8【死者の愛は物語にはならない】
王城の庭園のベンチに座りながらセルーア侯爵夫人は、会議が終わるのを待っていた。
本当は夫のセルーア侯爵と共に会議に参加する予定だったのだが、高齢の出席者の健康に配慮して欲しいと懇願され、急遽出席を取りやめたのだった。
特にお茶も出されないまま庭園のベンチに座り、静かに夏の花を見るセルーア侯爵夫人を遠くから騎士や文官達が監視を続けていた。
「彼らのお望み通り会議に殴り込まないのか?」
そこへやはり、高齢の方々の健康上の理由で出席を認められなかった前ネーヴェ公爵が近付いてきた。
「私も期待に応えてさしあげる年でもありませんわ。閣下もそうでしょう?」
「高齢の私なら、次に来るだろう期待も考えて行動する。ただの手抜きを考えるお前とは違う」
「次に来る期待とは、皆殺しですか」
「そんな事をわざわざ聞くから小娘のままなのだ。全員殺しておけば手間もなかっただろうに」
セルーア侯爵夫人に許可を取る事もなく、前ネーヴェ公爵は距離だけ開けてベンチに座った。
「……その言葉、そっくりそのまま閣下にお返ししますわ。閣下が綺麗に掃除をしておけば、私もマリーベル達も苦労する事もなかったのですから」
前ネーヴェ公爵は不快げに鼻を鳴らした。
「お主と同じだ。綺麗にしたら自分が面倒な事になる。ただ、それだけだった」
自分達に実害が及ばなければ手を出さない。
巨大なものを動かす故に些事には構っていられないのはセルーア侯爵夫人も同じだった。かつて学園の処分を決定した時も、国の流れを止めない為に『小さな』問題には目を瞑ってきた。
蟻の穴で堤が壊れる事を、誰もが分かっていなかった。
「あの糞女のやった事は小さすぎて見えなかった。老眼は怖いな」
「そうですね。私もあまりに詰まらないので相手にしなかった事を後悔しています」
糞女と言って通じる程度に前王妃は誰からの評判も悪かった。
しかも、代が替わればあっさり忘れ去られる程度に影も薄かった。
セルーア侯爵夫人達が痕跡を辿り前王妃の妹に至るまでに、今まで闇に埋もれていた様々な事も同時に判明した。
これがいまやっている会議で何処まで話し合われるのか、少なくともセルーア侯爵夫人は知らなかった。
前ネーヴェ公爵もセルーア侯爵夫人も前王妃を侮っていた事は否定はしない。だが、あくまで生国から逃げてきた前の王妃が何も持たず何も分かろうとせず自分の常識に凝り固まっていたからで、ここまでの愚行を犯すような人物とは思ってもいなかった。
生国に残った妹を恐れていた前王妃が、まさか自分の子供が殺されないように教育を制限していたなんて、セルーア侯爵夫人達は今更知りたくなかった。
「それにしても、前の王妃が殺された理由が『妖精』とはな。皮肉なものだ。どこぞの得体の知れない誰かのようではないか!」
かなり公に近いこの場でネーヴェ公爵家の血縁者がフランベルに言及した事に、セルーア侯爵夫人は驚きつつも何も言わなかった。
既に『フランベルは偽者で、ロアズ伯爵家と血縁関係のない人間だった』で決着がついている話であり、前ネーヴェ公爵の発言が今更影響する事はない。精々ネーヴェ公爵家に嫌みを言おうと考えていた者の出鼻を挫く程度だろう。
「まあ、私は『妖精』など信じない。そんな夢に引っかかった人間の戯言など、お主も努々相手する事なきように」
自分の言いたい事だけ言った前ネーヴェ公爵は、年齢を感じさせぬ動きで立ち上がると、少し離れていた護衛達と共に王城の廊下の先に消えて行った。
相変わらず、そつのない方です事。
セルーア侯爵夫人はこの場でわざわざ声をかけてきた前ネーヴェ公爵の意図を見抜いていた。
強めの叱責に似た言葉を前ネーヴェ公爵に投げつけられた時、周囲に前の王妃の妹の殺害を自分が指示したように思わせようとしていると直ぐに気付いた。
案の定、前ネーヴェ公爵が立ち去った後の周囲を見回すと、こちらを見ていた文官と騎士がごっそり数を減らしていた。主人の下に健気に走っているのだろうと思うと、セルーア侯爵夫人は微笑ましく思ってしまった。
力のある高位貴族が複数で関わっていた疑惑があるのなら、前の王妃の生国の出方はまた変わる。
ただでなくても戦争するには遠く、人質を出す意味はない。
