7【過去から来た妖精】
ロウリスがアルマ伯爵として緊急会議に出席している頃。
私は自分の執務室にいました。
当主の補佐として私も会議に参加しても良かったのですが、ロアズ伯爵を見かけたらうっかり無用な喧嘩を売ってしまいそうで、大人しく屋敷に留まる事にしました。
今は急ぎの仕事もありませんし、私は王城に行く前のロウリスから預かった手紙を読んでおりました。
内容的に少しばかり眉間に皺が寄っていたかもしれません。
「お茶を用意しましょうか?」
「ええ。いつもより濃いめにお願いね」
プリシラが部屋を出て行くと、私一人になりました。
考え事をしている私にプリシラ達が気を遣ってくれたのでしょうね。やはり貴族の最大の資産は長年仕えてくれた使用人です。
誰もいない事で少し気の抜けた私は、貴族夫人とは思えないような盛大なため息をつきました。
アルマ伯爵宛ての手紙は地方警備隊からのものでした。
以前ロウリスに藤のブローチを預けた男爵夫妻が外出先で亡くなった事を知らせるもので、同時に使用人の不注意で男爵家の屋敷も全焼したと事務的に記されておりました。
あの男爵家はアルマ伯爵家の傘下の家でした。
ロウリスはブローチを預かる際に男爵夫妻から詳細を聞ける様子でもなかったので、夫妻が落ち着いてから、後日聞けば良いと思ってしまいました。更にリシス公爵達の手に渡った事で完全に忘れていたなんて、流れとしてはよくある方でしょう。
ましてあの時ブローチは無事にリシス公爵達の手に渡ったのですから、不審な点が残っていても終わったと思ったのは私も同様でした。
何度見返しても内容は変わる事はないので、私は手紙を封筒に戻しました。
もっと早く動けば良かったと後悔しています。
これで、男爵夫妻から直接話を聞く機会は永遠に失われてしまいました。
関係者を始末して、横からでも奪いたいブローチね……。
ロアズ伯爵は何処まで理解しているでしょうか?
私達は何も知らない経由地でしたが、ロアズ伯爵はブローチが何なのか分かっていなくても奪う価値があると知っている側です。状況によっては男爵夫妻同様に消される可能性の高い位置に立ってしまったのです。
それほど考えなしの『兄』ではなかった筈なのですけど。
直接ロアズ伯爵に尋ねる事が出来れば良いのですが、今現在、高齢で他と繋がりもなく領地から出ない男爵夫妻まで殺される事態となっています。何が進行しているのか分からないまま迂闊にロアズ伯爵に接触するのはロアズ伯爵の身を危険に晒しそうで、私としても慎重に行動しなくてはいけません。。
考える事に疲れた私は立ち上がって窓の外を見ました。
今は一面夏の空でも、もう少しすれば秋の足音が聞こえてくるでしょう。そうすれば狩猟のシーズンです。
……狩猟です。
まだ、狩猟のシーズンではないのですけどね。
結局何をしても、今はそれに繋がるという事でしょうか。
私が頭を抱えていると、扉がノックされました。
「奥様、サンドラ商会の使いの方がいらっしゃいました」
「約束の時間には少し早いのではないかしら? 取り敢えず、プリシラには応接室にお茶を運んでと言って貰える?」
私は髪を軽く整え直すと、アルメイダ様の待つ応接室に急ぎました。
アルメイダ様は本来ストーン子爵家の令嬢ですが、まだ何か影響が残っているか分からない今はストーン子爵家とは縁を切り、元婚約者の縁でサンドラ商会を頼っているそうです。
なお、まだアルメイダ様とデューイは結婚していません。
「単刀直入にお伺いしますが、何があったのです? 上位貴族が突然王城に一斉に集められ、下位貴族や商人は何事かと騒いでおります」
多分、今日は何処の高位貴族家も、こんな風に時勢を窺う者達への対応に追われているのでしょうね。
私達は長年見知った関係なので、ストレートに尋ねられても気にはなりません。
「前王妃が生国の者に殺されたと判明したそうです。昔の事とはいえ、王族が殺されたのですから、その対応を協議するとか」
「今になって?」
「今分かったそうです。それについては本当ですよ。ただちょっと、セルーア侯爵夫人の所の狂犬騎士が犯人を殺してしまいましたけど」
