16【墓場に愛は持ち込み不可】
マリーベルが帰った後、セルーア侯爵家は水を打ったかのような静けさを取り戻していた。
何処からも唸り声や走り出す音は聞こえない。
『狂犬』の飼い主であるセルーア侯爵夫人は完全に統制の取れた静寂の中、一人、執務室の机の前に目を伏せて座っていた。
「アルマ伯爵夫人とは仲が良いと思っていましたけど、随分腹の探り合いをしておられましたね」
令嬢時代から仕えている執事に声をかけられ、セルーア侯爵夫人はため息と共に組んでいた足を組み直した。
長い間目を逸らしていたツケは、当初考えていたよりも大きかった。
「それは当然でしょう。いくら仲良くしていても、マリーは私と同じ狩人側の人間だから仕方ないわ。獲物を取られる事だけは何としても回避したいのよ」
狩人と言うにしては牙もなく刃すら持たないマリーベル。彼女が王都に現れてから一年程度であり、警戒している者はまだ限りなく少ないが、その言葉で王立騎士団が動き、リシス公爵家が探り、ネーヴェ公爵家が警戒する。
その間隙を縫う事は、常人離れした狂犬達を抱えるセルーア侯爵家を以てしても困難な事だった。
夕刻のマリーベルとの話し合いで、エリゼの話題になりかけた時にセルーア侯爵夫人が話を逸らしたのも、まさしく自分達の行動範囲に関わる問題に発展する事を危惧したからだ。
まだセルーア侯爵家は、エリゼを追い込んだ者達全員に生まれてきた事を後悔させていない。
自分達の視点では辿り着けない隠された意図はセルーア侯爵夫人も当然知りたかったが、現時点ではマリーベルに必要以上の情報を出す事は出来なかった。
本来中途半端な話し合いは好きではないセルーア侯爵夫人は、後悔の混じった大きなため息をついた。
「……奥様。先程、アルマ伯爵夫人に毒を盛った侍従は川に落ちて消えたと、散歩中の犬共から報告がありました。まだ詳細は不明ですが、どうやら酷く酔っていたそうです」
「ふうん。王族に仕える侍従が酩酊する程酔うなんてね。そちらも薬を盛られていたのかしら。尤も、以前から盛られていたかも知れないけど」
周囲に他人の目がある場で薬を盛ろうとするなど、判断能力が著しく欠如していたか、それをやっても罪にならない理由があった時だけであろう。特にマリーベルが薬を盛られた場には王太子がいた事から、後者を疑う声がそれなりに聞こえている。
だが、既に既婚者となっているネーヴェ公爵家の血縁者であるマリーベルに薬を盛る事で得られる利益など、少なくとも今の王家には存在しなかった。
まして、事件が実は目の前で起きていた事を後から知り、激怒して侍従に斬りかかって謹慎となっている王太子は、マリーベルに捨てきれない恋心を抱いている。
王族が指示したと見せかけるのは、前提をよく知っている貴族達からしたら少々無理がある話だった。
「本当に『妖精』の考える事は分からないわね」
前の王妃の妹が常軌を逸した執拗さで『妖精』と蔑んだ姉を消そうとした理由自体は、恐らくマリーベルの指摘の通りなのだろう。
だが、その姉を排除する為だけに遠く離れたこの国にまで手を伸ばし、手を伸ばす事が出来た前の王妃の妹も、セルーア侯爵夫人達からしたら姉と同じくらい異質な『妖精』だった。
『妖精』姉妹はどれ程この国の者達を踊らせていたのやら。
ネーヴェ公爵達は何処まで『妖精』に惑わされていた者達を突き止めているのだろうか。
「アルマ伯爵夫人なら前の王妃を探るついでに、王太后の死の真相も暴かれるかも知れませんね」
「そうなると物凄く面白いわね」
王太后が亡くなった時も、毒殺ではないかと噂された。
