17【血は水よりも濃く、水は果てしなく薄い】
私が盛られた毒について検査が終了したと神殿から連絡が来ました。
一週間もかからなかったのは早いのか、遅いのか、門外漢の私には分かりません。
神殿からの手紙を読んだロウリスは何とも言えない顔をして、
「……神官がアルマ伯爵家まで赴いて下さるそうだ」
「あら、私から聞きに行きましたのに」
「対外的な名目は私の不調の診察らしい。周囲にもしっかりとそれを周知させるようにと書いてある」
毒の事ですから神殿が警戒する事は理解出来ます。ですが、ここまで警戒しなくてはいけない理由は分かりません。
それに何故か、聞かないと言う選択肢もない事も。
何だか何処もかしこも闇ばかりに思えてきて、私は神官が来られる前に早々に疲れ切ってしまいました。
時間通りにアルマ伯爵家にやって来た神官は、私が毒を盛られた場で容器ごと毒物を持っていった女性神官でした。
ます最初に、
「この件について、神殿では無駄に聞き耳を立てる者を排除しきれないと我々は判断いたしました。何でも面白おかしく首を突っ込もうとする人が多くて困ります」
との言い訳のような前置きがあった後、
「アルマ伯爵夫人が盛られた毒について、簡単にご説明いたしますが……あの毒は、私達も検出に手間取る程にとてもとても薄い毒でした。恐らく、お茶に入れられる前の時点で既に相当希釈された毒だったと思われます」
……激薄の毒?
取り敢えず、薄めた事で変化する筈の毒の効果について思案する前に、見知らぬ首謀者に思いっきりケチられたような感じがして……私はショックで一瞬言葉を失ってしまいました。
どう考えても全然意味が分かりません。
「……えーと、そんなに薄めて薬の効果は出るのでしょうか?」
「出ないとは断定出来ませんが、出る可能性は非常に低かったでしょう」
まず、それを私に飲ませる意味があるのでしょうか?
意味不明が多過ぎて混乱しかけていた私は、気持ちを落ち着かせる為にお茶を一口飲みました。
「……毒を盛られた後ですが、夫人は問題なくお茶を飲めるのですね。私達はそれも心配しておりました」
「私はただ、当人の目の前で盛るというシュールな姿を見せられただけです。それに、不思議な事にあの時は神殿の警備兵も動かれなかったでしょう? とても不思議な光景でしたから、今でも夢だったと思うときもあるのですよ」
「それは……普通に夫人の後ろの騎士が恐ろしくて動けなかったと報告がありました」
「ごめんなさい。そこは私の配慮が全然足りなかったのね」
武器を持っている人は、じゃれついて来るかも知れない狂犬騎士には迂闊に近づけません。
毒を盛った侍従が去るときに誰も追いかけなかったのも、王太子が一緒だったからではなく、あの場に狂犬騎士がいたから他の方々は邪魔しないよう配慮されたのでしょうか。……それなら私の指摘は大失敗の勘違いです。
取り敢えず、私も女性神官も笑ってその場を誤魔化しました。
一方で、犯人の侍従については数日前から行方不明になっていると、ロウリスから聞かされていました。
確実にトカゲの尻尾切りをされたのでしょう。
騎士団で私が副団長に指摘した後、更に数日経ってからの捕縛の決定は当然間に合わず、侍従は既にこの世にいないと私は思っています。
残った最大の謎は、あの侍従は誰から毒を受け取ったのか。
そして、目の前にある謎は、神聖な神殿で毒を盛った侍従の事には一切言及しない神官ですか。
何処に何が繋がっているか分からない私は、慎重に何を口にするか考えました。
「そう言えば、私が飲まされかけた毒は以前、婚約破棄や離婚をしたくて問題を起こしていた女性達が飲まされていた毒と同じ可能性があると、先日訪れた騎士団で言われました。やはり同じ毒ですか?」
女性神官は眼鏡を押し上げ、
「同じと言えば同じ、違うと言えば違います。はっきり申し上げると、女性達の飲まされていた濃度とは全く違うのですよ。具体的にどれくらい違うのかというと、女性達は毒と言える濃度でしたが、アルマ伯爵夫人に用いられた物は、毒の入った瓶を一度洗って二回目の水を入れた程度のものです」
「それって毒……?」
「毒の効果を期待するのは難しいでしょうね。ギリギリ毒が検出されただけの毒とは言いがたい物です。どうしてこの濃度の物を持ち出したのか、私達も気になる所ですね」
最早水と言っても過言ではない毒を盛られた私自身も滅茶苦茶気になりました。
ケチを越えて二回目の洗浄液までも使おうとした理由など、私にも全く想像がつきません。犯人の侍従が消されていなければ、これはいっそ神殿を始めとした検査機関への挑戦だったと考えたでしょう。
首謀者は敢えてこの薄さにしたのか、はたまたこの薄さにするしかなかったのか。
前者はともかく、後者だとしたら最早元の毒は残っていないでしょう。その場合、私に使われた分が本当の意味で最後で、次の事件が起こる心配はないと言う事でもあり……やはり、そこまでして私にこの薬を飲ませたかった理由が気になってしまいます。
