2【シラーの光は眠るように揺らめいていた】
忘れかけていたその名前を聞いたのは、私が友人主催のお茶会に参加している時でした。
「シラード伯爵家がとうとう破産したとお聞きになりました?」
王都で出来た友人の一人がそんな事を言い出しました。
それまで別の夫人と話していた私も思わず振り返ってしまいました。
最後にシラード伯爵令嬢にお目にかかったのは、姉の処刑の前でした。
あれ以来全く話を聞かなかったので、寧ろ変わらず息災だと思い込んでいましたが……。
シラード伯爵家を話題に出した友人を軽く睨み付けた私の口からは、思わず知らずため息が漏れてしまいました。
貴族夫人の集うお茶会で、他家の動向は重要な話題の一つです。
金銭トラブルなど他に飛び火しそうな問題を起こしている家の話はかなり重要で、友人が破産したシラード伯爵家の事を話す事自体は何らおかしい事ではありません。
ただ今回の場合、過ぎた事とは言え、私の実家のロアズ伯爵家は、シラード伯爵令嬢との婚約解消の件でシラード伯爵家と揉めています。話題に出す前に礼儀として私に一言あるべき事でした。
もしや何かしら私への含みがあるのかと警戒しましたが、話題に出した友人は周囲の他の友人達と笑いながら、
「ああ……シラード伯爵家というと、子息が随分ギャンブルにのめり込んでいる噂は私も耳にしましたわ」
「破産したと言うなら、そのギャンブルの所為なの?」
「そうらしいわ。一度は何とか返済計画を立てて、子息もギャンブルから遠ざけたらしいのだけど、ほら、シラード伯爵家って……」
「ああ……なんて言うか現実を見ていない方々だったわね」
「そうそう、行き遅れの『眠り姫』もいるし!」
最後の言葉で一斉に笑い出したのは、生まれも育ちも王都である一部の友人達だけでした。
私のように結婚するまでは領地で生活をしていた者達は、彼女達が大笑いする理由が全く分からず、ただポカンと眺めていました。
行き遅れの『眠り姫』……?
恐らくシラード伯爵令嬢の事でしょうけど……兄の婚約者であったシラード伯爵令嬢について、私が知っている事は多くはありません。
彼女達の笑いの発作が一通り治まった後、私達が黙り込んでじっとと見ている事にようやく気付いた彼女達は慌てました。
「ごめんなさい! こっちだけで盛り上がってしまったわね」
「それは良いのだけどね……」
始めにシラード伯爵家の名を口にした友人ですが、どうやら含みはないどころか、そもそもシラード伯爵令嬢が私の兄、レオンの元婚約者だとは分かっていない様子でした。
それはそれで貴族夫人として確認と配慮が足りないと見做される行動です。しかも、お茶会の主催者も笑っていたグループに入っていますので、彼女達とは今後の付き合いを考えた方が良いかもしれません。
私の失望を余所に彼女達は、
「そうそう、シラード伯爵家って夢見がちな人ばかりだったから、子息は限界までギャンブルで一攫千金の夢を見るんじゃないかって、私の夫は前から言っていたわ」
「一攫千金って、本当にただの夢でしょ。しかも家族が誰も止めなかったなんて、最早悪夢じゃない」
「一応、令嬢の元婚約者が嫡男にギャンブルを禁止したんでしょ」
「大当たりして一括で返せる夢を見る人に禁止も計画も意味ないわよ」
「ふふっ。婚約者を逃がして幸運を手放しては、当たるものも当たらなくなったでしょうね」
私がラドリク様達を保護した頃、兄がシラード伯爵家に行っていた事を思い出しました。
どうやら、あの時の兄はなかなか帰って来なかったのではなく、思っていた以上に帰って来られない状況だったようです。今更の事実に開いた口も塞がりません。
私の元婚約者のジェイクもそうですが、父の見る目がない事!