アルメイダ様が目を丸くしたのは一瞬でした。
私も誰よりも早く、一年近く前からセルーア侯爵夫人達が狩猟を始めていたとは思いも寄りませんでした。
「……流石セルーア侯爵夫人、やる事が違いますね。いつかやるだろうとは思っていましたが、とうとう戦争を起こすとは」
「起きるかどうかは分かりませんよ。犯人は別の理由で幽閉されていて、その内処刑される予定だったそうです」
騎士団で我が物顔をしていた騎士達から延々と辿り続け……その先にいた存在に、狂犬騎士達ならば何ら躊躇もしなかったでしょうね。
何故か私に届いたセルーア侯爵家からの連絡では、デューイが限界まで他に犠牲者も出さず警備を突破させて討ち取らせたそうです。ただ、その部分はアルメイダ様に伝えて良いか迷います。
「そんな人が、どうして?」
「今はまだそこまでは……分かっているのは、前王妃様の妹に当たる方だそうです」
「妖精の血を引いているから殺さなくてはいけない? 何だそれは……。姉妹だったのだろう?」
誰が喋ったか分からないその呟きは、会議に出席した全員の心の代弁だった。
同じ両親から生まれた姉妹が片方だけ妖精の血を引いているなんて事、誰がどう考えてもある筈もなかった。
「だが、事実その女は姉だった前王妃を『妖精』だからと排除し、生国からも追放したのだ。その後、自分が『妖精』だと隔離されたがな」
「それで最後には狂犬に食い殺されたのだろう? もう全く意味が分からん」
失笑がチラホラ聞こえた。
リシス公爵の後ろの席に座っているロウリスも、笑いこそしなかったが話の内容は理解不能だとぼんやり聞いていた。
丁度真向かいに座っている一団の端に座っているロアズ伯爵がチラチラ見てくるのも完全に無視をして、手元にある資料を読み込んでいた。この資料は会議が終わり次第返却するので、マリーベルに伝える為にも必死でそれどころではなかったとも言える。
「何故セルーア侯爵夫人はこんな事をしたのだ! 戦争を起こしたかったのか!」
「全員血祭りに上げるだけなので、別に問題ないと仰っていました」
「…………いや、ここで踏み止まったセルーア侯爵夫人は素晴らしい方だな!」
踏み止まらずに殺したのが会議の論点である筈なのに、会議の参加者達はその点については恐怖で口を閉ざすか、諸手を挙げて称賛するかだった。
公爵家は何処も発言をせず、沈黙を保っていた。
ロウリスが盗み見た限り、完全に心情を読ませない無表情で沈黙しているのはリシス公爵とネーヴェ公爵で、残りの公爵達は目が死んでいるか、魂が抜けたようになっていた。何十年もセルーア侯爵夫人の行動に付き合ってきただろうに、事なかれ主義者達は何十年も変われなかったらしい。
「うん。まあ、セルーア侯爵夫人はもうやってしまった後だし、まずは向こうは何て言ってきてるのかな?」
多忙で死にそうな国王の代わりに王族席についていたのは、多忙でいつか倒れそうな王太子だった。
流石に国の問題を話し合う会議で王族不在は出来なかったのだろう。これも前王家の負の遺産と考えると、それを処理し続けている王族達の心労は如何ほどのものか。
「相殺で、と言う事です」
「相殺? こちらは王妃だ。釣り合わないだろう」
「向こうも王子妃でした。相殺を選ぶなら、王城への不法侵入を問わないと言う事です」
「それは向こうの外交官がおかしいのか? それともこの国の外交官がどうかしているのか? 王妃と王子妃では絶対に釣り合わないし、侵入された事を大っぴらな交渉の材料にしてどうするんだ? うちの城は警備が笊ですよって広く周知させたかったか?」
貴族院の議員も務めている伯爵は不信感を露わにしていた。
経験の浅いロウリスが聞いても交渉になっていない交渉で、本当に国レベルの交渉だったのかと思わざるを得なかった。隣に座る同じ派閥の伯爵に聞いてみるか考えていると、
「狂犬が脅しすぎたのだろう。影から突如食らいついた狂犬共を初めて目の当たりにしたのだ。まともな返答があると思ってはいけない」