「差し支えなければ教えて頂けませんか。もしも、私が一年前の女性達と同じ濃度の毒を飲まされていたら、どうなっていたのでしょう?」
「……私の言い方が少し悪かったですね。女性達が飲まされていた毒は扱った者が限りなく素人でしたのか、濃度が全員違っていたようです。摂取量が違えば、毒の影響の程度も当然異なりますし、個人差もあるのですから、例え話でもどうなるとは明言出来ません」
敢えて口は出しませんが、素人なら寧ろ発見されるリスクを減らす為に、首謀者側が一回で大量に作って小分けすると思うのですよね。
濃度の差がある毒を飲まされたのが極少数だったなら、或いは素人が扱った可能性もあったでしょう。ただ、実際にはかなりの人数が飲まされていたと聞いています。
人数が多い場合、一つ一つ作っていたのなら別の意味があったと考えざるを得ません。特に、濃度を変えていたのなら、それにもまた意味があったと考えるべきでしょう。
私が見ている限り女性神官は理解していないようですが、まさしく実験です。
「……女性達はどのような症状が出たのでしょう?」
「一応公にはしていないのですが……一年前に毒を盛られた方々は、程度に大きく差がありますが、主に判断能力が低下したり、考えが纏まらなくなったり、妄想にとらわれたりするようになりました」
「一回だけで?」
「個人差はありますが、毒を飲まされたのが一回程度であれば、それ程時間はかからず自然に抜けたそうです。ただ、数回飲まされた方は、一年経っても効果が続いていると報告を受けています」
何でしょう。胸が妙にざわつくのです。
その先を聞きたくない私の心など知る由もなく、女性神官は言いました。
「当神殿で保護している女性達……貴方のご友人というお話のヘレネやその家族もこの毒を飲まされておりました。神殿では、ロアズ伯爵家の方々も狙われていた可能性を危惧しております」
たくさんの情報が私の頭の中で錯綜する中、
「ヘレネは私の友人ではありません」
取り敢えず何よりも先に、私はそれを否定しました。
女性神官の見送りをロウリスに任せ、私は慌ててロアズ伯爵家へ向かいました。
今まで気にしていた『誰か』からの監視や襲撃も、今の私にはどうでも良くなっていました。
「お兄様! お兄様!」
実家の廊下を私は淑女を放り出して走り、ノック代わりに当主の執務室のドアを蹴破りました。
「ちょ、マリー……!」
「お兄様、今すぐ神殿で治療を受けて!」
今見ると、兄の顔色はそんなに良くはない気がしました。
胸ぐらを掴んでもぼんやりした様子の兄を、私はやり場のない感情のまま思いきり揺さ振りました。
一年前のあの頃、兄はシラード伯爵家に長期間滞在しておりました。
ブローチの一件があったのは、兄がシラード伯爵家から帰って来た後です。
シラード伯爵家で毒を飲まされた兄は毒の影響で、家族も気が付かないような本当に極一部の判断能力に問題が出ていたのでしょう。
通常の状態の兄だったなら、ブローチを私達に黙ってすり替えたり、その事を全く関係のない者に話す筈はなかったでしょう。
「マリー、落ち着きなさい! 技が入ってしまっているわ!」
駆け込んできたノエリア様が、素早く私の手を兄から外させました。
そして、兄はその場で倒れ込んで動かなくなりました。
近くにいた使用人達も真っ青な顔で私達を見ておりました。顔色が変わっていないのはノエリア様だけで、
「素人って怖いわね……技が入ったのは偶然でしょうけど、止める場所が分からないから」
「技?」
「見ての通り、貴女は技を決めて貴女の兄を気絶させたの。素晴らしい才能ね。流石、私の義妹」
元騎士なので気絶した人間にも詳しいでしょうノエリア様が落ち着いておられるので、集まってきた使用人達も通常の仕事に戻っていきます。
気絶した兄を床に転がしたまま、
「それで何があったの?」
「兄の様子がおかしかったのは毒なのかも知れません!」
事情を一通り説明すると、ノエリア様は疑う素振りもなく直ぐさま気絶した兄を神殿に連れて行くよう使用人達に指示をしました。
そして、やはり兄は毒を飲まされていました。
治癒魔法の使える神官が診た限り兄の毒の影響は軽かったそうですが、確実に複数回飲まされているとの事でした。
治療そのものは時間も大してかからず終わりましたが、「数日間は治癒魔法の反動が出て体調不良が続くので、安静にして下さい」と言われました。
治った事で気が抜けた私達がフラフラと帰りの馬車に乗り込もうとした時、ノエリア様が、
「ごめんなさい、マリー。私はこれから用事があるから、三日……いいえ、二日くらいレオンについていてくれないかしら?」
「ノエリア様……」
「しばらく狂犬もどきの番犬を放しなさい。駄犬でなければ適当に狩るでしょう」
そう言って、ノエリア様は何処かに行ってしまいました。
行き先は恐らく騎士団でしょうが……騎士団は大丈夫でしょうか?
