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ほんの少しの味見と言った姉  作者: 夏見颯一
番外編【白昼夢の令嬢は夜を知らない】

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6【クッキーからは藤の香りはしない】


 確かにフランベルが引き起こした一連の事件は多くの者に嘆きをもたらしたが、それ以上に大多数の者は裏で何が起きていたのかさえ知らない。


 本物の伯爵令嬢とすり替えられた子供が発覚しないまま公爵夫人となってしまった。挙げ句、複数の貴族男性と不貞行為を繰り返し、淫蕩により神殿から『妖精』だとされた。


 実は、調べる事が性分となっている貴族であっても、大半の者が本当にこの公式発表だけしか知らなかった。

 何故なら彼らは調べなかった。それだけの理由だった。




 年配の貴族達が調べなかった理由は、子供に近い世代程分からない。マリーベルにしても当然事情も知らなかった。


 フランベルを『妖精』とするだけで事態が収まった事をマリーベルは不審に思っていたのだが、当時は多くの謎が重なって対応に追われていた。周囲は『フランベルが別の誰かの子供だった』だけで納得したのだと思い込んだ以降、特段それを掘り下げる事もなかった。

 あくまでフランベルに直接関わりがある話ではなかったのだから、追及しなかった事はマリーベルの手落ちと言いがたいだろう。



「『妖精の血統』?」


 王城の一角で顔を合わせたリシス公爵の言葉に、ロウリスは思わず聞き返してしまった。

 もう少し声を潜めるよう注意した後、リシス公爵は、


「ああ。前王妃は生国で妖精の血を引いていると言われていた」

「そんな事本気で信じられていたのですか?」

「ただの言い訳だ。特定の気質を持った者達を『妖精』として扱い、その気質を継いだ者達を『妖精の血統』と呼んでいたそうだ。どうしても血縁同士は性質が似通いやすいからな」

「それ言いがかりですよ……」


 ロウリスは流石に同情した。

 明らかに排除目的のラベリングである。


「まあ、そう呼ばれる家系は確かに何かと周囲から制限がかけられるが、一方で敬われてもいたらしい。結婚にしても、人ならざるものからの加護が得られると申し込む家が後を絶たなかったとか」

「うわぁ……」


 神殿が認めているとは思えない人間外の力を求める人間の欲深さに、全く妖精を信じていないからこそロウリスはどん引きした。

 そして、今日の主だった貴族当主を招集しての会議の理由である、前王妃が生国から遠く離れた国に嫁いだ後も執拗に狙っていた事実に、ロウリスは下らなさすぎて頭が痛かった。


「セルーア侯爵夫人が『犯人』を抹殺したとしても仕方ないんじゃ……」


 派閥内の意見交換を続けていたロウリス達の後方から、俄に大きな声がした。


「おや、ロアズ伯爵! そんなに廊下を急ぐものではありませんよ。突然の会議に苛ついているのは分かりますが、もう少し余裕を持たれた方が宜しいですよ!」


 廊下をほとんど走っていたレオンは、明らかに気分を害している様子の年配の貴族の指摘に慌ててスピードを落とした。

 更にタイミング悪く、行く手を塞ぐかのように大勢の貴族達が談笑しながら廊下を横切って行くので、レオンはとうとう足を止めざるを得なかった。


「ロウリス!」


 集団が去って行った後にロウリス達が居た場所に向かったのだが、リシス公爵だけが残っていてロウリスの姿は何処にもなかった。

 息を切らし若干涙目のレオンに、親しい筈のリシス公爵から声をかける事はなかった。余裕のないレオンはその事に気が付かないまま、


「リシス公爵、ロウリスは何処に行きましたか?」

「さあ? 私もアルマ伯爵家が何処に挨拶回りに行くのか知らないな」


 周囲でも王城に滅多に登城しない貴族達は、会議前にここぞとばかりに挨拶回りをしていた。

 本来ロアズ伯爵としてレオンも挨拶回りをするべきだったのだが、今日はそんな社交などしていられなかった。


「……ロウリスは何か言っていませんでしたか?」


 急に妹にも親友にも距離を取られ、悲痛な顔をしていたレオンに、リシス公爵は冷然と、


「君のやった事だろう? それが判明したらどうなるかぐらい考えて行動するべきだったな」


 はっきりとリシス公爵からも拒絶され、レオンは肩を落とした。


「お騒がせして申し訳ありませんでした……」


 静かに立ち去った。

 その背にリシス公爵が声をかける事はなかった。

 完全にレオンが廊下の向こうに消えた後、柱の陰からロウリスは出てきた。


「まず最初にすり替えた事を謝るかと思いました」

「まだ私が何も知らないと思って声をかけたのだろう。マリーベルから聞いているに決まっているだろうに、全く何を考えていたのやら……」


 かつてロウリスが男爵夫妻から預かった藤のブローチは、すり替えられていた事が判明していた。その犯人はレオンだ。

 レオンは悪戯をするような性格ではないのだから、藤のブローチを隣国の王太子が用意した物とすり替えた事は何らかの理由があったのだろう。ロウリスもリシス公爵もそれだけは理解していた。

 ただ、どんな理由があったとしても黙ってやって良い事ではなかった。


「マリーベルは何と言っている?」

「しばらく反省させておけと」


 クレアが隣国に帰る前にマリーベルが藤のブローチを確認していた事はリシス公爵も知っていた。


 最初にマリーベルが藤のブローチを手に取ったとき、確かに何処も刻印らしきものはなかったのだ。

 だが、リシス公爵家でデューイに裏面を見せられたときには印があった。


 普通は自分の見間違いだったと思う所で、マリーベルも最初はそう思ったのだが、先にブローチを徹底的に確認したロウリスも刻印も印も見た覚えがなかったと話したのが、すり替えが判明する切っ掛けとなった。