数日前まで元気だった事が知られている王太后の突然死は限りなく不審であったのに、碌な調査もされないまま速やかに葬られた。その早さがまた、貴族達の目には素早く処理しなければいけない理由があるようにしか思えなかった。
「もしかして、王太子妃に殺されたのではないか?」
そんな噂の影に紛れ、人を選ぶように密やかに囁かれていた、もう一つの噂があった。
「夫の国王に殺されたんだよ」
墓荒らし対策で王侯貴族の墓地で犬が飼われている事は、決して珍しい事ではありません。
ただ、わざわざ『犬の守る墓』とする意味は分かりません。
「『犬』ねぇ……」
思う所のありそうなロウリスの視線の先を辿ると、澄ました顔の狂犬騎士が立っていました。
「……言いたい事は分かったけれど、貴方の視線の先の方達は墓に入る人間を増産する方よ。墓守なんて任せたら、眠っている方が怖くて蘇って逃げ出した所に、更に噛みつくかも知れないでしょう」
「もう少し言い方がどうにかならないか? 私だって食べている物を吹くぞ」
私もロウリスも繊細ではない筈ですが……もしかするとロウリスはまだ本調子に戻っていないのかも知れません。ちょっとだけ気をつけようと思いました。
「犬なんて言われると、私は真っ先に父を思い出したわ。元気かしらね。当家に近付いて来たら狂犬の方に追い払って頂きましょう」
「何を滅茶苦茶怒っているんだよ……もしかして、小父さん達がレオンの婚約を躱せなかった事か? それは小父さん達には無理だろう」
「無理でも何かやりようがあった筈よ。それに……まだ引っかかるのよね」
王家が関わっているので沈黙しているのか、はたまた意味不明すぎて口に出せないのか、情報が少ないので、私としてもこれ以上考えられなくなってきているのですよね。
私が首を傾げていると、ロウリスが、
「……貴方は何か御存知な事があるだろうか?」
急に話しかけられた狂犬騎士は少し考える素振りをして、
「さっきの話で思い出したのですが、前の前の王妃も王家の墓には入っていないそうですよ」
「王太后だろ……」
「前の前の王妃ですよ」
「いや、だから関係性的に……」
「ロウリス。元々の話し手が、王太后ではなく前の前の王妃と言っていたという事なのよ。線引きする事情があったのよね?」
狂犬騎士が楽しそうな笑顔になる一方で、ロウリスは驚愕の顔で私を見ています。
私としても話に驚きつつも納得もしましたが、取り敢えず、
「それ、今言う事なの?」
「私の頭は犬並みなのでして、そこを追及されるのは……」
この方達は狂犬と呼ばれる事を普通に利用するのですよね。私程度では睨み付けても何処吹く風です。
ただ、現時点で前の前の王妃の話は明確に何かに繋がっているとは言えない情報です。ここまで言わなかった事を咎めるのは筋違いでしょう。
「前の前の王妃ですが、自分の息子の伴侶に王妃を指し示す特別なネックレスを譲りたくないあまり、墓にまで持って行ったと言う話を聞いた事があります」
「本当、それ、今言う?」
「前の前の王妃は毒殺だったそうです」
「だから、それ、今言う!?」
思わず責める声が出てしまいましたが、私の調査不足は否定出来ません。
もしかすると狂犬騎士の方は言うタイミングを図っていたのかも知れませんし、私も腹は立っておりますけれど……いえ、かなり動揺したので文句は口から出てきませんでした。
「前の前の王妃ね……」
「マリー、裏に事情があろうが、やはり王太后とお呼びした方が良い。公には今の国王の母も王太后となっている。そこの狂犬騎士とは違って、私達が迂闊な事を言うと不敬罪に問われる」
伯爵夫人という存在は、実は騎士よりも身分が低かったのでしょうか?
