18【毒を飲んでいない者が犯人】
かつてシラード伯爵家で働いていたメイド達が数人姿を消した。
メイド達はいずれもシラード伯爵家にいた頃と同様に新しい職場でも勤務態度が悪かった。どうせ仕事が嫌で逃げたのだろうと思われ、今の雇い主達は行方不明届を出す事もなかった。
地方に住んでいる両親とも王都で働き始めてからは連絡を取り合う事もなく、兄弟姉妹もそう言えばいたなと思い出す事がある程度。
誰一人いなくなった事を心配する者はいない。
彼女達にはそんな価値しかなかった。
平民の若い女性が見た目の煌びやかさに惹かれ、貴族の妻や妾になりたがる事自体はよくある話だ。
だが、高位貴族の妻や妾になりたいと平民女性が本気で望むのであれば、人知れず殺されても文句は言えない事だけは理解していて欲しかった。
「ロアズ伯爵に薬を盛って、どうするつもりだったの?」
騎士団の牢に放り込まれていた彼女達は、ノエリアの質問にもキョトンとしているだけで、自分達の置かれている状況も全く分かっていない様子だった。
話を聞くまでもなく彼女達に罪の意識は一欠片もない事が見て取れて、騎士としても妻としてもノエリアには気にくわなかった。
一服盛って肉体関係を持ったら。そんな勘違いしている平民女性は多い。
だが、それは相手が貴族女性であったら考えるかもしれない程度の話であり、純潔であるとは限らず受け入れる事にもメリットがない平民女性など、わざわざ考える余地もなかった。
貴族にとって平民は平民なのだ。
実際に一夜を共にしたとしても、良くて娼婦扱い。薬を貴族子息に盛ったと判明すれば、審議もなくその場で死刑が確定するのが平民の立場である。
そんな当たり前の事情を何も分かっていなかった事も確実に彼女達の罪となっていた。
これでも飲ませたのが媚薬であったなら、ノエリアもギリギリ理解出来た。
彼女達がレオンに飲ませたのは貴族としての生活に支障をきたす毒であり、レオンの体を壊すだけのものだった。正直ノエリアには彼女達の考えが全く理解出来なかった。
「取り敢えず、ロアズ伯爵家をシラード伯爵家と同じように没落させたかった?」
「それだけは違います! 私達は……確かに、愛人になれるならと思いましたが……」
ノエリアは嘘をついた彼女達に一層冷たい目を向けた。
「愛人じゃないでしょ? 貴女達は正妻になる事を望んでいた。だから、シラード伯爵令嬢には何度も毒を盛っていたのよね」
シラード伯爵家もなくなり、彼女達は最早罪に問われる事もなくなったと思ったのだろう。
騎士団の手の者が少し高い食事と酒を提供し話を向けただけで、彼女達はペラペラとシラード伯爵家で行った自分達の悪事を話した。騎士団関係者が鼻白む程の罵詈雑言と共に。
「私達は毒なんて盛ってません! 酷いです! 前のお嬢様に対して私達は誠心誠意仕えていました。毒なんてそんな恐ろしいものを……」
「そうです! そんな事はあの屑女……お嬢様の妄想です。嘘をつくのでお嬢様は使用人の中でも評判が悪い方でしたから。調べて下されば私達が無実だって直ぐに分かります」
「私達の方がお嬢様の被害者なんです! レオン様もそう仰って下さいますから」
ノエリアの横にいた騎士が力一杯鉄柵を叩いた。
騒いでいた彼女達は大きく体を震わせて口を閉ざした。
「……貴女達も毒を飲んでるの? 当然調べてから貴女達を捕まえた以外ある訳ないじゃない」
怒りも呆れも通り越したノエリアの声は平坦だった。
いくら『死なない』毒とは言え、持っていた毒全てを飲ませ切ってからシラード伯爵家から去った女達は、これまで相手をしてきた凶悪犯の神経と勝るとも劣らない神経の持ち主だった。
「で、でも……きちんと調べたら、私達が本当は被害者だって……!」
「牢に入れられて騎士に恫喝されて罪を突きつけられておいて、尚、言い返す事が出来る図太い女が被害者になる訳ないでしょう」
ノエリアだけに限らず、少し離れた場所に控えている年配の騎士達も、涙を流して怯えるどころか震える事すらない彼女達が到底か弱い存在とは思えなかった。ノエリアの後輩の騎士達に至っては、罪を逃れたい一心であったとしてもあり得ない嘘を並べる彼女達に震え上がっていた。
ノエリアだけが艶然と微笑んでいた。
「貴族の正妻の前で夫の名前を呼ぶ覚悟もあるようだし」
その言葉に、自称愛人候補の彼女達は一様に顔色を失った。途方もなく無知であった彼女達も、貴族の夫の愛人となった平民女性は正妻からどんな扱いを受けても耐え続けるしかない事を知っていた。
当のノエリアは口振りの割に、最早彼女達への気持ちなど凪いでいたが。
「貴女達は平民なのよ? この国では平民が高位貴族に嫁ぐ事を認めていないし、その間に子供が生まれたとしても一切の権利を持つ事が出来ない。『まだ』レオンからの愛もないのに、夢ばっかり見ていて恥ずかしくないの?」
