47話【妖精は妻には出来ない】
私はフランベルが恋愛結婚をしたと聞いた時、羨ましいと思いました。
当たり前ですけど、結婚を楽しみにしていた反面、一度も会った事のない人と結婚する事は怖い事でしたから。
周囲にいた友人も婚約者と会っていないと聞いていたので、貴族とはそういうものであると恐怖に蓋をして期待だけに目を向けるようにしている中、フランベルだけが異性と恋に落ちたまま結婚したなんて。
正直狡いとも思いました。
「あら、政略結婚でも恋愛になるわよ」
そう仰ったのは、兄の婚約者であったシラード伯爵令嬢フィーリア様でした。
「……お久し振りです、シラード伯爵令嬢」
既に兄との関係は白紙となっているので、私の事を家名で呼ぶのは正しい事です。
婚約破棄ではなく解消なので、私に話しかけてくる事も問題ありません。
それでも、以前と何一つ変わっていないと言わんばかりにニコニコしながら近付いてくるシラード伯爵令嬢に、私は顔がこわばってしまいました。
「お元気そうね? てっきり貴女が大怪我をしたと思っていたから」
「……どうして私が怪我をしたと思われたのです?」
「前も連絡が止まったのが貴女の怪我だったからよ。あの方、身内に何かあると凄く動揺するから心配していたわ。何もなかったのなら良かったわ」
冷静なようで兄はそういうところがあります。ついでに私を心配してくれていた事も真実なのでしょう。
シラード伯爵令嬢の以前と変わらぬ言葉と態度そのものについては、性格的な問題だと考えれば不自然とは言えないのですが、
「どうして騎士団にいらっしゃるのです?」
「ロアズ伯爵家の馬車がここに入って行ったからに決まっているじゃない。手紙を書いても返事もないし、直接会うしかなかったから」
それって何処かで見張ってました?
シラード伯爵家は何か特殊な家門でもありませんから、縁が切れた我が家の動向を把握出来る筈もありません。言葉通り馬車だけで判断したのであれば、本当の意味で偶然『私』の馬車だったのでしょう。ただ、この偶然は全く嬉しくはないです。
「……兄との婚約は解消されております」
「ええ。建前上はね。だけど、この先必ず結婚するのだから、関係維持の為にも手紙くらいはちゃんと送り合わないと」
私の護衛だけでなく、マルスも静かに位置を変えました。
そこまで危険はないと信じたいのですが、
「シラード伯爵令嬢、どうお聞きになっているかは知りませんが、兄は既に結婚しました。貴女と結婚する事はありません」
三日前に兄は結婚しました。
父の引退が早まった事もあり、物凄く急いだ書類だけの結婚です。
既に親族や関係の深い家には連絡をしており、その中には確かにシラード伯爵家もありました。
聞いている筈なのに聞いていないと言わんばかりに、シラード伯爵令嬢はキョトンとした顔で私を見ておりました。
「……どうして?」
「我が家の方がどうして、です。どうして結婚を断ったのです? ただでなくてもシラード伯爵家からは病気などの我が家としても納得の出来る理由の説明もないままに、どうしていつまでも結婚を引き延ばせると思ったのですか?」
当初の結婚の予定から無意味に四年も引き延ばされていたのです。父は婚約解消の話し合いの場で、はっきりとシラード伯爵家側に「もう付き合いきれない」とまで言ったそうです。
そこまで言っても、娘の望む結婚はさせたい筈のシラード伯爵からは納得出来る理由は出て来なかったと聞きました。兄は別の女性と結婚させる考えだと父達がはっきり伝えても、どうにもシラード伯爵家は事を理解出来ない様子だったとか。
シラード伯爵令嬢御自身も、立場を入れ替わりたい周囲から面と向かって行き遅れと言われているそうですが……
「そう言われても……私の両親が寂しいというのだから仕方ないわ。だって私達は愛し合っているから、結婚したら両親との時間なんてなくなるでしょう。まだもう少しだけ親子の時間を続けても良いじゃない」
もう少しと言うならば、御自分の立場を維持する努力をして欲しかった気がします。
既に兄は気持ちは冷め切ったと言っておりました。
「その結果兄が困っても良かったのですよね?」
「別に困らせるつもりはないわよ。今まで通り私は一緒に夜会にも出るし、これからも何も変わらないのだからいいじゃない」
「妻でもなければ婚約者でもない方と一緒に夜会に出る事はありません」
「ロアズ伯爵令嬢は噂の方と同じ事を言うのね。……もしかして、貴女が私への嫌がらせであんな噂を流したの?」
噂?
