠感が凄まじい。だが、首の皮一枚で愛の檻から逃げ出すことに成功した。
「はは、死ぬかと思った。魔王より先に、ヒロインに殺されかけるなんて、どんな無理ゲーだよ」
俺は、不敵に笑いながら立ち上がった。
法衣の力は、まだ俺の中に脈打っている。
アリシアとの追いかけっこも、最強への道も、まだまだこれからだ。
「さあ、次の装備を。いや、まずは身を隠す場所を探すとしようか」
悪役貴族のやり直しだな。
それは今や、世界を救う戦いではなく、史上最強のストーカーから逃げ切るサバイバルへと変わっていた。