「五月蠅い! そっちこそ愛のない結婚のくせに! 私達はあんたとは違って、愛は確かにあるのよ! どうして平民だからって……」
「貴女の愛に価値がないからよ」
ただの平民でしかなく、何かの事情を汲む必要もない彼女達は、この後聴取される事もなく処分される。
話の裏を疑っていたノエリアは、その前に彼女達に話を聞いて真相を確かめようとしたのだが、話を聞く価値もない事を悟った。
「はあ!?」
「だって、貴女の話を信じるとしたって、貴女の愛はレオンに毒を盛る事なんでしょう? そんな愛にどうして価値があると思うのよ」
うんざりしていたノエリアは投げやりに言った。
そもそもレオンにも彼女達にも愛などないのに、互いの愛を前提とした会話は限りなく不毛だった。
「そんなに愛人になりたかったなら、まず貴女達は本当に誰かときちんと恋愛をしてから、愛人希望だとレオンに頼んで了承を得た後に、私にきちんと頭を下げるべきだったわね」
後半はどこの貴族でもある妾になるときの最低の手順だが、彼女達が恋も知らない前提の話に、騎士の幾人かが堪らず吹き出した。
「……直ぐにレオンが迎えに来てくれるわ」
ボソッと彼女達の誰かが呟いた言葉にノエリアは何も言い返さず、踵を返した。
無邪気な子供のように貴族に嫁ぐ事を夢見てる彼女達には、たとえレオンが直接何かを言ったとしても無駄であろう。
通路の先でノエリアの騎士時代の上司が待っていた。
思わず片眉を上げたノエリアに、ニコニコと上司は話しかけてきた。
「念のため、神殿に連絡を……した方が良いかな?」
「それは止めた方が良いでしょう。神殿に記録が残ります」
それ以上相談されても迷惑だったノエリアは歩みを止める事もなく、そのまま騎士団を出て行った。
あまりにも気分の悪い事件だった。
夢ばかり見ていた筈の『眠り姫』の真実に、元騎士としてノエリアは気付く事が出来なかった自分を責めていた。
たとえ当時暴いていたらノエリアはレオンと結婚する未来はなくなっていたとしても、ノエリアは誰かを犠牲にする幸せはいらなかった。
ロアズ伯爵家の馬車に乗り込んだノエリアは、
「あーの糞女!」
その叫びは馬車の外にも届いたが、御者も周囲の騎士達も何事もなかった事にした。
ノエリアの怒りのとばっちりを買う事が怖かったからに他ならない。
その日、何故か騎士団から四人の騎士が尋ねてきました。
ノエリア様はまだ帰ってきていませんし兄も体調が思わしくなく、仕方なく私が対応に出るしかなかったのですが、
「ロアズ伯爵令嬢が毒を飲まされたと報告がありました。それについて騎士団でお聞かせ頂ければ」
「先日その件で、騎士団本部で副団長様にお会いしましたけど?」
「……えー、では、体調を診る為に神殿に……」
「私は毒を一滴も飲んでいません」
「いやでも、万が一匂いで毒が回るタイプかも……」
「神殿からほぼ水と言っても良い激薄の毒だったと聞きましたが?」
騎士達は押し黙りました。
二人の制服は本物っぽいのですが、質問内容も謎ですし、私の後ろに立っている狂犬騎士に警戒していない事も引っかかりました。
「……あー、ただ私達はロアズ伯爵令嬢の身の危険を心配しているのです。そこだけは重々ご理解下さい」
「まず、ロアズ伯爵令嬢なんて者は実在しませんけど、誰の事を心配しておられるのです?」
詐欺にしては随分……。
素人にしてもあまりに基本が入っていない騎士っぽい人達に、狂犬を前に出すのは可哀想な気がして躊躇われました。
「あの毒についての検査結果は神殿から騎士団に送られたと聞いています。素人の私に話を聞くより、そちらの書類を読んで頂ければ早いでしょうね」
私の言葉に戸惑う騎士達は気配もなく後ろから肩を掴まれ、文字通り飛び上がりました。
ノックの音どころか扉の開く音も聞こえなかったのですけど、
「ようこそ、ロアズ伯爵家へ! ええ、貴方達も私の後輩だから歓迎するわ。当然、覚悟は出来ているでしょうね?」
今のロアズ伯爵家の女主人に、嫁いで外に出ている私が何かを言える筈もありません。
ノエリア様の顔を見て慌てて蜘蛛の子を散らすように逃げだそうとした騎士っぽい方達の前に立ち塞がったのは、
「お帰りには早い時間ですよ?」
ようやく狂犬騎士に気付いて、その場で倒れた人もいました。
「一般の騎士ってこんなにも繊細なんですね……私も使用人も倒れた事がないのに」
「こんなの『もどき』に決まっているでしょう。さあ、これから一人前の騎士にしてあげないとね!」
私は頗る元気そうなノエリア様にほっとしました。事情を知らない私には、まさか八つ当たりする相手を見つけて喜んでいたなど分かる筈もありませんでした。
ノエリア様が手を叩くとロアズ伯爵家の力持ち達が集まってきて……
「まずは制服を脱がせないと。逃げた先で騎士と分かっては騎士団の恥となりますからね」
あれ?