権力よりも剣に怯えている縁遠い誰かに、私は理不尽なものを感じて口をへの字にしました。
前の前の王妃……王太后はほとんど調べた事はありません。
王妃を示すようなご大層なネックレスが、本当に王家に存在したかどうかも分かりません。
「王妃としての宝なんて持ち出して問題にならなかったのかしら?」
自室に戻って眠るだけになった私のふとした呟きに、
「そんな事、難しく考える必要はないですよ」
「え?」
プリシラが就寝前のハーブティーを片付けながら、
「それは単に息子の妻に自分の物をあげたくなかったって事だけです。要するに、嫁姑戦争ですよ!」
何故か楽しげなプリシラの口調もあって、どろっとした話が一気に単純な話になりました。
結局、裏にどんなやり取りがあったとしても、突き詰めればそう言う事なのでしょう。
結論は出たとばかりにプリシラは一礼して軽快に私の部屋を出て行きました。
疲れていた私も枕元の灯りを消してベッドに潜り込みましたが、どうにも夕食時に聞いた話が……狂犬騎士が言った王太后関連の話が頭から離れませんでした。
「前の前の王妃は毒殺だったそうです」
貴族以上に毒物に気をつけている王族が毒殺?
そして、完全部外者の狂犬騎士さえ毒殺を知っているのに、当時王家に近かった他の貴族が王太后の不審な死に今も一切言及しない現状。
そんな事をぐるぐる考えて何度も寝返りしている内に、考えすぎた私は夢の国へ引き摺り込まれていきました。
得体の知れない女から「それが欲しい」と言われたので、当時の王妃は「駄目だ」と言っただけ。
二十年以上経った今も『それ』を必死に探している者達は、
「何処に隠したんだ……」
前の前の王妃の墓はいつまで経っても見つからない。
そこに隠した筈のネックレスも当然いつまでも見つからない。
『妖精の宝が簡単に手に入る物か!』
『僕達が貰ったんだから、諦めろ!』
木の葉の影から盗掘者を眺めている妖精達は、前の前の王妃との『約束通り』彼女の墓に辿り着けないようにしていた。
『それが欲しい』
「なら、このネックレスはあげるから、私の傍にあの女の影を近付かせないで頂戴」
当時の王妃がその声を妖精と認識していたかどうかは分からない。
ただ、気味の悪い女に大事なネックレスを取られるくらいなら、それ以外の誰にあげても良かった。
受け取った妖精達は約束通り、二十年以上盗掘者に悪戯を続けている。
「また水筒が空じゃないか! 出発前に確認しろって言っただろ!」
道を迷わせる。馬の鬣に悪戯をする。水筒の水は抜く。食料は腐らせる……。
妖精達は人間達が戸惑う程にゲラゲラ笑う。
『何かお前達、楽しそうだな?』
『あいつら悪戯していい人間だからな!』
仲間ではない妖精にもそう言うから、何処に行っても盗掘者達は受難が続いている。
「あー……もう、俺は諦める!」
シャベルを放り出し、比較的若い男が立ち去っていった。
残りの盗掘者に止める気力も残っていなかった。
「……もう二十年以上経った。諦めても私達も文句は言わない。もう耐えられない奴は去れ」
年数に反応したのは皺が目立つ男達だった。
一人二人とこの場から去って行く。
最終的に残ったのは思ったよりも多く、当初の三分の二だった。
「去れば良かったのに」
「……他にやる事もない」
二十年決断出来なかった。その間に誰もがどうしようもなく年を取ってしまい、次の人生の機会など失っていた。
この先もずっと、墓を探して何処かの地面を掘り返すだけだ。
再び彼らはシャベルを手にして、ただの地面を掘り返す。
『そこに墓なんてあるわけないじゃないか』
『ネックレスもないし』
妖精達の嘲りの声は聞こえない。
まして、彼らの探すネックレスは今、
「それ、綺麗だね」
「……友達がくれたの」
ヘレネの首にかけられ、美しい輝きを放っていた。
まるで、本来の持ち主に出会ったように。




