19【彼女の毒は絶望に至らしめた】
世の中に毒を盛られた王侯貴族は数あれど、激薄で古い毒を飲まされかけたのは私の他に何人いるでしょう。
「あの毒って腐る種類だったかしら?」
「先輩、食べ物じゃないですから。劣化、もしくは変質があるそうです。……ただまあ、どんな環境に置かれていたのかも分からない二十年物の毒ですから、どの程度効果が落ちているのか変わっているのか、検討もつかないとの事です」
「ワインみたいに熟成したと言うの? ……やっぱりマリーの言う通り、お腹を壊しそうな毒ね」
ノエリア様とマルスのやり取りはあまり頭に入ってきません。
ただの毒よりも飲みたくない物を飲まされかけた事実に、私はかつてなく動揺していたからです。
公共の場で毒を盛るパフォーマンスの方が必要だったとしたら、激薄でも本物の毒を使う必要はありません。毒を使うなら、確実に効果が出る濃さと量に加え、劣化していない物を使わなくては意味がありません。
確実に毒を飲ませたかったら、王太子の侍従でしかなかった者を使う理由もありません。
……そこまでは思い至ったのですが、それ以上は今は頭が回りませんでした。
「私には余程新しい毒を買うのをケチったと言う事なのね……」
「騎士団の見立てでは、新しい物を入手出来なかったのだろうとの事ですよ。今は処罰ありの禁輸対象品ですから、それこそセルーア侯爵夫人のかつてのご友人のような方でない限り、国内に持ち込むのは難しいのですよ」
「そう……毒瓶の持ち主は金なし伝手なし頭脳なしって事ね。ふうん」
そして、一年前に使い切った毒瓶を未だに持っているような人物ですか。
へー、ふーん、ほー……やっぱり意味不明な部分が多過ぎて、私の頭はほとんど回りません……。
「毒瓶の持ち主、ですか。黒幕ではなく」
「どんなに考えても私に毒を持った事だけが浮いているでしょ。なら素直に私だけ別の思惑、別人の意図があったと考えても良いと思ったのよ」
「ああ……そう言う」
情報はかなり出てきたと思っています。けれど、まだ決定的な核となる情報が欠けているようで、上手く話が繋がりません。
ノエリア様は私と反対側のソファに腰を下ろしました。
「毒瓶ねぇ。二十年以上前からあると言う事は、毒瓶の元の持ち主は前の王妃ってところかしら?」
マルスは上目遣いでノエリア様を一度見て、何事もなかった顔に戻りました。
「……それは現時点では分かりません。あの毒は有名な毒で、当時いくつかの家が持っていたと言われております。そのどれかの可能性も否定出来ません」
「さっき貴方、保存が悪かったと言ったのに? その噂があった貴族なら高価な毒を劣化させる事もないし、まして足が付く流出なんかさせないわ。この時点で行方不明となっている前の王妃の毒で決まりよ」
「断定しているなら聞かないで下さいよ……」
取り敢えず、ノエリア様とマルスは言ってはいけない情報をお話ししているのではないでしょうか?
前とは言え王妃の、王族の毒が流出して外部の人間を害していたって大問題ですよね。絶対に王立騎士団の秘匿情報です。
先輩後輩でじゃれ合うノエリア様達を横目に、私は一度深呼吸をしました。
……つまり、一年前の女性達が毒を盛られていた事も、シラード伯爵家の没落の真相も、騎士団が一切合切発表しないのは、毒の流出を気取られない為ですか。
今の王家も盤石の態勢とは言えないのに、前の王家の負の遺産を回収できていない事実が明るみに出たら、隣国との関係にも差し障りがあります。まして、フランベルの元恋人を殺した毒なら、隣国の毒。
……少し、変ではないでしょうか。
「前の王妃は何故毒を持っていたのでしょう?」
ノエリア様は言葉を選ぶように、
「……恐らく自害用よ。女性は何かと恐ろしい事がついて回るから」
「いえ、そうではなく、毒は毒でも何故隣国の毒を持っていたのでしょう?」
毒性の高さで有名なあの毒は非常に恐れられ、権力者であっても入手が極めて困難であると聞いています。
隣国のこの国でも、当然手に入る物ではありません。
「前の王妃の毒の入手経路ですか? ……ここだけの話、記録には『私物』としか記載がなく、自害用として王家に入る前から持っていた物だとしか」
「……既に毒があったなら、騎士団が気にするのは使い方の方だから」
私としては責めている訳ではないのですが、私の言い方が悪かったのかも知れません。まあ、そのまま話を続けますが。
「前の王妃の生国はかなり遠い国ですよね。ならば、あの毒はこの国以上に入手不可能の筈です。前の王妃はどうやってあの毒を入手したのでしょう?」
生国を追放された女性が持つような毒ではありません。
