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第110話 毒の刃と聖なる祈り


 農村を囲む森の空気は、吐き気がするほど淀んでいた。

 踏みしめる土からは湿り気が失われ、まるで死人の肌を歩いているような感触が伝わってくる。


「ひどい有様ですわ。セレーナのその薄汚れた短剣と同じくらい、森の空気は不浄に満ちていますわね」


 アリシアが法衣の裾を揺らし、隣を歩くセレーナを冷ややかに指摘した。


「あら、アリシア様。それは聞き捨てなりませんわ。私の刃は主のリアム様の敵を静かに排除するためのもの。貴女のように、無駄に光を振り撒いて目立とうとする光る置物とは役割が違いますの」


「あら、失礼。私が祈りを捧げなければ、貴女のような日陰の者が歩く道さえ、呪いで塞がってしまいますわよ。少しは聖女である私に感謝なさいな。没落した家門をリアム様に拾っていただいた恩を、暗殺などという野蛮な真似で返そうとするなんて」


「ふん、没落令嬢に言われたくありませんわ。私はリアム様の影。影が光に感謝するなど、滑稽な話です。それより、右前方三丈。不快な気配がします。ご注意を」


 セレーナがメイド服の隠しポケットから毒を塗った針を指に挟む。二人のバチバチとした視線の火花を背中で聞きながら、俺は森の奥へと歩みを進める。

 この腐肉の花ミート・ブロッサムは、ベアトリクスの減衰の魔導が、土地の精霊を汚染して変異させたものだ。本来なら数年後に発生するはずだが、俺の介入で歴史の歯車が早まったらしい。シナリオではもっと後だったか。俺の存在がシナリオを改編させているということだな。本来のメインのシナリオなら豚の悪役のリアムは直ぐに死んでいるはずだからな。


「カイン、索敵はどうだ」


「間違いありません、リアム。この先の谷間に、巨大な魔力反応がある。でも、周囲の木々が意志を持っているみたいに道を塞いでいて僕の聖剣でも、切り拓くそばから再生してくるんだ」


 カインが聖剣ガラティーンの感触を確かめながら、困惑したように周囲を見つめる。


「カイン様、貴方の剣はあまりに実直すぎますわ。アリシア様、聖女としての力を少しは証明したらどうです。その大層な光で、この植物の意識を焼き切って差し上げなさいな」


「言われなくても分かっていますわ。カイン様、少し下がっていらして。勇者の剣をこのような雑草で汚す必要はありません。セレーナも毒の匂いを撒き散らさないように、そこで口を閉じていなさいな」


「あら、楽しみにしておりますわ、聖女様の御業を」


 アリシアが杖を掲げ、清浄な魔力を解き放つと、よどんだ空気が一瞬だけ澄み渡った。枯れ木が震え、俺たちの前に一筋の道が開かれる。


「クォオオン!」


 シロが勇ましく吠え、先陣を切って駆け出した。


「追うぞ。アリシア、結界の維持を優先してくれ。セレーナは俺の死角を埋めること。カイン、左右を頼む」


「はい、リアム様!」


「御意のままに」


「任せて!」


 突き当たりまで進むと、そこには異様な光景が広がっていた。地面を埋め尽くす巨大な根。その中心で、紫色の不気味な脈動を繰り返すツボミが、獲物を待つように口を広げている。


「あれが元凶ですのね。セレーナの淹れる毒入りお茶の色によく似ていて、非常に不愉快ですわ」


「ふふ、あれは鮮度が足りませんわね。アリシア様、あの中核を覆っている殻は、聖なる力への耐性を持っていますわ。貴女がいくら綺麗事を唱えても、あの殻は破れません」


「なんですって?」


「リアム様。私が隙間から毒を流し込み、内部の魔力循環を麻痺させます。その瞬間にカイン様の剣で叩くのが、最も合理的かと」


 セレーナの提案は、暗殺者らしい急所を突いたものだ。この魔物を討伐するのにいい案だろう。


「いいだろう。アリシアはセレーナが懐に飛び込むための道を、聖域サンクチュアリで固定。カインはセレーナが合図を出したら、一撃で核を断て。任せるぞ」


「あら、私があの暗殺メイドを助けるような形になるのですか、リアム様? 気分が優れませんわ」


「我慢するんだ」


「はい」


「セレーナ、失敗したら隠し持っている秘蔵の茶葉はすべて没収だからな」


「それは困りますわ。アリシア様、座標をずらさないでくださいましね? 私が死んだら、貴女の話し相手がいなくなって退屈してしまいますわよ」


「あら、せいぜい静かに死んでいただければ、私の耳が休まって幸いですわ。行きますわよ、聖域展開!」


 アリシアの放つ白銀の光が、魔物の触手を一時的に硬直させる。その一瞬の隙を突き、セレーナが影に溶けるような速さでツボミの根元へと接近した。


「腐りなさい。黒死の針」


 セレーナの手から放たれた無数の針が、花の節々に突き刺さる。ツボミが苦しそうに震え、紫色の魔力が変色した。


「今だ、カイン! 芯を喰らえ!」


「はぁぁぁ!」


 カインが放つ黄金の閃光が、無防備になった花の核を両断した。断末魔のような音を立てて、巨大な魔物は灰へと変わっていく。


「終わりましたわね。アリシア様、貴女の結界、少しだけ出力が安定していませんでしたけど」


「あら、ふらふらと影のように動くから、焦点を合わせるのが大変でしたの。暗殺者ならもっと潔く動いたらどうかしら」


「潔い暗殺者など、それはただの標的ですわ。リアム様、敵の排除を完了いたしました」


「ああ、よくやった。君たちの歪な連携が、結果として最も早く片付いた。アリシアは結界の精度は以前より上がっているな。セレーナは針の速度、腕を上げたか」


 俺が二人の肩に軽く手を置くと、彼女たちは一瞬だけ言葉を飲み込み、同時に視線を逸らした。


「リアム様に褒められるのは、悪くありませんわね。この女との共同作業でなければ最高でしたのに」


「同感ですわ。でも、リアム様のお役に立てたのなら、今日のところは良しといたしますわ」


 カインが苦笑しながら、聖剣を鞘に収める。


「でも、リアム。ベアトリクス皇女の影響がここまで及んでいるとなると、これからの物流網の再建は一筋縄ではいかないよ。第二皇女の減衰に、僕たちはどう対抗するのかな」


「分かっている。物流の停滞は、国の死だ。ベアトリクス皇女が減衰させるなら、俺はそれを上回る供給と剛性を、別の形で用意するまでだ。アリシアの祈りで大地の回復を早める。セレーナは街道に潜む不穏分子を、その刃で掃除すること」


 俺は懐から、ギルドで受け取った別の地図を取り出した。街道の完成は予定より遅れるが、完成はさせるつもりだ。


「一度王都に戻り、商人マルコを呼べ。ベアトリクス皇女に教えてやる。俺の計算が、たかだか植物一輪で狂うほど浅くないことをな」


 俺は泥にまみれた大地を一蹴し、王都へと馬車を走らせた。反撃の準備は、すでに俺の頭の中で完了している。

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