44話【魔女の友人は妖精の羽を握り潰す】
「愛していないならば、誰を傷付けても責任はない」
その言葉は結局誰から始まったのか。
クレアではなかった。例の女性でもなかった。死んだ前の王太子でもなかった。
なら、フランベルだったのか?
「愛していけないとは言わないけれど、誰かを傷付けて良いものではない」
元婚約者だったブルーノのその言葉があったフランベルが言う筈もなかった。
ただ、フランベルは確実に学園でブルーノの言葉を言っていた。でなければ真逆の言葉が何処から出てくるというのだろう。
「愛していなければ、誰を傷付けても構わない」
誰が言い出したのか。
誰が都合良く使い出したのか。
既にクレアの事件からして十年程度経過しており、フランベルが誰の前でブルーノの言葉を言ったのか分かる筈もなく、今更辿る事も不可能だ。そこにどれ程の悪意が込められていたのかも、最早知る術はない。
ただ、一つだけ言えるとしたら、悪意の言葉の主はよりによってフランベルの言葉を利用してしまった事だ。
フランベルに関わった者は破滅する。特に利用しようとした者は破滅する。
つまり言葉の主は、もうこの世にはいない。
「あら、ようやく辿り着いたの? 随分遅かったわね」
ロウリスとセルーア侯爵夫人は、ガゼボでぼんやりお茶を飲んでいたレセラ伯爵夫人の前に立った。
片方のロウリスは厳しい表情をして、もう片方のセルーア侯爵夫人は何とも言えない切なげな表情をして、フランベルとジェイクが会う機会を作ったと判明したレセラ伯爵夫人を見つめていた。
マリーベル以外の共通点もないロウリスとセルーア侯爵夫人は、揃って現れるにはかなり不思議な組み合わせであったが、レセラ伯爵夫人には驚いた素振りは一切なかった。
硬い表情のセルーア侯爵夫人が一歩前に進み出た。
「発端は貴女だったのね」
現状は愚かしいフランベルの行動がもたらした結果の筈だった。
事の発端もフランベルで、実に単純な話だとマリーベルを含めて多くの者が思っていた。
まさかフランベルが破滅する流れを作り出した者がいるなんて、セルーア侯爵夫人も考えてはいなかった。
「発端ってなあに? 全部既に始まっていた事じゃない」
「そうね。確かにとっくに始まっていたけど、全て隠されていたものが白日の下にさらされ始める切っ掛けを作ったのは、貴女と言う話よ」
マリーベルとの結婚式でジェイクとフランベルの不貞が発覚した事がなければ、今もセルーア侯爵夫人達は闇雲に沈黙を続けており、この流れや状況にはなっていなかっただろう。
だが、長らくセルーア侯爵夫人はあくまで限界が来て決壊したのだと思っていた。
「やっと分かったの? 待ちくたびれて死んでしまいそうだったわ」
いつもと同じ口調なのに、セルーア侯爵夫人にはレセラ伯爵夫人の『死ぬ』という言葉が冗談には聞こえなかった。
それこそ、誰も見抜かなかったら……。
セルーア侯爵夫人は辿り着く切っ掛けとなったロウリスに心の中で感謝をした。
元々フランベル達の不倫に関しては、一つだけ疑問が残っていた。
騎士団にいた頃からずっと、ロウリスはフランベルが何処でジェイクと会ったのか疑問に思っていた。
マリーベルはフランベルが公爵夫人として活動範囲が広かったからだと殊更追及はしなかったが、子爵令息でしかなかったジェイクは別だ。ジェイクはマリーベル達同様に親達から異性と出会う機会を減らされていたので、偶然フランベルと出会うと言う事はあり得ない。
誰かが意図的にジェイクとフランベルを会わせたのだ。
それに気が付いていたロウリスだが、マリーベルには告げる事はなかった。その代わり、再び動き出したと噂され始めたセルーア侯爵夫人に連絡を取った。
ロウリスにはこれ以上、ジェイクとフランベルの事でマリーベルに傷付いて欲しくなかった事もある。
ジェイクとフランベルを会わせた事はあの結婚式の惨状からして、マリーベルを害そうと企んだ可能性が考えられた。
それでなくても今の状況は何が何処に繋がっているのかも分からず、セルーア侯爵夫人は直ぐさまロウリスに協力する事にし、使用人達に調査を命じた。
騎士団では把握出来なかった様々な貴族のスケジュールをセルーア侯爵家の者達が丁寧に突き合わせた結果、レセラ伯爵夫人が協賛した展覧会でフランベルと母親の付き添いをしていたジェイクが同じ会場にいた事を突き止めたのは今日の朝の事だった。
同じ会場にいた。本当にたったそれだけの事ではあったが、仕込みとしてはそれだけで十分だった。
レセラ伯爵夫人は前からフランベルがどういう女性なのか知っていて、どう行動するかなんて分かっていた。
「愛人の子を跡取りにしたいからって、私の子を泥船でしかなかったあの王太子につけたのよ。信じられる? 本気で継がせるつもりなのよ?」
元側近候補の一人はレセラ伯爵夫人の息子だった。