それをどうして前の王妃は持っていたのか。どうやって手に入れたのか。
そんな危険な毒を持っている女性を、どうして王妃として迎え入れたのか。
いえ、そもそも国外から来た生国から追放された女性が、何故王侯貴族の子女が通う学園に入る事が出来て、王子と出会えるのか。
「そもそも前の王妃は何故この国にやって来たのでしょう?」
かつてロウリスが爵位を継ぐ際に最初に行ったのは、王都に点在するアルマ伯爵家名義の物件の整理だった。
家賃収入の見込めそうな物件には手を入れたり、手間がかかりそうであれば売却したり……これらは全て結婚前に行った事なので、マリーベルが知っているのはあくまで見た目通りの運用している物件だけである。
王都に数カ所。表面上アルマ伯爵家の名義ではないが、ロウリスが直接管理している物件があった。
主に騎士団やその周辺が密談に利用し、人目を避けた騎士団長がロウリスを呼び出したのも、その内の一つだった。
「ロアズ伯爵の容態は?」
入ってくるなり挨拶もなく、騎士団長はロウリスに尋ねた。
この場所で必要なのは礼儀ではなく情報である。ロウリスも椅子から立ち上がる事もなく、
「マリーからの伝言では、ベッドから半身を起こせるようになったそうです。治りが遅いのは、変質した毒だからですか?」
「個人差があるから何ともな」
騎士団長は外套も脱がないままロウリスの前の席に座った。
極力家具を置いていない殺風景なその部屋には、外よりも冷たく冷え切った空気が流れていた。
ロウリスは不機嫌さを隠さず、騎士団長は目を伏せたまま。
「……騎士団も神殿も、私の目には前々からあの毒を知っていて警戒していたように見えるのですが、どういう事でしょう?」
現場での毒入り紅茶の回収からして神官は冷静で手際が良かったと、ロウリスは狂犬騎士から聞いていた。
毒の検出にしても通常異常が出ない量であれば神殿でも放置する方針だというのに、限界まで混入の痕跡を確かめたと聞いて、ロウリスは違和感を持った。
決定的だったのは、毒を盛った侍従が何日も放置されていた事だ。
口を何度か閉じたり開いたりを繰り返し、最後は騎士団長も諦めたように話し出した。
「……あの毒は王太后を殺したものと同じ種類の毒だ。騎士団は最後まで毒の行方を追跡せよと先々代の国王の遺言があった」
ロウリスも王立騎士団が正義の味方ではない事は知っている。騎士団にとって優先すべきは王家であり、元王家が命令を変更していなければ先々代の国王の遺言に従う他はない。
だが、それで騎士団の独断専行が許されるかどうかは別の話だ。
自分の親友と妻が毒の危険に晒された元部下の怒りを前にして、騎士団長はもう大きな変化は起きないと油断していた自分を恨んでいた。
「誰が王太后を殺したのか、我々は調査し続けなくてはいけない。噂の中には先々代の国王が王太后を殺したなんてものもあるが、当時も調査に参加していた私からしたら、少なくとも先々代の国王が妻を殺したなんて事はあり得ない」
当時、先々代の国王夫妻の仲はどうしようもない程に拗れていたのは事実だ。先々代の国王が妻を蔑ろにしていた事も間違いない。
疑惑の目が向けられるのは仕方なかったが、余程疑わしい人物は他にもいた。
「犯人は陛下の実母とかないのですか?」
「ない。彼女は陛下を産んで直ぐに死んでいる。それに隣国の元王女であった王太后を差し置いて王妃に成り代われる程の家の出ではないし、元より慰謝料目当てで実家の借金の清算目的だったからな……」
今の国王の裏事情に、ロウリスは何と言えば良いのか分からず俯いた。
道理で兄を追い落とす事に消極的だった訳である。
だが、その隣国の王家の血を引いていた兄の所為で隣国を怒らせたのだから、最早皮肉というレベルの話でもないと、ロウリスは深いため息をついた。
「まあ、王太后の話は今はいいでしょう。それで、騎士団はシラード伯爵家に毒が盛られていた事は知っていましたよね?」
「当時の王妃のやる事だから見て見ぬ振りをしていたと言うべきだろう。ただ、今も盛られていたと分かったなら止めていた。そこまでする必要なんてないからな」
毒を長期間投与された場合には治癒魔法でも完全回復出来ない。今も神殿で治療を受けている元シラード伯爵家の者達は、ヘレネを除き、今後目を覚ます事もないと言われている。
「前の王妃は自分の息子を有力貴族の娘と結婚させたかった。だから、シラード伯爵家の娘を認める事が出来ず毒を盛った」
「それって……」
「王太子妃を出すにはシラード伯爵家はそもそも家格が足りない。前の王妃が選ばれた時は状況が特殊だっただけだ。シラード伯爵家に毒を盛る必要など何処にもなく、事実を知った王家は隠蔽する事を選んだ」