私に出来る事はノエリア様が帰ってくるまで兄の看病をする事ぐらいでしょうし、私達は兄妹だけでロアズ伯爵家に戻る事にしました。
神殿がマリーベルに結果を伝えている頃、遅れて使用人から毒の検査結果を受け取ったセルーア侯爵夫人は、予想通りの結果に鼻を鳴らした。
どんなに希釈していようが、かつては前の前の王妃を殺した毒であり、最近でもフランベルの付き合っていた男性の一人が命を奪われた毒であった。
「いつまでネーヴェ公爵家は黙っていられるかしら?」
あの強力な毒は希釈しても強い毒性を持っていた。
一つ所持しているだけで色々都合良く使える便利な毒として、歴史にも何度も登場し、長らく権力者が大枚をはたいても求めた毒だった。
近年、隣国のとある公爵家が解毒剤を作り出すまで。
「あの日の配置は、『魔法使い』によるものじゃなかったら『妖精』だったのかしら?」
解毒剤を開発した隣国の公爵が一部の王弟派に誘導されてロアズ伯爵領に辿り着いた際、水門にはマリーベルとロウリス、そして前アルマ伯爵夫妻がいた。そこに隣国の公爵を狙う者達が現れたという。
問われた執事はしばらく考えて、
「『妖精』の考える事は分かりませんが、アルマ伯爵夫人を死なせようとした計画でありながら、公爵にアルマ伯爵夫人を助けさせる道を入れたのは……実に『妖精』らしい矛盾と思います」
同じ『妖精』の姉と妹なのに、前の王妃とその妹とは全く違う。
姉妹のいないセルーア侯爵夫人にはマリーベル達の気持ちも、当然前の王妃達の気持ちも分からないのだが、
「やっぱり本物の『妖精』の方が質が悪いわね」
ほんの少しだけ嫌いになりきれない何かを挟んでくる。
セルーア侯爵夫人はフランベルに対するマリーベルの複雑な心境を想像し、同情するしかなかった。
王子に気に入られた、それだけが気に入らなかった王妃の手の者から薬を飲まされてからヘレネは、その日以来、悪夢ばかり見るようになった。
寝ても起きても悪夢ばかり。
元々ヘレネはいらない子供だった。家族が薬を飲まされた事で一層要らない子供扱いとなって、ヘレネはいつまで悪夢が続くのだとぼんやり思っていた。
『へえ、その悪夢面白いね。その悪夢を頂戴』
ボロボロのベッドの上で気力もなく横になっていたヘレネを覗き込んだのは、異形の妖精だった。
毒だらけの食事で痩せ細ったヘレネは、妖精の提案を断る言葉を発する力も残っていなかった。
『お。さてはお前、死ぬな。なら、悪夢をくれたら寿命をあげる』
その時のヘレネには声を発する事も首を振るだけの体力も残っていなかった。
人間の事情など分からない妖精は、「いいよ」の一言が貰えず、ぐるぐるヘレネの周囲を回り、
『その悪夢をくれたら、友達になってやる!』
その言葉にもヘレネは自分の意見を返せなかった。
ただ、その後はヘレネは顔色も良くなり、食事もしっかり取って、祖父母に必要がないと止められていた勉強を始め、出かける事も増えた。
今のようなヘレネはここから始まった。
「ヘレネは治ったのに……」
「きっとヘレネだけが運が良かったのよ。もしくは、ヘレネ以外の元シラード伯爵家が運が悪かったのか」
治癒魔法を使っても、解毒剤を用いても、ヘレネ以外の元シラード伯爵家の者達が正常な状態に戻る事はなかった。
神殿で治療に当たっている者達は全てが毒の影響だと思っていたが、真実は。
『妖精を怒らせたからな』
『今も僕達が遊んでるしな』
妖精達は肉体から連れ出され、魂だけになった元シラード伯爵家の者達と踊っている。
いつまでも、いつまでも夜明けの来ない、その場所で。
『助けてくれ!』
元シラード伯爵家の者達は、終わらないダンスを続けさせられている。
妖精達は代わる代わる彼らの手を取り、休ませる事はない。
『朝が来るまで頑張れ!』
そこは永久に日の光が差さない森の奥。
妖精の国に朝は来ない。
ゲラゲラ笑っている妖精は、当然そんな事は知っていて言ったのだ。
いつまでも夜が続く世界で、彼らが解放される日が来る事など永遠になく、いつまでも続くダンスは少しずつ彼らの魂を削っていく。
いつか魂が削り尽くされた時がきっと、ダンスの解散のタイミングだ。
『いつから彼らはいたっけ?』
『さあ?』
妖精は楽しい事に夢中になりやすく、年月の移り変わりなど興味もなかった。
楽しい楽とともに聞こえる元シラード伯爵家一家の悲鳴は、飽きる事なくダンスで盛り上がり続けている妖精の耳には届かない。
『そう言えば、あのクッキーが貰えなくなる前からだったな』
友人から貰ったクッキーを頬張っていた妖精は、
『人間の都で何か祭りみたいな死刑があっただろ。その前からだった気がする』




