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第111話 聖女と影と、王都の毒杯
揺れる馬車の中、空気は王都に近づくにつれて別の意味でよどみ始めていた。
森の魔物の臭いではなく、人間の欲望が煮詰まったような、特有の嫌な気配だ。
「ふぅ。ようやく、このむさ苦しい移動ともお別れですわね。セレーナがそこに座っているだけで、馬車の中の酸素が毒に変わっていく気がしてなりませんでしたわ」
アリシアが窓の外を眺めながら、わざとらしく扇子で口元を隠す。
「あら、奇遇ですわねアリシア様。私も、貴女の背後から漏れ出す無駄にまぶしい光のせいで、目くらみが止まりませんでしたの。その光、夜道でもないのに灯しておく必要があるのかしら。虫が寄ってきそうで不潔ですわ」
「これは主への信仰が溢れ出しているのですわ。影のような、暗闇で他人の隙を伺うことしか能がない日陰者には、理解できない高潔な輝きですのよ」
「高潔、ね。ふふ、リアム様に甘える時だけは、その輝きを消して随分としおらしくなっているようですが。外面だけを取り繕うのは、聖女様のお得意技でしたわね」
セレーナが短剣の手入れをしながら、冷ややかな視線をアリシアに投げる。短剣を投げそうで実は怖い。
「甘える!? ど、どど、どこを見てそんな! 私はただ、リアム様の合理的な判断に敬意を表して、少しだけ、ほんの少しだけ距離が近くなることがあるだけですわ。貴女こそ、影に隠れてリアム様の寝顔を覗き見ている変質者ではありませんか」
「変質者。心外ですわ。私は護衛。主が眠っている間こそ、周囲の不浄な存在を排除するのが務めですの。例えば、夜中にこっそりリアム様の部屋を訪ねようとする厚かましい女を、物理的に排除したりね」
そんなことしているのか。馬車の中に、一瞬で氷のような殺気が走った。
「カ、カイン様、今の聞こえました? セレーナは、私を害そうと企んでいますわ」
アリシアに話を振られたカインが、板挟みになったような顔で苦笑いする。
「あはは。セレーナも冗談がすぎるよ。アリシアを排除しちゃったら、リアムに怒られちゃうだろ。でも、確かにアリシアの結界がないと、これからの街道整備は進まない。二人が協力してくれるのが、一番なんだけどな」
「カイン様は本当にお優しい。でもね、アリシア様。このカイン様の聖剣ガラティーン、貴女の濁った魔力で汚さないように気をつけてください。貴女が隣にいるだけで、剣が曇りそうですわ」
「セレーナ、後で聖水でお口を洗って差し上げますわ」
バチバチと火花を散らす二人を放置し、俺は膝の上にいたシロの頭を撫でる。
こいつらの仲の悪さは今に始まったことではない。むしろ、この険悪な空気が、互いの慢心を防ぐ抑止力になっている。
「クォオオン!」
シロが勇ましく鳴き、俺の手のひらに鼻を押し当ててきた。
「リアム。二人ともあんなに熱心に言い合ってるけど、本当は互いの能力を認めてるんだよね?」
カインが、俺にだけ聞こえるような小声で尋ねてくる。
「どうだろうな。アリシアの浄化がなければセレーナは影を維持できず、セレーナの暗殺術がなければアリシアは祈る前に首をはねられる。共生関係だよ。食料や軍需物資を運ぶ輸送部隊が、護衛なしでは成立しないのと同じだ」
理解できるかなカインに。
「またその、輸送の話く。リアムは本当に、物流とか補給の話になると目が真剣になるよね。なんだか、僕たちが見ていない別の地図を見てるみたいだ」
別の地図、か。
カインの直感は鋭いな。俺が持っているのは、この世界の原作知識という名の攻略図だからな。
帝国第二ベアトリクス皇女が、これから王都の貴族たちを使って、俺の領地の流通を封鎖しにかかる。
そのために、彼女はまずギルドの上層部を抱き込み、公式な取引を停止させるはずだ。そうはさせない。俺の生き残りを阻止することに繋がりかねないしな。
「リアム様。王都の門が見えてきましたわ」
セレーナが鋭く目を細める。
「あら、本当ですわね。不快な貴族たちの香水と、陰謀の臭いが鼻につきますわ。リアム様、あんな場所、早く用事を済ませてシロ・ノヴァへ帰りましょう」
「そうだが、その前に片付けるべきゴミがいる」
馬車が王都の石畳を叩く音が、規則正しく響き始めた。
俺は馬車のカーテンを少しだけ開き、街の様子を伺う。
一見、活気に溢れているが、市場の物価がわずかに跳ね上がっている。原作の進行よりも少し早い。第二皇女め、もう手を回し始めたのか。予想よりも早いな。
「カイン。ギルドへ直行するぞ。商人マルコに連絡を入れて欲しい」
「え? でもリアム、まずは王城に報告に行くんじゃ」
「そんなものは時間の無駄だ。帝国の第二皇女がギルドの権限を使い、俺の街道に関わる物資の流れを止めようとしている。封じられる前に、こちらから網を張る」
アリシアが不思議そうに首を傾げる。
「リアム様、なぜベアトリクス皇女がそのような真似をすると分かるのですか。彼女はまだ、公式には何も動いていないはずですが」
「勘だ。俺のような嫌われ者は、他人の悪巧みには敏感でな」
「あら、自覚がおありでしたのね。でも、そんなリアム様の鼻を、私は信じておりますわ。セレーナも役に立ちなさい。影に潜んで、ギルド長と皇女の密会場所を探るくらいはできるでしょう?」
「言われなくても。アリシア様は、お城の社交界で、無駄に広い法衣を振り回して聖女アピールでもしていればいいわ。あちこちに光を撒き散らせば、オトリくらいにはなるでしょうから」
「この、毒舌メイドが!」
馬車が止まった。
俺はゆっくりと立ち上がり、コートを直す。
「カイン、アリシアを連れて城へ行ってくれ。オトリを演じつつ、貴族たちの動きを注視すること」
「分かった。アリシア、行こう」
「はい、リアム様。セレーナに負けないくらい、完璧に演じてみせますわ」
二人が馬車を降り、城の方へと向かう。
残ったのは、俺と、影に半分溶けかけたセレーナだけだ。
「セレーナはギルドの倉庫へ潜入だ。そこにある古龍の核の在庫記録を盗み出そう。第二皇女が街道建設を阻止するために、核の独占を狙っているはずだからな」
「御意。リアム様は、どちらへ?」
「俺は第二皇女の飼い犬ロベルト伯爵のところへ、ちょっとしたお裾分けを持っていく」
俺は懐から、一通の封筒を取り出す。
中身は、ロベルト伯爵が裏でギルドの資金を横領している証拠の写しだ。
「第二皇女が減衰で道を塞ごうとするなら、俺は過剰な圧力で道をこじ開けるまでだ。行くぞ、セレーナ。王都の掃除の時間だ」
「ふふ。最高の夜になりそうですわ、主様」
セレーナが音もなく姿を消す。
俺は王都の冷たい風を吸い込み、ロベルト伯爵邸へと歩き出した。




