20【白昼夢の妖精】
前の王妃の生国から使節団が来るとの知らせがあったのは、狂犬騎士が前の王妃の妹を殺害した事が発覚してから一ヶ月以上経ってからの事でした。
私の執務室に手紙を届けに来た狂犬騎士が、
「使節団と一緒にデューイ殿が帰ってくるそうですよ」
「何で?」
狂犬騎士が前の王妃の妹を殺害する為のサポートをしていたらしいデューイが、何がどうなったら使節団と一緒になって帰ってくるのでしょう?
「まさか罪人として連行?」
「あの方はアドバイザーに収まっているそうです。つまり、内通者がいる今なら使節団を全滅させる事が出来ると言う事ですが、どうします?」
「何で全滅させるのよ……」
至極真面目な顔で提案してくるのが怖い所です。
後、内通者に仕立てたデューイは貴方達と違って限りなく身体的に一般人ですから、同行者を全滅させたら帰ってこられないのではないでしょうか?
私の困惑に狂犬騎士は、
「人間を妖精だと言って追い出すような価値観の国の人達ですよ? そんな方達とまともな話し合いが出来ると思いません。災いの芽が到着する前に刈り取る事も必要だと思いますね」
「微妙に理屈が通っているように聞こえるのは気の所為かしら? 取り敢えず、貴方の言いたい事は理解したけれど、私は国が絡むような政治には無関係な貴族夫人だから許可を出さないわよ」
セルーア侯爵夫人はこの妙に血の気が多い狂犬達をどう制御していたのか、最近とても気になります。
噂では狂犬騎士の中に異様な戦闘能力とぶっ壊れた倫理観を持つ最初にして最強のリーダー格の狂犬がいて、それが狂犬騎士達を裏でまとめていると聞きますが……。
「貴方達のリーダーはどう判断しているの?」
「いつでも皆殺しに出来るから、何でも良いと」
なるほど。このリーダー犬を何とかしているのがセルーア侯爵夫人と言う事でしたか。と言うか……。
「私に尋ねなくても結論が出ているのでは……?」
「今の主人はアルマ伯爵夫人ですから。命令の優先順位が高い方に従います」
「嘘でしょ」
私が真顔で即答すると、狂犬騎士は口の端だけ上げて笑いました。
お互い大事な部分の線引きは必要ですからね。
姿勢を直し、私は狂犬騎士から受け取った手紙の封を切りました。
マリーベルが手紙を読んでいる頃、レオンは神殿に来ていた。
丁度ノエリアは用事があって家を不在にしており、マリーベルはノエリアが帰ってきた事でアルマ伯爵家に戻っていた。
「では、私は少し確認して参ります」
「頼む」
神殿の中庭。ダリアの花々が揺れる一角の目の前にあるベンチに腰を下ろしたレオンを置いて、ロアズ伯爵家の従者が治療の空き状況を聞きに行った。
この隙に、とレオンは立ち上がりかけたが、予想外の自分の体の重さに座り直すだけとなってしまった。
たった数回の毒でこのざまか……。
シラード伯爵家で毒を飲まされたレオンには、周囲が全く気付かなかった程度、非常に部分的にしか毒の影響はなかった。分類上も軽症で、同じ毒を飲まされた者達で一番量が少なかったと神官から言われていた。
その反対に、最も多くの毒を飲んでいたのがシラード伯爵家だった。
座ったまま、レオンは元婚約者のヘレネの姿を探し、周囲を何度も見回した。
縁も切れて別の女性と結婚し、今更かけるべき言葉などなかったが、レオンは純粋にヘレネの体を心配していた。
「久し振り」
レオンの背後から近付いた王太子が声をかけた。
ピタリと動きを止めたレオンだったが、声のした方を振り返る事はなく、王太子の方がレオンの正面にわざわざ回り込んだ。
「久し振り。毒を飲まされたって聞いたけど、大丈夫?」
「これはこれは。王太子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。私のような矮小な人間の事を心配して頂けるなど、まさに望外の極み。喜びのあまり私は天に昇ってしまいそうです」
嫌みを感じる程に慇懃で月並みな言葉を並べ、冷めた表情をして礼を執るレオンに、王太子はかつての友人との溝を深く感じていた。
「……マリーは元気?」
「それは一体どなたの事でしょう? 少なくとも王太子殿下は私の妹の名前を呼べる関係ではありませんから、別人の事ですよね」
「そうだね……君の妹のマリーベル嬢は元気?」
「さあ? 妹は嫁に行ってしまったので、今日元気かどうかすら分かりません」
今日の王太子についている、昔から王太子に仕えている護衛や侍従達は、にべもない態度のレオンを咎める事など出来なかった。寧ろ、レオンの態度は当然と言えるものであり、王太子の方が明らかに非常識なのだ。