「ねえ、その『眠り姫』って何なの?」
私の近くにいた、同じく地方から少し前に出てきたばかりの夫人が尋ねました。
王都組の夫人達は何故か一度互いの顔を見合わせると、何も知らない私達に向かって満面の笑顔で、
「いつまで経っても夢ばっかり見ているから、シラード伯爵令嬢は『眠り姫』と呼ばれているのよ」
お伽噺のような呼ばれ方をされている方が何故か増えました。
まあ、基本的に皮肉をしっかり込めた呼ばれ方で、消して良い意味ではないのが貴族らしいと言えばらしいでしょう。
これらの話をお茶会の帰りに寄ったロアズ伯爵家で話すと、義姉のノエリア様が腕を組んで考え込み、
「その話なら私も聞いた事があるわ。夢ばかり見ていて夢から覚めないから『眠り姫』って呼ばれる令嬢がいるって」
「そんなに有名だったのですか」
「多分……レオンの婚約者だったから特に噂されたのでしょうね。貴女達は全く気にした様子がないけど、ネーヴェ公爵家の血を引いているのだから当然でしょう」
そう言われても、母は確かに元ネーヴェ公爵令嬢ですが、ロアズ伯爵家としてはネーヴェ公爵家とは付き合いがある訳ではありません。
結婚して夜会などに出るようになって私は初めてネーヴェ公爵家の方々と挨拶した程度で、血縁者と言われてもピンと来るものはありませんでした。
「私も兄も、本当に血を引いているだけですよ。ネーヴェ公爵家に私達が働きかけられるものはありません」
「現実ではそうだとしても、他からすれば血縁と言うだけで価値があるように見えるものよ」
そう言えば、母と同じく公爵令嬢だった叔母が子爵家に嫁いだのは、迂闊な叔母が利用されないようにする為だったと聞いた事を思い出しました。あれは血筋も含めた意味だったのですね。
高位貴族は高位貴族と結ばれたがるもので、叔母の娘のベリンダも子爵家の子供であれば無理な婚約の申し出をしてくる家はないそうです。
ただちょっと、叔母の場合、公爵家で相当な事をやって追い出されたのではと周囲から度々誤解を受けているそうですが……。
そこまで考えると、何か個人的に引っかかるものを感じました。
「少なくとも……私にはネーヴェ公爵家の血を引いているからと言っても、婚約を含めて何の話もありませんでしたよ」
前の婚約者であるジェイクは父の友人関係で決まりました。
本当にネーヴェ公爵家の血を引く事に価値を見出されていれば、もっと違う話になっていると思うのです。
腕を組んでノエリア様は考え込み、
「多分だけど……以前の貴女は王都に滅多に来なかったからじゃないかしら。血縁者が注目されると言っても、名前を聞かない子供の事なんて忘れ去られやすいし。ほら、公爵夫人になったフランベルも貴女の名前は出さなかったから」
「うーん……」
そう言えば、フランベルの元々の婚約者もトラス子爵家でした。
父の伝手や柵もありますし、私の婚約問題については特におかしな点はないという事でしょうか。
「それに、話があったとしても良い話ばかりとは限らないでしょう。レオン様だって結局はシラード伯爵令嬢と婚約したじゃない」
それを言われると、私の方も何も言えなくなります。
十年前、兄はシラード伯爵令嬢と婚約しました。
その理由は私のような父達の私的な理由ではなく、政略的なものだったと聞いております。
……政略だった筈ですが、ロアズ伯爵家とシラード伯爵家が特に何かを共同でやっていたという事もないのですよね。婚約も解消しても何もなく、ちょっと不思議には思っておりました。
今度兄に聞いてみようかと思います。
「そう言えば……マリーの最初の結婚式、シラード伯爵令嬢って出席していなかったと聞いたのだけど、本当?」
「ええ……都合がつかないと欠席の連絡をいただきました」
口にしてから、私は違和感を感じました。
結婚式の出席者の調整などは母が請け負ってくれていたので、私はそれをただ聞いただけでした。
すっと目を細めたノエリア様が、
「義理の妹になる女性の結婚式が何ヶ月も、下手すると何年も前から分かっているのに、都合がつかなかったのね?」
当時、両親や兄は何と言っていたでしょう?
領地と王都を行き来した忙しさもあり、私は当時の事をはっきり思い出せませんでした。
そもそもそんな非常識な事を家族はどうして認めたのでしょう?
「近しい縁者となる女性の結婚式に欠席するなんて、病気などのどうしようもない理由がない限り、付き合う事はないという意思表示になるでしょう。そんな事をどちらもよく認めたわね」
『会いたくなかったから仕方ないでしょ』
ほんの少しだけ様子を見ていた妖精がそう言った。
声など聞こえないと分かっているので、堂々と笑いながら。
これ自体は調べれば簡単に分かる事だ。
花嫁側の人間として式を手伝っていたフランベルが、両親にシラード伯爵令嬢の欠席を認めさせただけの事。
当時は『優秀な公爵夫人』だったフランベルの言葉は随分説得力があった。
『あの子、嫌いだし』
そうして妖精は消えた。
シラード伯爵令嬢の友達は消えた。