疑問を声にする前に騎士達はあっという間に制服を剥ぎ取られたので、私は口を閉ざしました。
それからしばらくして、息を切らせてロアズ伯爵家にやって来たのはマルスでした。
駆けつけてくるのが遅かったので、袋詰めされて何処かに運ばれていく同僚の姿を見送る事しか出来ませんでした。
「あいつら……五体揃って帰ってきたら合法なんですよね?」
「私に疑問形で尋ねられても。……もし仮に五体揃わなくなった上で帰ってこなかったら、それはそれで合法で良いの?」
私とマルスは脱がされ山になっている騎士団の制服をじっと見つめました。
「もしかして……私達がするべき事は制服を燃やす事かしら?」
「証拠隠滅は止めて下さい。私が回収しますから……」
袋詰め作業を終えたロアズ伯爵家の護衛達に余った縄を貰ったマルスは、乱雑に纏め始めました。
人間は袋に、制服は縄に……。
騎士っぽい人達が縄で縛られるだけで済まず、袋に入れられた事に今更ながら闇を感じました。
「そう言えば、アルマ伯爵夫人。夫人に毒を盛った例の侍従の死亡が確認されました」
縛り終えた制服の塊を転がし、マルスがついでのように言いました。
「へー」
「激薄の毒を持たされていたと教えてやれなくて、我々としては非常に残念な気持ちでいっぱいです」
「その辺りの情報、特殊部隊で止まっているの? さっきの騎士っぽい人達は何も知らなかったわよ」
私を連れ出そうとしていた事も謎です。
力尽くで連れ出そうとしていなかった事だけは評価出来ますが、持っていた事前情報も相当変でしたし。
「そもそもロアズ伯爵家が私の嫁ぎ先だと知らなかった人達だから、考えても仕方ないわよ。まあ、気が向いたら聞いてみるわ」
袋詰め騎士の運搬を指示しに行っていたノエリア様が戻っていらっしゃいました。
ふと、トカゲの尻尾にもなれない騎士は早く死ぬと、何かの拍子にロウリスが言っていた事を思い出しました。あの騎士っぽい人達は袋詰めされてしまいましたが、死なずに済んだ上に再教育の機会まで得たのですから、寧ろ幸運な方なのかも知れません。
「それで、何の毒だったの? シラード伯爵家やレオンとも同じ毒を盛るなんて、私には意味が分からないわ」
「意味の方は調査中ですが、毒については王太子の元家庭教師が殺された毒と同じ種類の毒だと判明しています。なお、その元家庭教師の時の毒はその一回で使い切っている事も分かっているので、同じ種類ってだけですからね」
元家庭教師の事件については動機も犯人も解明されていますから、言われなくても完全に今の流れとは違う別の事件だと分かります。時期も違いますし、その事件については何の違和感もありません。
違和感があるのは、私や兄、女性達やシラード伯爵家が盛られた毒の方です。シラード伯爵家は一体いつから盛られていたのでしょう?
その時系列を考えていくと、何やら不穏な方向になりそうで……。
「少なくともアルマ伯爵夫人の盛られた毒は『古い』です。神殿の検査で毒が製造されのは二十年以上前と結果が出たそうです。しかも、保存状態も良くなかったそうで」
「それだけで人間の飲む物じゃないでしょう! まさかお腹を壊す可能性があったから激薄になったなんて言わないでしょうね!?」
激薄の毒薬は更に、腐っていてもおかしくない毒だったなんて、誰が知りたいと思うでしょう。
正直世の中の毒殺など毒に関わる方々には、用量を守った上で新しい毒をお使い頂きたいと思いました。
更新が遅れていて申し訳ありません。
何とか早めていけるよう頑張ります。