「……私の侍従がマリーベルに毒を飲ませかけた事は申し訳ないと思っている。だけど、私は」
「それよりも何よりも、私は先程、妹は嫁いだと申し上げました。その上で、マリーと親しくもない貴方が妹の名を呼ぶのです? マリーの兄として、周囲にあらぬ誤解を生んで欲しくはないのですよね」
正論を突きつけられ、言葉を遮られた事にも反論できない王太子は口籠もった。
周囲に人の姿がなくとも、王太子の発言はマリーベルと親しい間柄だと取られかねない発言だった。妹が結婚して楽しく暮らしている事を知っているレオンには、まるで離縁を望んでいるかのような王太子の行動そのものが許せなかった。
友人でも臣下でもない、蔑むような目を向け、
「未練がましく妹を追いかける事は止めて下さい。私達は王侯貴族に生まれた以上、感情だけで伴侶を選ぶべきではありません。特に殿下には一方的な愛を向けて破滅した人が身近に何人もおられるのに、それでもまだ望まれるのですか?」
いくらマリーベルを望んでいたのが王太子の方が先だったとしても、誰もマリーベルが王家に縁付く事を望まなかった。
当時の王家も、マリーベルとの婚約を認める事はなかった。
「真実の愛を叫んだ人達と同列にされるのは嫌なんだけど……まあ、傍から見たらそう見えるか」
距離を取って王太子はレオンの座るベンチの端に座った。
レオンは小さくため息をついただけで、文句を言う事も立ち去る事もなかった。
しばらく二人でダリアの花を見つめていた。
子供の頃に遠くで遊ぶマリーベルを一緒に見ていた時と同じように、ぼんやりと。
何も喋らないし、何も動かない。
子供の頃、二人は立場に興味がなく互いに何も求めなかった。大人になった今は互いへの失望から、何も求めなくなっただけだった。
「……小耳に挟んだんだけど、アルマ伯爵夫人は私の従兄の事を調べているんだってね」
「単に調べるというのも人聞きが悪いですね。あくまで『妖精』かどうかです。私には神殿が何をしたいのか、さっぱり分かりませんね」
「確かに神殿が何を考えているのか分からないよね。けど、恐らく難しい話じゃないと思うよ」
次の予定がある王太子は勢いよく立ち上がった。
「『妖精』なんて得体の知れないもの、気持ち悪いだろう?」
レオンは王太子を見たが、王太子はダリアの花に目を向けたままだった。
マリーベルとは違い、王太子はダリアに思い出はない筈だった。けれども、今の王太子がダリアに向けている視線の向こうには、フランベルの幻影があるようにレオンには思えてしまった。
「アルマ伯爵夫人に一つだけ伝えてくれる? 内容を君が判断して伝えるか伝えないかは決めて良いけど」
「……アルマ伯爵にも伝えて良いなら」
「別に構わないよ。こんな秘密、今更隠しても意味がないからね。余所で言っても構わないし、君達の好きにしたら良い」
目が合った王太子は笑っていた。その心理は、友人ではなくなっていたレオンには分からなかった。
「伯母である前の王妃はね、自分の子供の年齢を偽っていたのさ。従兄は本来の年齢より二つも上の年齢とされていた。だから、いつでも同年代と比べたら賢くなく、愚かだった」
勉強をさせなかったのは、愚かに育てたかったからなのか。年齢を偽っている事を知られたくなかったからなのか。
叔父である今の国王も、前の王妃が何故そんな事をしたのか知らない。
レオンの前を通り過ぎる際、王太子は一言、
「前の王妃がいなければ、きっと誰もが幸せに暮らしていただろうね」
いなかったとしても先王が愚かだった事は何も変わりなく、別の問題が起きていた気がしたレオンだが、どうせ叶う事はなかった王太子の願望に口を挟む事はしなかった。
幼い頃からマリーは全然王太子に興味がなかったからな……。
ロウリスと会わせた時とのマリーベルの態度の差を思い出し、レオンは苦笑いをするしかなかった。
お話聞いて。
お話ししよう。
「お菓子、美味しいね」
『美味しいね』
誰もが愚鈍だと笑った。そして、避けた。
話しかけても直ぐに何処かへ行ってしまう。
『花、綺麗だね』
「綺麗だね」
ヘレネも同じだった。
愚鈍だと笑われ、要らないと言われ、誰からも避けられた。
今は氷のように冷たい手だけど、ヘレネにとっては誰よりも何よりも大事な手だった。
『ねえ、いつ結婚式を挙げようか?』
人間の婚約者など意味はない。
互いに利用するだけの、ただの飾り。
「全ての悪夢が終わってから」
白昼夢の世界を続ける為に、ヘレネは悪夢を終わらせる。