何の話でしょう。心当たりはありません。
戸惑いから一瞬言葉をなくした私の態度に、シラード伯爵令嬢は勝手に犯人だと判断したようで、
「流石に兄離れが出来ないからにしても、度が過ぎておりません? いくら将来的には義妹になるとは言え、不快な噂を流されるのは迷惑です。シラード伯爵家として正式に抗議させていただきますから。宜しいかしら?」
「私には一切身に覚えがございません。それでも抗議をされるというなら、私が噂の主だと絶対の根拠を提示していただけますね? でなければ、こちらも私に対する侮辱として相応の対応を取らせていただきます」
カチンときた事もありますし、シラード伯爵令嬢の顔色を窺う必要もない私としては抗議されても受けて立つだけです。
私に睨み返されたシラード伯爵令嬢はあからさまに怯みました。
「非を認めれば良いだけじゃない……」
「噂自体を知らない私が、何故流してもいない噂で謝る必要があるのです? どんな噂か知りませんが、私は無関係です」
「貴女しかいないでしょう!」
「私しかいないと仰るならば、併せて根拠を提示して下さい」
「根拠も何も、だから、貴女しか私に嫌がらせをする人はいないでしょう!?」
どういう噂なのか私が分からないままシラード伯爵令嬢はヒートアップしてきます。
それにしても、こんな人だったのですね。フランベルより余程会っていたので人柄は大体分かっているつもりでしたが、残念ながらつもりでした。
「まだいたのか、シラード伯爵令嬢。これ以上騎士団内で騒ぐ事は令嬢とは言え看過出来ん。捕まりたくなければ速やかに帰るが良い」
ここは普通に廊下です。通りかかった身分の高そうな騎士が、シラード伯爵令嬢に非常に嫌そうな顔を向けておりました。
そう言えば、シラード伯爵令嬢は私と会うまで騎士団本部で何をしていたのでしょうか。
「この子があの噂を流したのです。治安維持の為にも捕まえて下さい!」
「まだ噂だと言っているのか! 真実ロアズ伯爵令息は女性騎士と結婚した。これ以上妄想を繰り返すなら、今すぐ牢にぶち込むからな!」
噂って……兄の結婚が噂だって言っていたのですか。
正式文章で周知した事をただの噂としようとするのは無理です。本物の私の義姉の元で騒いだとしても、騎士団の要注意人物リストに載るだけでしょうに。
現役騎士のきつい言葉にシラード伯爵令嬢は涙目で黙り込みました。
余程忙しいのかフォローの言葉をかける事もなく、足早に部下らしき騎士達と立ち去っていきました。その部下達も友好的ではない目でシラード伯爵令嬢を一瞥していくのを見ると、シラード伯爵令嬢は騒いだ以外にも何かやらかしたようにも思うのです。
今更ですが、シラード伯爵令嬢の周囲には貴族なら当然連れている筈の護衛の姿がありません。
貴族を狙う不審者が多発していると警告が飛び交う現状で、貴族令嬢が護衛もなしに出歩くのは考えられません。どうしたのでしょう?
「シラード伯爵令嬢……」
きっと睨み付けてきました。
「今回の件、しっかりと貴女のお兄様には伝えておきます。家から放り出されても当然ですから、私は助けませんよ」
誰がどう説明してもシラード伯爵令嬢は兄と縁が切れた事を認められないようです。
私には到底理解出来ません。
「兄は貴女の言葉を信用しません」
「あら、お生憎。私を誰よりも愛してくれているあの方は、私を信じて下さるわ。元々疎遠で家を出る予定の妹と、愛する唯一の妻になる予定の私と、どっちを取るかなんて明らかでしょう」
そう話すシラード伯爵令嬢の目にはもう涙はなく、何処か夢を見るような笑顔を浮かべておりました。
本気でシラード伯爵令嬢が兄を好きだった事は認めましょう。結婚をしたかった事も理解しました。
「そんなに兄の妻になりたかったなら、ご両親を説得して嫁いでいれば良かったのですよ」
結婚したいと言いながら、シラード伯爵令嬢は何もしませんでした。
若くして貴族家の当主となる兄の不安を知りながら、シラード伯爵令嬢は寄り添う事もせずにただ恋や愛を無邪気に信じているだけでした。
「ええ。その内にね」
シラード伯爵令嬢だけなのか、シラード伯爵家全体なのかは分かりません。兄には溢れんばかりのシラード伯爵令嬢への愛があって、いつまでも結婚を待ってくれているという、シラード伯爵家にとって都合良く幸せな夢はいつ覚めるのでしょう?