何がデメリットが少なく、メリットが多いのか。向こうに繋がる者達は新しい計算を始めているだろう。
王侯貴族とは、身内の死すらも利用して利益を貪ろうとする、どうしようもなく厄介な性質を持った者ばかりだ。
きっと前王妃の妹が殺されて何人もが笑って計算をしている。
その中に、自分もいるのだとセルーア侯爵夫人は思った。
「エリゼ……」
半分ネーヴェ公爵家が負担してくれる事になって、セルーア侯爵夫人は不意に気が緩んでしまった。
小さな呟きだったが、これも何処かで致命傷になりかねないと慌てて何事もなかった顔で立ち上がりかけた時、前ネーヴェ公爵の座っていた位置に小さな花束が置かれているのに気が付いた。
手に取ると、エリゼが好んで飾っていた花だった。
泣くとまた叱責されるわね……。
貴族という立場は複雑で悲しいものだ。何かを守る為には嘘をつき続けるしかない。
死者を、孫の死を悼む心さえも押し殺して会話をしていた前ネーヴェ公爵の姿を思い出し、セルーア侯爵夫人は涙を耐えて立ち上がった。
弱みを見せたら今度は自分の夫や息子一家も殺される。
花束を手に、セルーア侯爵夫人は毅然とした姿で庭園を立ち去った。
帰ってきたロウリスからまず最初に聞かされたのは、ロアズ伯爵が前の王太子の影として打診されていた噂でした。
私は思わずよりによって信じる内容かと、ロウリスに呆れる目を向けてしまいました。
「ロアズ伯爵が前の王太子の影に望まれるなどあり得ない事よ。この噂は噂に過ぎないわ」
「そうだろうか?」
「貴方が話を聞いたのは、ロアズ伯爵家とは直接繋がりのないリシス公爵の派閥の方々でしょう。あの方達はロアズ伯爵の年齢を把握していないと思うわ。そもそも前の王太子はフランベルからしても一つ年上で、ロアズ伯爵とは五歳の年齢差があるのよ?」
子供なら一つの年の差でも大きな開きがあります。
断罪事件があった時で十七歳前後の前の王太子に十二歳のロアズ伯爵です。影なんて正直笑い話のレベルです。
「王族も関わる話だぞ。ガセネタにしてはな……」
「別の話と混同したのかも知れないわ。もしくは、本来の話の一部が書き換わった状態で噂になったのか……もっと将来的な話だったのか」
「将来的に影になって欲しかったという話なら? いや、用意しようとしていた事がバレている時点で駄目だな。それに、前の王太子とレオンは似ていただろうか?」
今日の会議で疲れているのでしょうか?
基本的に領地暮らしの私がいつ前の王太子の姿を見る機会があったというのでしょう。
「私が知る訳ないでしょ。でもロウリスは王城での交流会に参加していたのなら、前の王太子を見かけた事があったでしょう?」
「腹が減って食べ物しか見ていなかった」
顔見せや交流以前の話でした。知っていたのですけど、改めて何というか物悲しくもあり、残念な気持ちもあり。
「まあ、でも……尋ねておいて自分で答えを言うのもなんだが、似ていないのではないかな。他の貴族子弟から、そんな話は聞いた事がない。似ているんだったら必ず誰か一人は本人に当てこすっていただろ」
「そうね……」
たまに貴族はとても分かりやすい一面を見せます。
ロウリスが言うように当てこすった者がいなかったのなら、二人は似ていなかったと言う事でしょう。
ならば、影の打診があったなんて噂は?
「……ふうん。その噂もネーヴェ公爵家の繋がり関連かしら? ロアズ伯爵が影ではなくても前の王太子の近くにいたのなら、ネーヴェ公爵家から何らかの援助を期待出来ると思ったのね」
「それなら側近で良くないか? 影なんて継嗣となるだろう嫡男に持ちかけたら、ネーヴェ公爵家も激怒するに決まっているじゃないか」
「だから、ただの噂なのよ。一見裏に理屈かありそうに見えて、現実に照らし合わせば矛盾点ばかり。そもそも年齢差がおかしいのよ」
寧ろ、こんな噂が本当に流れているのか疑問に思うレベルです。
「……年齢差だけならフランベルの方が近いな。影には出来ないだろうが」
「そうね。影にはならなくても、フランベルで良かった筈ね。……それこそ、当時両親が亡くなって実家が不安定になっていたクレア様より、ネーヴェ公爵家の縁者というだけでもフランベルを婚約者に迎えていたっておかしくなかった気もするわ。特に断罪直後なんて」




