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ユミルとも別れ一人になったセレノアは目の前のリルリル草に集中した。沢山生えてはいるものの、あちこち離れている。立って、移動して、しゃがんで、を繰り返すうちに面倒になり、地面と睨めっこしてしゃがみ込んだまま足を動かして次々にリルリル草を籠に入れていく。
なんだかすっごく貢献してる気分だ。あまり使い物にならない自分でも、こういう地道な作業は向いている。
鼻歌混じりにどんどん草を摘み取っていたセレノアは、気がつくと見覚えのない場所にいた。
「あれ……? ここどこだろう……」
森の中はどこも似たような景色で自分がどっちから来たのかも分からない。
「ユミルー! ユミルいるー?」
友人の名前を呼んでみるも返事はなかった。風に揺られた木々のざわざわという音が妙に恐怖心を煽ってくる。
早くみんなを見つけなきゃ。セレノアはリルリル草を集めることなんて忘れてあちこちみんなを探し回る。
何度も名前を呼んだが、いっこうに返事は来なかった。
と、セレノアの背後の茂みがガサガサと音を立てた。ユミルが帰ってきたのだろうか? こんなに呼んでいるのだから返事くらいしてくれたっていいのに。
少し涙目になってしまって気恥しかったセレノアは、頬をぷくっと膨らませた。
「ユミル、迷子になっちゃったかと思っ――」
ホッとして駆け寄った先にいたのは、大好きな友人なんかではなかった。
――グルルルルル。
濃い灰色の巨体。狼の形をした目の前の動物には、狼なんかよりも凶暴そうな大きな牙と鋭い爪がついている。
――ブラックウルフだ
瞬間、セレノアは踵を返して走り出した。なんでこんな所に高級魔獣のブラックウルフが? そんなことすら考えられず、ただ逃げた。
捕まっちゃダメだ、追いつかれたら終わりだ。
足の疲れも運動音痴も今は関係ない。とにかく逃げなくてはいけない。自分は剣すら持っていないのだから。
「誰か……っ! 誰か助けて! ブラックウルフがいるんだ!」
声の限りに叫んで助けを求めるが、やはり誰の声も返ってこない。
泣きながら闇雲に逃げ回る。何度も後ろを振り向いては、追ってくるブラックウルフの姿に心臓を縮ませた。
木の根っこに躓いて制服が土で汚れても構わずに走った。
沢山走って、沢山叫んで喉がヒリヒリする。それでも懸命に助けを呼んだ。
「誰か……! た、助けて……! やだ、こっちに来ないで! 誰か……!」
涙で滲んだ視界の先が明るくなる。森を抜けたのだろうか。
集合場所まで戻ればきっと教師が助けてくれる。そんな期待はすぐに打ち砕かれた。
「そ……そんな――」
セレノアの目の前に広がるのは崖だった。
慌てて姿勢を低くして下を覗き込むが、そこにあるのは絶望的なまでの木々の闇。こんなところから落ちたら命はないだろう。本能的にそう思った。
だが、背中からはブラックウルフの唸り声がすぐ近くに聞こえる。もう無理だ、自分は魔獣の生息する森の奥へ自ら足を踏み入れてしまったのだ。
疲れと恐怖で腰が抜けてしまって立ち上がることすら出来ない。
こんな森の奥、人間なんて滅多にやってこないのだろう。上質な食料を前に腹を空かせたブラックウルフは唾液を振り撒きながら大きく口を開けた。
太く鋭い牙に首から上を持っていかれそうになり、セレノアが諦めかけたその時……
「おい、大丈夫か」
「ヘ、ヘリオフェルト様……!」
最初に目に入ってきたのは艶やかな黒髪。ブラックウルフとセレノアの間に割って入ったヘリオフェルトが、剣で魔獣の牙を食い止めていた。
捲り上げられた袖から覗く逞しい腕には、血管が浮き上がっている。剣を握る手は小刻みに震えていて、ブラックウルフの咬合力の強さを思い知らされた。
ヘリオフェルトの大きな背中にひどく安心感を覚えて震えながら立ち上がる。
家同士の事情から、ずっと関わらないようにしてきたヘリオフェルトのまさかの登場に、思わず素っ頓狂な声をあげた。
「なんでここに……」
その場違いさに、ヘリオフェルトは苛々と舌打ちする。
「君だと分かっていたら助けになんて来なかった。ったく……伯爵家の人間は剣すら持ち歩かないのか」
他の級友に対しては決して出さないような冷たく突き放すような声に胸がきゅっと苦しくなった。セレノアの声だと分かっていたら、自分は見殺しにされていたのだろうか? 自分は何かヘリオフェルトに酷いことをしてしまっただろうか? そこまで嫌われるほどに酷いことを。
やるせなくて、情けなくて、怖くて、安心して、いろんな感情がないまぜになって絞り出すように紡いだ。どうしてか、心の中で思っていることとは正反対の言葉になってしまう。
「……別に、ヘリオフェルト様が来なくたって……!」
「来なくたってなんだ」
言い返したセレノアの声に、反射的に絶対零度の瞳が振り返る。全身の体温が持っていかれそうになった。
――怖い。
そう感じた瞬間、セレノアの視界の端にきらりと黒光りするものがチラついた。時間がいつもよりもゆっくり流れているように感じる。ヘリオフェルトの口がゆっくりと開く。何か言葉を続けようとしているのだろう。
妖しく光るぼやけた影は、徐々に鉤爪の形にくっきり浮かび上がる。
咄嗟に目の前の男のブレザーの裾を掴んで引っ張る。
「ヘリオフェルト様……!」
「は……?」
「え……? うわぁぁぁあ!」
踵が空を踏む。突如訪れた浮遊感に大きな叫び声をあげた。
極度の緊張と安堵でセレノアは忘れていたのだ。自分のすぐ後ろが崖であるということを。
二人はそのまま真っ逆さまに暗い崖の下へ落ちていった。