ふわふわと微笑みながら別れの言葉もなく、シラード伯爵令嬢はふらりと去って行きました。
会話自体は疲れましたが、危険な事になる事もなく話が終わったのでほっとしていると、
「我々は妖精ではないのだから、いつまでも待ち続ける事なんて出来ない。あの令嬢は何年先に結婚するつもりなのだか」
やはり、リシス公爵もいらっしゃっておりました。
振り返ると割と直ぐ近くにおられたようで……シラード伯爵令嬢はリシス公爵の姿は目に入っていましたよね?
思わず私はシラード伯爵令嬢の背中とリシス公爵を交互に見てしまいます。
「隠れておられました?」
「ロアズ伯爵令嬢のほぼ真後ろで話を聞いていたな。私の姿が見えている筈なのに反応もしないなんて、あの令嬢はどうなっているんだ?」
こう言っては何ですが、本格的に夢の国の住人になられたのかも知れません。
「シラード伯爵令嬢も妖精ですか?」
「世の中を惑わせた者を特に『妖精の取り替え子』、『妖精』と呼ぶ。規模は小さくフランベルには到底敵わないが、妖精だろうな」
「それで良いなら世の中には妖精だらけになりますよ」
不思議とリシス公爵は上機嫌というか、気分が高揚しているように見えました。
何でしょう?
「いや、もう一つ条件がある」
訝しんでいる私の前にリシス公爵は一枚の書類を取り出しました。
開いた状態で突きつけられれば、自然に何の書類か分かる訳で、
「婚姻関係無効?」
神殿の名前が入った書類には、しっかりと国の許可が得た事を裏付けるサインと印が押してありました、
フランベルとリシス公爵の結婚をなかった事にするという通知を兼ねた書類の日付は、まさに今日。
「妖精とは結婚が出来ないそうだ」
誰も彼もがフランベルの痕跡さえも消そうとしているようで……それがフランベルの罪深さを物語っているように感じました。
「……だから機嫌が宜しいのです?」
「うん? そう見えるか? 機嫌は良くはないな。まるで全ての罪をフランベルにおしつけているようで寧ろ不快なくらいだな」
それは私も思っておりました。
確かにフランベルは色々な物事の原因と言えるのですが、明確に犯した罪と言えるのは、公爵夫人でありながらの不倫をした事による罪だけです。
学園における一連の問題もフランベルが指示した訳でもありません。フランベルの囁きにしても『味見』程度で誘導したとすると、貴族子女として当然自制するべきだった事を怠ったとして、寧ろ生徒の方に非が出てくるそうです。
前の王太子にしろ元王女にしろ立場の重みを問われて死罪となったのですから、他の貴族子女も同様に判断されると言うただそれだけの事だそうです。
「そう言えば、フランベルを利用した者は破滅するらしいですよ」
私は不意に思い出しました。
誰かがフランベルに罪を押しつけようと……利用しようとしているなんて私は疑っている訳ではありません。
ただ何となく黒幕がいたら破滅しそうだと思っただけです。
「ああ……なら、楽しみに待つとしよう」
リシス公爵のその返事でやはり黒幕がいるって分かるのですが。
止めて下さい、裏事情には関わりたくないのですよ!
私は一旦落ち着く為に息を吐きました。
ちょっと疲れていた事もあり、長く重かったかも知れませんが、ため息ではありません。
これまでフランベルに絡んでいた思惑をいくつも知る機会がありました。
その思惑の主は予想外の人物であったり、知らない人物であったりと私は何度も驚かされてきましたが、もう一人、思惑を問い質すべき方がおりました。
「リシス公爵、以前にフランベルとは都合が良いから結婚したって仰いましたよね。それってフランベルを利用したのと同じなのに、どうしてリシス公爵は破滅しておられないのでしょう」
その矛盾は、フランベルと会う前にはっきりさせるべき事でした。