ネーヴェ公爵の言葉に、ざわついていた会議室が静まり返った。
参加者の中で一番若いのはロウリスであり、ロウリスだけが狂犬騎士が狂犬騎士と呼ばれる理由を直接見た事はなかった。
「……狂犬騎士達は『そこまで』しなくてはいけなかったのか?」
「先日お亡くなりになったセルーア侯爵令嬢を貶めた一端が犯人にあったそうです。この国の貴族が狂犬が後ろに控えている令嬢に進んで手を出す筈もないので、あの事件は元々不思議でしたからねぇ」
ロウリスはマリーベルの伯父でもあるネーヴェ公爵を注視した。
血縁上近しいだけあって、レオンとマリーベルに似た面差しであったが、やはりフランベルとは似ても似つかない容貌だった。
マリーベル本人はどうあれ、ロウリスはネーヴェ公爵家を何を考えているのか分からない相手だと警戒していた。
かつてのフランベルの一件は、普通なら醜聞その他の影響を考えると何らかの手を打とうとする筈なのに、以前も今もネーヴェ公爵家は一切動いた様子もなかった。何処かで何らかの発言をした事さえなく、不気味な程今の今まで沈黙を保ち続けている。
「セルーア侯爵夫人がやってしまった事についての議論は、もう良いでしょう。問題はあくまでもその先です」
ロウリスの視線などその他大勢の一つでしかないネーヴェ公爵が相手をする訳もなく、ただ真っ直ぐに王太子を見ていた。実に、大人げなく。
「我らが国の前王妃がよりにもよって前王妃の生国により奪われた事が発覚しました。既に前王妃の子供である王子も王女も死んでいます。では次に、かの国は何の交渉をしてくると思います?」
集まっているのが上位貴族ばかりであり、全員が頭の隅に答えがあった。
「……縁談だな」
離れている国同士であり貿易上も無関係なので、この国にはメリットはない。
だが、それだけなら生国から追放状態で迎えた前の王妃とほぼ同じ条件だった。
「婚約者を決めておけば、こんな事にならなかったのですけどね」
「ネーヴェ公爵……」
「殺されても問題のない王女が来るでしょうね。まあ、私どもは先王の二の舞にならないよう願うばかりです」
それ以降は誰も発言をする者も出ず、会議はそのまま終了となった。
リシス公爵の派閥の貴族達に囲まれ、ロウリスはロアズ伯爵の目を避けながら会議室を退室した。
一番最初に部屋を出て行ったネーヴェ公爵達の一団は、この時既に背中も見えなくなっていた。
「……王家とネーヴェ公爵家との間には深い溝があるのですか?」
近くにいた壮年の貴族は少し考え込み、
「まあ、色々とな……」
「誤魔化さなくても良いだろ。あのロアズ伯爵の妹の夫じゃないか」
割り込んできたもう一人の貴族が意味なくニヤニヤしながら、
「以前の王家の話だが、前の王太子の影として今のロアズ伯爵を差し出せと言っていたらしい。ネーヴェ公爵家のそれこそ影ながらの助力を期待していたんだ。ロアズ伯爵家の男子は一人で、何処をどう切り取っても普通に怒る話だよな」
「だから、私達はネーヴェ公爵家が手を下したのかと思っていた」
前の王妃の死は、ロウリスの記憶にもなかった。
ただひっそりと死んで、静かに葬られた。まるで誰かの罪を隠蔽するかのように思えた貴族達は「そう言う事なのだ」と思ってしまった。
ネーヴェ公爵は何も言わない。
大事な事はもう目の前に見えているのだから、見ない振りをしている者と話す気がないだけだ。
「ロアズ伯爵が孤立してますね……」
「手を打っていなかった方が悪い。反応は遅かったが、やはり妹の方が立ち回りが上手いな」
小声で話しているのはネーヴェ公爵家に一番近い家の者達だった。
会議に参加していたのだからネーヴェ公爵もロアズ伯爵の様子には気が付いていたのだが、助ける気はサラサラなかった。
助ける事が本当に助かる道ではない。
かつて前の国王夫妻に前ネーヴェ公爵が言った言葉を、今のネーヴェ公爵も行動で示しているだけだった。
「権力は実に厄介なものだ。地位が高ければ高い程、善行が愚行になる」
当時の王弟夫婦も聞いていた筈の忠告は、今の王太子は伝え聞いているだろうか?