 今日の会議に出発する前に、マリーベルはロウリスに言っていた。


「ブローチを入れていた箱には第三者が開けた痕跡もなかったわ。箱ごと入れ替わっている事もなかった」


 箱に手を出した形跡がなかった時点で、犯人がロアズ伯爵家の使用人である線は消えた。

 デューイがすり替えたという可能性もあったが、デューイがブローチに触れたあの場にはマリーベルだけでなくクレアやリシス公爵もいた。すり替えるとしたら想像以上に難易度が高く危険であるし、あの日あの時不確定要素のマリーベルがブローチを持って来ていないとなり立たない話だったので、デューイがすり替えた線は消えていた。

 ブローチに触れた人間で残ったのは、レオンただ一人だった。


「最初にロウリスがブローチを預けに来たあの時、ロアズ伯爵は貴方が男爵夫妻から預かったブローチを隣国の王太子が用意したブローチとすり替えたのよ」



 マリーベルの言う通りだったとしたら、レオンの行動はあまりにも考えなしだった。

 ロウリスも流石にしばらくレオンとは会話もしたくなかった。


「彼は誰の責任ですり替えたのだろうね?」


 そう言った貴族として気を付ける事をリシス公爵はレオンに何度も教えてきたつもりだったので、今のレオンがすり替えた事で発生した問題を理解していない事に残念な気持ちになっていた。


 あのブローチは預かったロウリスが責任を持っていた。

 現役の公爵に渡す物なのだからきっちり検査して無害だと分かってからマリーベルに託した。

 そして、リシス公爵に渡すマリーベルも責任を負っていた。


「魔法だけは箱に入れる直前にも確認をしていましたが……レオンは自分がすり替えた方に毒を仕込まれていたらなんて考えもしなかったのでしょうね」


 もしも毒が仕込まれていたら誰が罪に問われるかと言えば、ブローチを確認した立場のロウリスと、持ち込んだマリーベルである。

 結果的には何事もなく、夫からのプレゼントとしてクレアは持ち帰っていったが、知らず危険に晒された当事者達としてはそれで終わりで良い訳はない。


「……当分私もロアズ伯爵とは距離をおくとしよう。責任を軽んじる者はどうにも信用に足らない」


 会議の時間が近づいてきたので、リシス公爵とロウリスはともに会議室に向かう事にした。

 先程走ってきたレオンに声をかけた貴族も、一礼してリシス公爵の後ろを歩き出す。


「ありがとうございました」

「何。これくらいは礼には当たらない」


 リシス公爵の派閥の貴族は、詳細は知らないがリシス公爵達がロアズ伯爵と揉めている事を知っていて呼び止めたのだ。

 その内、不仲が噂になるかも知れないが、流石にロウリス達も知った事ではない。


「それにしても、マリーベルの怒りの発端がかの方の生誕祝いの菓子とはね……少し面白いものだな。ロアズ伯爵がきちんと妹に持ち帰っていたなら、マリーベルは前の王太子がいた事を覚えていた可能性がある」


 子供の頃のレオンはマリーベルに前の王太子を知る機会を奪っていた事も発覚していた。

 些細な事に見えて、レオンはなかなかやってはいけない事をやっていたのだ。


「それとも、お菓子を渡せなかった理由は別にあるのかな?」


 笑うリシス公爵に、ロウリスは重く苦しいぐらいのため息をついて、


「腹が減っていたんだと思います」


 何せ当時のレオンは十二歳か十一歳の子供だった。

 何でも大それた理由がある訳ではないのは当たり前の事だ。


 そうか、とリシス公爵は言っただけだった。





 新しく注文が入った事で需要がある事に気付いた店主は、細々と十一年前を最後に作らなくなっていたビスケットを店頭に並べるようになった。

 懐かしいとちょこちょこ買っていく客は多く、もう少し売り場を増やしても良いかと思ったのだが、騎士団辺りから目を付けられるのも嫌だったので、細々と作り続けるしかない寂しさを感じていた。


「こんにちは。今日もこの瓶に一杯になる分下さい」

「あいよ」


 常連の貴族令嬢に頼まれ、受け取った瓶の中にビスケットをザラザラと入れた。

 令嬢の持ってきた瓶も十一年前に廃棄処分となった筈の生誕祭限定で配られた瓶だったので、店主はこの令嬢をとても気に入っていた。


「おまけで上にクッキーを三枚程入れたからな」

「ありがとうございます」


 貴族令嬢としては質素なドレスに、庶民向けのビスケットしか買わない令嬢は恐らく没落貴族だと店主は見ていた。多分、バターも砂糖もたっぷり使うクッキーなど口にしていないだろう。

 先日大口注文をしてくれたアルマ伯爵夫人と年齢は大して変わらないだろうに気の毒な事だと、代金を支払って出て行く令嬢の背を店主は見つめていた。



『くれよ』

「明日の分がないわよ」

『明日は明日の分。今は今の分』

「今だから食べるのなら、明日も昨日の分もないわね。私達は明日も昨日も今の瞬間しか生きていないじゃない」

『何でもいい、くれ』


 誰もいない裏通りで独り言を言いながらあるくヘレネを見咎める者はいなかった。

 妖精は誰にも見えない。

 ヘレネの横にいる妖精も見えない。


『そのクッキー、君は嫌いだろう?』

「ええ、そうね。貴方が好きだから嫌いよ」


 笑顔でクッキーを頬張るヘレネと妖精に気付く者はいない。





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