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10話

第10話 悪役は静かに神殿へ逃げたい


 砂地獄の主のデザート・デスは、もはや見るに堪えない姿になっていた。


 アリシアが放った紫色の光の杭に貫かれ、砂漠の王としての威厳は全くなく、ただひたすらにピクピクと巨大な足を震わせるだけの肉塊だ。周囲に散らばった砂の粒子が、怪物の動きに合わせて微かに震えているのが見える。


「さあ、リアム様。とどめを。この醜い怪物の経験値を、あなたの血肉になさってくださいな」


 アリシアは、まるで恋人に手料理を勧めるような無邪気な仕草で、瀕死の怪物を指し示した。その瞳の中には、情けのカケラもない。ただただ、俺を称賛し、欲望に満ちた目が輝いているだけだった。


 俺はため息をつき、腰のナイフを抜く。こういう状況では、いちいち説明するのも面倒だが、必要なことは言わなければならない。


「お前なぁ。効率って言葉を知ってるか? 素材を無傷で剥ぐって言っただろ。こんなに杭を打ち込んだら、甲殻にヒビが入るじゃないか」


 俺がそう言うと、アリシアは一瞬だけ驚いたように目を見開き、次の瞬間、瞳に涙を浮かべた。


「ああ! 私としたことが、リアム様の繊細な作業を邪魔してしまったのですね! なんという大罪。いっそ、このまま舌を噛み切ってお詫びをっ!」


「待て待て待て! 極端なんだよ、お前は!」


 俺は慌てて彼女を制止した。彼女の思考回路は完全に破綻している。感情が爆発し、何をするかわからない。今の彼女の魔力の勢いは、聖女というよりは、むしろ狂戦士に近い。そんなことを思いながら、俺は急いで真理の速読を回し、最小限の魔力で怪物の急所を貫いた。


 パァァァと光の粒子が舞い、俺の体の中に経験値が流れ込む。


『レベルが62から65に上がりました』


 その感覚は、悪くなかった。むしろ、少し興奮すら覚えるほどだ。だが、まだ終わりではない。俺は手早く、目的の金剛砂の甲殻を剥ぎ取った。アリシアが打った杭の位置を避け、慎重に切り出すことで、品質は保たれていた。それにしても、思いのほか面倒なことをさせられた。


「おい、お前ら。怪物は倒した。もう大丈夫だ」


 俺が村人たちに声をかけると、彼らは腰を抜かしたまま、震える声で答えた。


「あ、ああ、ありがとうございます、魔導師様。それと、そちらの、お連れ様も」


 村人たちの視線が、アリシアに向かう。


 アリシアは、その視線に一切の反応を示さない。彼女の視界には、俺以外の人間は背景としてすら存在していないようだった。彼女の視線は、まるで俺の体に釘付けになったままだ。


「行くぞ、アリシア。ここに長居する理由はない」


「はいっ! どこまでも、地獄の底までもお供いたしますわ!」


 彼女は嬉々として俺の後をついてくる。無理して作り笑いを浮かべる俺とは裏腹に、アリシアは笑顔を崩さず、その目には狂気じみた輝きがあった。正直、巻きたかった。転移魔法で今すぐどこかへ消えたかった。


 だが、今の彼女の異常な機動力と、魂の匂いを追うとかいうデタラメな追跡能力を考えると、下手に逃げればさらに彼女を刺激するだけだ。それに、逃げられるとは到底思えない。あの紫の翼、もはや魔力の暴走状態だ。


 今は、利用してやるしかないか。聖女としての出力はそのままに、闇属性の攻撃力まで持ってるんだ。これ以上の護衛はいない。


 俺は心を無にして、目的地である不撓不屈の神殿へと歩を進めた。


 数時間の行軍の後、砂漠の景色が続き、風が強く砂嵐が吹き荒れる盆地の中心に、巨大な石造りの門が見えてきた。神殿は、砂に半分埋もれたような状態で、まるで時が止まったかのように静かにあった。


「ここだ。不撓不屈の神殿」


 ゲームでは、ここは中盤の難所として知られている。魔力を吸収する特殊な罠がいくつも仕掛けられており、魔導師にとっては天敵のようなダンジョンだ。誰もが足を踏み入れたくない場所だが、今の俺にとっては、まさに目標地点だ。


「アリシア。この先は魔力を吸い取る罠がある。お前みたいな高出力の魔導師には、少しキツい場所だ。外で待ってていいんだぞ?」


 俺が淡い期待を込めて、そう言うと、アリシアはフフッと妖しくに微笑んだ。


「リアム様、ご心配ありがとうございます。でも、問題ありませんわ。私のこの愛は、物理的な魔力などという低俗なエネルギーを超越しておりますもの。それに、あなたを一人で暗い場所へ行かせるなんて、私の心が許しませんわ」


 だめだ。こいつ、完全に無敵モードに入ってる。


 俺は諦めて、神殿の中へと足を踏み入れた。ひんやりとした冷気が肌を刺し、同時に、壁の装飾が怪しく光り、俺たちの体から魔力がじわじわと引き抜かれていく感覚があった。


「ちっ、始まったか」


 俺は真理の速読をし、魔力吸収を遮断する特殊な術式を常時展開する。だが、隣のアリシアを見ると、彼女は罠なんて無視して、俺の腕に自分の腕を絡めていた。まるで、離れたくないとでも言うように。


「ああ、リアム様。この神殿の静けさ、まるで私たちが永遠の契りを交わす祭壇のようですわね」


「お前、魔力が吸われてるのがわからないのか?」


「ええ。吸われるそばから、あなたへの愛で補充しておりますから。無限ですわ。永久機関ですわね」


 怖すぎる。


 俺は前世でこのゲームを何百時間もプレイしたが、こんなステータスのヒロインは一度も見たことがない。彼女の魔力は、異常だ。感覚的に言えば、もはや聖女とは呼べない。何かが憑依しているような気がしてならなかった。


 早く、目的の法衣を手に入れてここを出よう。そして、こいつを撒く方法を考えなきゃ、俺の精神が持たない。


 神殿の奥から、カタカタと骨の鳴る音が聞こえてくる。魔力を吸い取られた侵入者の成れの果て、ドレイン・スケルトンの群れだ。


「よし、リアム様。後ろに下がっていて。このゴミ掃除は、私が」


「いや、俺がやる」


 俺はアリシアを制した。これ以上彼女に貸しを作るのは危なすぎる。それに、新しく手に入れた真理の速読の性能を、実戦で試しておきたかった。


「見てろ。詠唱なんて古臭い形式、俺が上書きしてやる」


 俺は右手を突き出し、脳内の魔導書を高速でめくった。狙うは、神殿の構造を逆利用した、魔力変換魔法。


「逆転。吸い取った魔力、すべて俺の雷に変えて返してやるよ」


 神殿の罠が、俺から奪おうとした魔力を、俺が強引に弾丸へと作り替える。一瞬で、通路を埋め尽くすほどの黒い稲妻が炸裂した。

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