ネーヴェ公爵は何も言わない。
今の王家が破滅しても、どうでも良かったから。
木の洞から飛び出した『フランベル』は、懐かしい家に向かった。
思い出の姿と同じ家だったけれど、植えられている植物や家の中の調度品が少し違っている気がした。
「……アルマ伯爵だけでなく、リシス公爵も?」
「ああ。二人とも距離を取られた。……黙っていたら駄目だとは思っていたんだが、こんな事になるとは思ってもみなかった」
すっかり大きくなっていた弟は、記憶にある通り、少し情けないままだった。
これだけはもっと劇的に変わっていて欲しかった気もしたが、仕方ないと『フランベル』は二人に近付こうとして、ノエリアの気配に足を止めた。
『鉄錆じゃない。道理で他に妖精がいないわね』
懐かしいから見に来ただけで『フランベル』は執着はなかったので、家を後にする事にした。
「大丈夫です。私が手紙を書いてアルマ伯爵に理由を説明します。元騎士同士ですから、きっと分かって頂けますわ」
「……すまない。私の後始末を君に押しつけて」
「気にしないで下さい。これくらいは苦労でも何でもありませんから」
あの小さかった弟が結婚していたなんて、ちょっと不思議な気はしたが、時間の流れなのだろう。
こちらはすっかり様変わりした庭を突っ切るように『フランベル』が歩いていると、
「今日は多いな。出かけたからか?」
「多分な。ノエリア様がいらっしゃるのに、無謀な事だ」
侵入者らしきものを片付けている護衛達の姿が見えた。
相変わらずロアズ伯爵家は狙われているようだ。鉄錆は恐ろしいが、鉄錆ではないと守れないだろう。
上手い選択をしたなと『フランベル』は眺めていた。
敷地を出ると、遠くからロアズ伯爵家の様子を窺う者達がいる事に気が付いた。
『あ、懐かしい!』
その内の一人はあまり外見が変わった様子もなかった。
こちらも相変わらずロアズ伯爵家の見守りをしているようだ。見守るだけなので随分退屈だろうに、なかなか我慢強い。
楽しくなってきたので色々見て回っていると、不意に声をかけられた。
「あら、『フランベル』じゃない。どうしたの?」
『あらはこっちの話よ。そっちこそ、どうしたの?』
久し振りと簡単に声をかけてきたヘレネに驚くも、『フランベル』もそんなに感動はなかった。
「ちょっと家が没落しちゃって、平民生活しているの」
『相変わらず楽天家ねぇ……私も何か妖精になってしまったから、人の事言えないんだけど』
「なかなか出来ない体験ね。私の方は平凡な生活だわ」
『そうね。貴女が言うならそうなんでしょうね……』
目の前のヘレネは人間の筈なのだが、『フランベル』は妖精と話しているような感覚だった。
どうにもつかみ所がない。
前もこんな感じな少女だったが、ここまでだっただろうか?
「ビスケット食べる? さっき今日の分を貰ってきたから」
『貰うわ。それでもう少し貴女の話を聞いてあげる』
話を聞きたい、ではなくて、聞いてあげる。
妖精っぽい言い方に、ヘレネは笑った。
「そうね、私の王子様の話をしましょうか」
『ビスケット嫌いの王子様ね。ふふっ。懐かしいわ。貴女に好物のビスケットを食べさせたくて嘘をついた王子様』
幼馴染みは歩き出した。
時間の隔たりも、種族も関係なく。
積もる話を語り合えるのは、他に誰もいない。
数日更新が止まって申し訳ありません。
ただの夏風邪です。暑くて寒いので、皆様も気を付けて下さい。




