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第114話 商人の算盤と乙女の毒舌
「全く、リアム様。市場をこれほどまでにかき乱すのは、商人の端くれとして心臓に悪うございますよ」
ギルドの裏会合を終えた商人マルコが、額の汗を拭いながら俺の執務室に滑り込んできた。その手には、最新の物価変動が記された羊皮紙が握られている。
「マルコ、愚痴を言いに来たわけではなかろう。結果はどうだ」
「ええ、想定以上です。ベアトリクス第二皇女殿下が秘密裏に抱えていた穀物商たちも、この価格暴落で軒並み破産寸前。今や彼らは、第二皇女に助けを求めるどころか、恨みの声を上げていますよ。ただ、この物流の劇薬、扱いを間違えれば我々の首も絞めかねませんが?」
マルコが計算高い目を向けてくる。これだから数字に強い人間は話が早くて助かる。
「心配するな。崩壊させるのは第二皇女の資金源だけだ。供給が落ち着いた頃には、俺たちが全ての商流を握っている。そうだろう」
「ふふ、恐ろしい御方だ。おや、アリシア様にセレーナ様。今日も今日とて、火花を散らしておいでで」
マルコの視線の先では、ティーセットを挟んでアリシアとセレーナが座っていた。空気は冬の嵐よりも冷たい。
「あら、マルコさん。相変わらず銭の計算ばかり。そんなことでは、リアム様が描く高潔な理想の足元にも及びませんわよ」
アリシアが優雅に、しかし言葉に、とげを忍ばせて口を開く。
「理想ですか。リアム様が必要としているのは、実体のない高潔さではなく、確実に利益を運ぶ機能ですわ。アリシア様のように祈りを捧げているだけでお腹が膨れると信じているお花畑な思考では、王都の冬は越せませんことよ」
セレーナが冷たく言い放ち、俺のカップに完璧な所作で茶を注ぐ。いつも美味しいお茶だよな。ありがとう。
「機能ですか。機能とは、暗闇でコソコソと人の足を不意打ちすることかしら。それこそ、リアム様の輝かしい功績に泥を塗る行為ではなくて。私の聖なる加護こそが、領民たちの不安を払拭し、この土地に真の安定をもたらすのですわ」
「あら、その輝かしい功績の裏で、誰が泥を片付けていると思っていまして。光が強ければ影も濃くなる。貴女が眩しすぎて周囲の迷惑に気づかない間、私がすべてを円滑に回して差し上げているのです。感謝されてもいいくらいですわね」
「感謝!? 厚かましいにも程がありますわ。リアム様、この暗殺メイドを少し教育し直すべきです。今日の朝も、私の部屋の前に不浄な気配をわざと残していったでしょう」
「なんのことかしら。ただの風通しを良くするための配慮ですわよ。聖女様のお部屋が、あまりに浮世離れして息苦しかったものですから」
バチバチと視線がぶつかり合い、間に挟まれたマルコが苦笑いしながら俺に目配せしてくる。
「リアム様、女性陣の仲裁も軍需物資の調達と同じくらい、いえ、それ以上に骨が折れますな。で、アリシア様。貴女が仰る安定のためには、教団からの追加の支援物資、もう少し融通していただけるのでしょうね」
マルコがすかさず商談を差し挟む。
「ええ、もちろん。リアム様のためですもの。教団の倉庫にある余剰分は、すべてシロ・ノヴァへ回すよう手配済みですわ。セレーナにはできない表の交渉の結果です」
「あら、それは助かりますわ。ただ、その物資の輸送路を確保し、第二皇女の刺客から守り抜くのは私の仕事。結局、私の手のひらの上で踊っているに過ぎませんわね、アリシア様」
「口数が多いこと!」
「カインも大変だな」
いつの間にか部屋に入っていたカインが、俺の隣で深く、深く溜息をついた。
「僕は剣を振るう方が、この部屋にいるよりずっと楽だよ。アリシアとセレーナが一緒にいると、空気が物理的に重くなるんだ。でも、セレーナ。君の偵察のおかげで、次の物資の拠点がわかった。感謝してるよ」
「カイン様。貴方に感謝される筋合いはありませんわ。私はリアム様の命令を遂行しているだけですから。ただ、アリシア様に比べれば、貴方の剣はまだ実用的ですけれど」
「それ、褒めてるのかい?」
カインが苦笑する。
「クォオオン!」
シロが俺の足元で、早く次の指示をよこせとばかりに短く吠えた。よしよし。毛をすいてあげる。
「よし。マルコ、放出の第二段階へ移行しよう。アリシアは教団へのお裾分けは、市場価格より一割増しで請求して構わん。セレーナは輸送路の邪魔者はすべて排除すること。これは、ただの商売じゃない。俺たちの供給線を揺るがそうとしたことへの、報いだ」
俺の言葉に、部屋の空気が一変した。
アリシアとセレーナが同時に立ち上がり、互いを意識するように、完璧な礼を俺に向ける。
「承知いたしました、リアム様。セレーナ、仕事の間は、その醜い毒舌を封印しておくことですわね」
「ふふ、アリシア様こそ。その無駄に長い裾を引っ掛けて、リアム様の計画を遅らせないよう気をつけることですわ」
二人は最後まで火花を散らしながら、それぞれの持ち場へと消えていった。
「ふう。リアム様、次はもう少し平穏な依頼をお願いしますよ。例えば、砂漠で氷を売るとか」
マルコが肩をすくめて報告書をまとめる。
「無理な相談だな。次はこの不夜城シロ・ノヴァの仕組みそのものを買い取る。覚悟しておけよ、マルコ」
俺は窓の外、混乱から再生へと向かう市場を見た。
第二皇女ベアトリクスが俺の兵の物資を止めるというなら、俺はお前の立っている地面ごと、経済という名の深いところへ引きずり込んでやる。




