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第115話 迫りくる赤き影
不夜城シロ・ノヴァの執務室に、不穏な風が吹き込んでいた。
マルコが持ち込んだ経済報告書の端が、冬の冷気でわずかに震えている。それ以上にこの場を凍り付かせているのは、北方の国境から届いた赤い凶報だった。
「リアム様、笑い事ではありませんよ。憤怒の軍勢、サタンの配下が、王都近郊の村々を焼き払いながら南下しております。物流網が完全に寸断されれば、我々が築いた街道の価値は、ただの石畳に成り下がります」
マルコが珍しく声を荒らげ、机を指先で叩く。
「わかっている。マルコ、これは商機でもある。王都が飢え、恐怖に震える時こそ、我々の備蓄が救済という名の商品に変わる。セレーナ、敵の規模は?」
影から音もなく現れたセレーナが正確に報告を口にする。
「先遣隊だけでおよそ五百。いずれも魔力に理性を焼かれた狂戦士たちですわ。ですが、それ以上に厄介なのは、この危機を口実に王都で動いている内なる敵ですわね。ロベルト伯爵が、貴方の領地管理権を剥奪しようと根回しを始めていますわ」
セレーナの言葉が終わる前に、執務室の扉が遠慮もなく跳ね上がった。
「聞いたぞ、リアム! 貴様の街道計画のせいで、魔物の移動を早めたという噂が広まっている。この事態、どう落とし前をつけるつもりだ」
現れたのは、嫌味な笑みを浮かべたロベルト・フォン・シュタイン伯爵だった。
「おやおや、ロベルト伯爵。ご自身の領地の倉庫が空だからといって、わざわざ私の顔を拝みに来るとは、よほど暇とお見受けします」
アリシアが扇子で口元を隠し、優雅に刺すような視線でロベルト伯爵を睨みつける。
「黙れ、教団の飾り人形が。リアム、王都のギルドは既に私の味方だ。魔物の脅威を排除できない無能な領主から、管理権を取り上げるべきだという声が上がっている。貴様の物流の最適化だのというお遊びも、今日で終わりだ!」
「お遊び、ですか。伯爵、貴方は昨日の市場での小麦の価格すらご存知ないのでしょうね」
セレーナが歩み寄り、ロベルトの耳元で囁く。その声には隠しようのない殺意が混じっていた。
「な、なんだ貴様は! 無礼だぞ!」
「セレーナ、やめなさい」
「はい」
「おそらくは魔物はサタンではないかな俺は予想する」
俺の原作知識ではサタンな気もする。
「七人の大罪のサタンか」
「伯爵の仰る通り、大罪サタンの軍勢は厄介だ。俺の合理的推論によれば、彼らが狙っているのは王都そのものではない。奴らは、王都の地下にある魔力の脈を求めている」
俺は椅子から立ち上がり、壁にかけられた精密な地図を指差した。
「奴らがここを通る。そして、その場所こそが、伯爵、貴方の領地との境界線だ。俺の手元には、この一帯を即座に要塞化できる資材と人足がある。どうだ、管理権を盾にするのをやめるなら、貴方の領地をついでに守ってやってもいいが?」
「何だと? 貴様、この混乱を利用して、私の領地まで飲み込むつもりか!」
「人聞きの悪い。リアム様はただ、商売の話をしているだけですわ、伯爵様」
アリシアが楽しげにロベルトの背後に回り込む。
「リアム様の街道は、魔物を呼び込むためのものではなく、魔物を一箇所に集めて一掃するための罠でもあるのです。貴方の領地が焼けるのを見るのは忍びないけれど加護の力を、私の独断で貴方の領民にだけ与えないことも可能ですわよ」
「くっ巫女の分際で、私を脅すのか!」
「脅しではない。これは選択の提示だ。マルコ、伯爵に、我が領地の自警団を動かす際の手数料を提示してやってくれ」
俺の指示で商人マルコが待ってましたと言わんばかりに、長い長い計算書を広げる。
「はい、こちらになります。防衛資材の輸送費、魔石の消耗代、そしてシロの餌代も含めて、伯爵の年収の三割といったところでしょうか」
「クォオオン!」
足元で待機していたシロが、威嚇するように低く響く声を上げた。迫力に、ロベルトの膝がわずかに震える。
「狂っている。貴様ら全員、正気ではない。わかった今は引こう。もし魔物一匹でも王都の門を潜らせてみろ、その時は命で償ってもらうぞ」
ロベルトは吐き捨てるように言い残し、逃げるように部屋を去っていった。
「ふん、噂通りの無能な男。リアム様、あのような者に時間を割くのは資源の無駄ですわ」
セレーナが不快そうに扉を閉める。
「まあ、セレーナ。あの方のおかげで、合法的に隣領の防衛権を握れたのですから、感謝すべきではありませんか」
「アリシア様、貴女の感謝は毒入りに聞こえますわね。さて、リアム様。サタンの軍勢ですが、カインが既に前線で待機しております」
「カインがか。あいつには、例の新開発した魔導具の実験を任せてある」
俺は窓の外、赤く染まり始めた北の空を見つめた。
憤怒のサタン。その配下は確かに強力だろう。感情に任せて突進してくるだけの獣など、最適化された物流と兵の物流の前では、ただの動く標的に過ぎない。
「アリシア、セレーナ。準備はいいな。これは、不夜城シロ・ノヴァが、真に王国の盾となるための演習だ」
「「仰せのままに、リアム様」」
二人の声が重なり、執務室に冷たく、しかし確かな意志が満ちた。
王都崩壊のシナリオなど、俺が書き換えてやる。
【第116話へ続く】
次は、最前線でカインがどのように戦っているのか、あるいはリアムが原作知識を使ってサタンの配下の「致命的な弱点」を突く場面を描きましょうか?