あの一件でレセラ伯爵夫人の息子は廃嫡となり、今は愛人の子供が何食わぬ顔で後継の椅子に座っている。
事情を詮索されにくい状況だったからと言っても、流石にやり過ぎだった。
「信じられないわね。本当は誰の子なのかも分からない愛人の子供を本気で跡継ぎにするなんて、レセラ伯爵との付き合いはここまでにする事にするわ」
「丁度良いわね。あの女の子供もとうとう婚約するらしいから、早めだと嬉しいわ」
それをガゼボから少し離れた場所で聞いていたレセラ伯爵家の使用人達は、俄に焦り始めた。
近年のレセラ伯爵家はセルーア侯爵家との取引で何とか成り立っており、唯一の生命線が切られるとなるとまさしく家の存続に関わってくる。
急いでレセラ伯爵を呼びに行く使用人もいたのだが、レセラ伯爵夫人もセルーア侯爵夫人とロウリスも冷めた目で見ていた。
そんな事は最初から分かりきった前提でしかない。
「レセラ伯爵とセルーア侯爵家は、最初から夫人と私が友人同士だったから始まった付き合いでしょう。友人と無関係の愛人の子供が後継となるのだから、我が家とは縁も切れるに決まっているじゃない」
セルーア侯爵夫人は当然、レセラ伯爵夫人の息子が廃嫡された事や愛人の産んだ庶子を後継に据えた事も知っていた。その上で付き合いが変わらなかったのだから、レセラ伯爵ともども使用人達が勘違いしていたと言われれば、廃嫡せざるを得なかった他の家同様に一時的な措置だと思い込んでいたに尽きる。
ここまでレセラ伯爵夫人を横で見張っていた執事が顔を真っ赤にして声を上げた。
「ですが、あいつは死にました!」
「……事故ではなく、他殺でね。それが何を意味するのか分かって言っているのかしら?」
廃嫡されて平民となって死ねば、事故であろうと殺害されたのであろうと同じ扱いになり、調査もされる事なくただ死んだだけとなる。
たとえレセラ伯爵夫人の息子を殺害した犯人が父親のレセラ伯爵だとセルーア侯爵夫人が突き止めたとしても、廃嫡された事実は大きく、「今後の家の為にならなかった」と言われたら、罪に問う事は出来ない。
呆れる程姑息な方法だった。
「あいつは愚かな上に何かと我々に横暴で、レセラ伯爵家の為にはならない下劣な存在でした! 今のご子息は大変に素晴らしい方で、我々にも丁寧な扱いを心がけられて手を煩わせる事もなく、決して驕り高ぶりません。もう少しご子息の為人を知っていただい……」
「それって明らかに貴方達に都合の良い子供ってだけでしょう。第一、貴族の会話に勝手に入ってくる使用人に都合が良いなんて、貴方、そのご子息とか言う子供を下働きの子供扱いしているわよ」
執事は言葉を遮られた一瞬で自分が取り押さえられている事実に、驚きのあまり動けなくなっていた。
騎士を辞めているとは言え、ロウリスも貴族を貴族と思わない執事の態度をいい加減看過する事は出来なかった。
「他家の使用人であったとしても、侯爵夫人相手に限度を超えた不敬よ」
一般的に、使用人との間に出来た子を嫡子として認める使用人などいない。
まして跡継ぎとして扱う事などあり得ない。
レセラ伯爵家の使用人達はそもそも非常識だった。
貴族は血筋がものをいうので、親の血筋がはっきりしない者は周囲の貴族達から認められず、近年レセラ伯爵家が他の家から距離を取られているのはまさに後継に血筋の不確かな愛人の子を据えた事だった。
普通なら夫人が排除されていたとしても、執事などの上級使用人が当主にこれを指摘する。
けれど、レセラ伯爵はそんな常識外れをおかしいとは思わない者達をわざわざ使用人として寄せ集めており、セルーア侯爵夫人が先程から暗に言っている『レセラ伯爵夫人の価値』が分からない事も当然だった。
伝え聞いていた状況より遙かに酷い現状を見て、セルーア侯爵夫人は頭が痛くなってきた。
「……よくこの状況を我慢していたわね」
「大した事じゃないわ。上手くいっていると有頂天にさせてから破滅させる方が胸がすくでしょう。始まったら貴女は何処かのタイミングで動き出すし、私は待っているだけだったから、それ程苦ではなかったわ」
笑ってレセラ伯爵夫人は言うが、先程も散々レセラ伯爵夫人の息子の事を蔑んでいた使用人達は恐らく常時口にしていただろう。
ロウリスに地面に押さえつけられたまま藻掻くだけの執事と、ただ遠くで見ているだけの他の使用人達にセルーア侯爵夫人は非常に大きなため息をついて、
「本当に愚かで横暴な人間だったら王太子の側近候補になんてなれないわよ。王家に伝手のない当主にねじ込める筈もないし、普通に優秀な者だったから選ばれたに決まっているでしょう。……この家の者は王家の判断を疑っていると連絡しておきますから」
レセラ伯爵家は没落するのが先か、王家から処分を受ける方が先か。
何にせよ、レセラ伯爵が思い描いていたような未来は来ない。