何もしていなかったシラード伯爵家を消す事は出来なかったとも言えるし、セルーア侯爵家などが事件を嗅ぎつけたときに少しでも王家に対する印象を良くしようとしたとも言える。真相は全員鬼籍なので分からない。
「毒で壊れてしまったシラード伯爵家を維持する為に人をやり、ヘレネに償いの意味も込めて当時のロアズ伯爵令息を婚約者に据えたと聞いている」
ロアズ伯爵家には何の打診もなく、当然メリットもない話だった。
マリーベルが母から受け取った手紙の通り、ロアズ伯爵家からしたら母が側妃にならなかった報復以外の何ものでもなかった。
「レオンにはいい迷惑ですよ」
「ああ。しかも、何かあればネーヴェ公爵家が助けると王家は考えた」
「問題のある家ごと押しつけて?」
「誰でもそう思うのにな。当時の王家の身勝手な期待をした。王家の尻拭いをする気はないネーヴェ公爵家は動かなかった。これまでは」
王家も弟王子と入れ替わり、世間が前の王妃の事などすっかり忘れてしまう程に時は流れていた。
時間経過に倣って状況も変化すれば、人の心も当然のように移り変わらざるを得ない。
「お前も気をつけろ。ロアズ伯爵自身が攻撃された。間違いなく、ネーヴェ公爵家は動き出す」
立ち上がった騎士団長に声をかけようとしたロウリスは僅かに遅く、直前で周囲の警戒に当たっていた筈の特殊部隊が部屋に駆け込んできた。
「大変です。一部の騎士がロアズ伯爵家で問題を起こし、再教育場に運ばれていきました!」
しばらく固まった後、騎士団長は涙目でロウリスを振り返った。
再教育場に騎士が連れて行かれた場合、高確率でその上司も呼び出される事になり……最終的には騎士団長がかつての上司達からこっぴどく怒られる事になる。
ただでなくてもロアズ伯爵家にはノエリアがいるのだ。
この場にいた誰にもロアズ伯爵家に向かった騎士の心理が理解出来なかった。
「自分から地獄に飛び込んだのですから、仕方ありません」
「シフトに穴が開くんだよ! 調整が面倒なんだよ! 体力底なしのお前らが抜けたから大変なんだよ! あんまり手が足りなかったら呼び出すからな!」
ロウリスもノエリアも騎士団を辞めたとなっているが、実際には騎士団に籍を残したままだった。有事の際の補助要員枠でもなく、騎士団長権限で通常時の補助要員で確保されていたのだ。
「この前体力切れで私も寝込んだので、ご期待しないで下さい」
「それは絶対にただの知恵熱だ! 巫山戯るなよ!?」
散々ロウリスに悪態をついてから、騎士団長は本部に戻って行った。
一人部屋に残ったロウリスは、椅子に座り直すと、
「……ネーヴェ公爵家には私が謝っておくしかないのか」
多分シフト調整などで騎士団長は一番大事な所が頭からとんでいるだろう。
マリーベルもいた筈のロアズ伯爵家に行った騎士達が戻ってこられるかどうか。それもかかっている重要な手紙を、ロウリスは静かに書き始めた。
その女は息子を守れる家の娘が欲しかった。
「クレアがあの子を支えてくれたら」
リシス公爵夫妻は、その女が何もしていないシラード伯爵家に毒を盛った事を知っていた。
にこやかな笑顔を保ったまま、
「絶対に逆らえない立場の娘の方が宜しいのでは? 有力貴族と近しい血縁のある伯爵家の令嬢がおります」
いつでも自分の味方をしてくれるリシス公爵夫妻に言われたので、その女はとある伯爵家の令嬢と会った。
シラード伯爵令嬢と同じく伯爵家の令嬢だが、後ろに公爵家がいるのはその女にとっても悪くない。嫡男がシラード伯爵令嬢の婚約者というのも常に目が届きそうなので悪くない。
悪くないだけで良くもないのがフランベルだった。だから丁度良いと女は考えたのだが。
「ねぇ、王子様と結婚したいでしょう? なら、私の言う事を聞きなさい」
「どうして?」
「幸せな結婚がしたいでしょう?」
最初は間違いなく本物のフランベルだった。
それがフランベルが妖精との入れ替わり何度も繰り返している内に、その女はとうとうフランベルの姿をした妖精に話しかけてしまった。
「幸せな結婚をして、幸せなお姫様になりたいでしょう?」
「何で?」
「だから……」
フランベルに擬態した妖精は笑った。その顔は、その女が最も恐れる実妹の顔とそっくりだった。
「あんた、ここまで来たのに大好きな王子様と結婚できなかったんだってね。やっぱり『妖精』だから」
その声も抑揚も妹と寸分違わず。
その女はフランベルから逃げ、フランベルは二度と関わる事はなかった。
天気連動の不調なので、なかなか……
天候回復したらスピードアップします。