何も荷物を持つ事もなく、レセラ伯爵夫人はセルーア侯爵夫人達と共にレセラ伯爵家を後にした。
最後までレセラ伯爵は姿を見せる事はなかった。
「皆不倫をしているから、自分も大丈夫だと思っているのよ」
その夫人の言葉の意味する所は、レセラ伯爵は今頃愛人と楽しくやっているという事だろう。
ただでなくても家が傾いている時期に当主が仕事を投げ出しているなんて、セルーア侯爵夫人も無責任過ぎて言葉が出て来なかった。
「不倫したフランベルが無罪放免で、何もしていない私の息子は殺された。本当に嫌になるわね」
自嘲めいた笑みを浮かべ、レセラ伯爵夫人は馬車に同乗していたロウリスに真っ直ぐ目を見て言った。
フランベルは身内ではないのでロウリスは言い訳する気はなかったのだが、
「……学園時代のフランベルは一応不貞はしておりません」
「そうね。唆しただけよね。私はただ場所を整えただけだから、フランベルの方が罪が重いわよね」
セルーア侯爵夫人達が思っていた以上に、レセラ伯爵夫人は学園時代の真実を正しく知っていた。
自分の息子が何をやってどうして死にまで至ったのか、母親だったからこそレセラ伯爵夫人は調べずにはいられなかった。
あの一連の出来事の根底にフランベルがいた事を、この中の誰よりも先に辿り着いていた。
一瞬、もっと早く真実を教えて欲しかったと言いかけたセルーア侯爵夫人は、自分には資格がなかったと言葉を呑み込んだ。
学園の事は伏せて隠すを強要されていた。
友人知人、家族であったとしても話してはならない。
特に罰則のあるものではなかったのだが、自分達の失敗を口にしているようで言う事も聞く事も自然と避けていた。
特にセルーア侯爵夫人はマリーベルに会うまで隠す事でもたらされていた安定に拘っていた自覚があった。
あの頃、もしもレセラ伯爵夫人に相談されていたとしても、ただ隠して伏せるよう言ったかも知れない。
ただ、それらはロウリスやマリーベル達には関係のない事だった。
「……貴女の行為でジェイクは罪を犯しました。マリーも命を落としかけました。それについてはどう思っているのですか?」
「どう思うね……マリーベル様には悪い事をしたわ。何となく結婚式で発覚するとは思っていたけれど、ジェイクがあんな行動に出るなんて予想はしていなかった」
レセラ伯爵夫人は元々策を用いて人を動かす人間ではない。
行動が読み切れなかったと言われれば、それもおかしい事ではなかった。
「……やった事自体は軽微で罪には問えなくても、結果は重大よ。しばらくうちで保護するけど、身の振り方はしっかり考えなさい」
「身の振り方なんて一つしかないわ。騎士団に連れていって頂戴」
「だから、軽微なのよ。騎士団から追い返されるわよ」
セルーア侯爵夫人は子供を産んでから落ち着いたレセラ伯爵夫人を長らく見ていたので、レセラ伯爵夫人もセルーア侯爵夫人の苛烈さに押し負ける事のない気丈な性格である事を忘れていた。
手を出せない場所にいるフランベルを地獄に落とすにはどうしたらいいか。
息子を奪われたレセラ伯爵夫人が考えていない訳もなかった。
「とある人物の毒殺に関わっていると言ったら?」
ジェイクは本当にフランベルを愛していた。
婚約者同士会う事を許さない両親に隠れて会う事が、まさしく物語の道ならぬ恋のようだとジェイクは母の古い友人に言った。
ジェイクは『マリーベル』との逢瀬に使う場所を提供してくれる母の友人にとても感謝して、相談をしていた。
「ベルは男に騙されているようなんだ」
フランベルはアクセサリー店に行く時は『マリーベル』の振りをする。
普段から愛する『マリーベル』を探しているジェイクがそこに辿り着くのは、時間だけの問題だった。
見知らぬ誰かにプレゼントを用意する『マリーベル』の姿は、公の場では声をかける事が出来ないジェイクからしたら、さぞや不安で心細かっただろう。
だから彼女は『魔女』よりも本物の魔女のように毒薬を渡した。
「愛しているんだったら、何を犠牲にしても守ってあげないと」
愛していなければ、誰を傷付けても構わない。
ジェイクを利用する事に、彼女は何の良心の呵責もなかった。
相手がフランベルの思い人だと知っていた。しかもその思い人が王太子の暴走を止めなかった元教師であるとも知っていた。
知っていたから彼女は息子と同様に巻き込まれて人生を狂わされたクレアのいる隣国の毒を用意した。
敵討ちや復讐しようと思っていた訳ではない。
ただ敢えて言うなら、自分の不幸をも隠す事に疲れてしまっただけだった。
「あの時、きちんと裁いてくれていたら、こんな事にならなかった」
学園の処分を決定した一人であるセルーア侯爵夫人への恨み言を残し、レセラ伯爵夫人は貴族令息であったジェイクを不倫などの犯罪に追い込んだとして死刑となった。




