32話【あの日の真実の影で妖精は笑う】
特にやる事もなかったので、母の言った通りにクレア様から貰ったアクセサリーを確認すると、一部には『親愛なる少女へ』と刻まれておりました。
その他は『親愛なるマリーベルへ』とあり、分けてみると趣味の傾向が違っている気がしました。
「うーん?」
まるで選び手が二人いるような。
ただ、クレア様以外だとリシス公爵しかいないのですが、リシス公爵は自分の分は別に贈ると明言されておりました。
私はアクセサリーをじっと見つめました。
「少女?」
挨拶的な『親愛なる』という部分は良いとして、問題は『少女へ』です。
一応私は成人済みなので、少女と呼ばれるのは妖精と呼ばれる程度にあり得ない事です。
これは過去の限定的な存在への贈り物ですので、正しくは、もしくは失礼だからと返品するべきでしょうか?
セルーア侯爵夫人から手紙が来たのは、調べる限界を感じていた時でした。
私にわざわざ話と言われれば思い至るのは一つしかなく、私は都合の良い日を連絡して出かける事にしました。
このところ少しずつ少しずつ、伏せられていた様々な物事は、箝口令を敷かれていない世代の人々の口に上るようになっておりました。
「婚約破棄が」「前の王太子が」「学園が」
当たり前ですが、誰だって理不尽なしわ寄せの結果の『不幸な一人』にはなりたくないのです。
密やかに語られる真実と言う現実は、自分達がいつの間にか被害者となっていると知った者達の間で急速に広まっていました。
その溢れだした切っ掛けがまさかジェイク様の処刑だったとは、私もセルーア侯爵夫人から聞かされて大変驚きました。
「どうして……?」
「親達から何も教えて貰えなかったと言うより、覚える機会を全て奪われていたにも関わらず、ジェイクは成年貴族として処刑されましたからね。ええ、わざわざ廃嫡して平民になった後なのに」
セルーア侯爵夫人はやるせなさを滲ませ、ため息をつきました。
以前お目にかかった時も酷く疲れた様子でしたが、今は病的にやつれ、どうしようもない無力感に打ちのめされている様子でした。
『私は心が折れました』
その一言のみの手紙を送ってきたセルーア侯爵夫人。
自分達の決断の果てに学ぶ機会が得られなかった者が、無知故に死刑となった事で、言葉通り本当に心が折れてしまったようです。
「セルーア侯爵夫人……」
「正しいと思ったのよ。定型通りにやっては国が傾くから、私達は最善だと思う方法を選んだ筈なのよ……その結果が今なんて」
現在から見たら過去の判断は明らかな間違いだったと分かりますが、あの当時は醜聞と問題が過密スケジュールを組んで次々に起こり、王太子と王女も事件を起こして国王が死亡すれば……正常な判断なんて無理でしょうね。
私は変に慰めの言葉をかけるのを止めました。
一応私も『被害者』側の人間だとセルーア侯爵夫人は分かっておられる筈で、私が慰めればセルーア侯爵夫人をまた傷付ける事になるでしょう。
しばらくセルーア侯爵夫人が落ち着くのを待ちました。
「ごめんなさい。こんな事を聞かせる為に呼んだ訳ではないのにね……。年を取ると後悔を何度も思い出してしまう。もうどうする事も出来ないのに……」
お茶を一口飲んだセルーア侯爵夫人は深いため息をつき、
「私は蟄居しようと思っているの。最大は娘の事だけど、私達がきちんと学園の問題を処罰していたなら、何も起きなかった」
「セルーア侯爵夫人、それは逃げではないでしょうか?」
「……ふふ。貴女ならはっきり言うと思ったわ。そうよ。逃げよ。私の力ではどうしようもなかったから逃げるの。けれど、少なくとも私がいなくなった分、邪魔がいなくなるでしょう?」
御自分が今後の障害になると思った故の蟄居なら、私が口を挟む部分はありません。
弱り切ったセルーア侯爵夫人につけ込もうとする者もいるでしょうし、それはそれで夫人の中では『最善』なのでしょう。
ただ、どんな決断も後に間違いであったと分かったとしても、正解ではなかったとは言い切れないのが、世の中の本当に恐ろしい所です。
「クレア様も……きっと私を罰したいでしょうね」
最終の処罰を決定した人物の中にセルーア侯爵夫人がいた事だけは知っておりますが、セルーア侯爵夫人は何処まで御存知なのでしょう?
「伺いたい事があるのですが、宜しいでしょうか?」
「ええ、いいわ。これで会うのは最後ですから、聞きたい事は好きなだけ聞いても良いわよ」
……恐らく夫人は自分を死んだ事にしたいのでしょう。
私は気付いてしまいましたが、正解の分からない私はそれについては何も言えません。
素知らぬふりをしてセルーア侯爵夫人に質問をします。
「前の王太子がクレア様を断罪する前には何かしらの兆候や動きがあったと思っておりますが、それには学園の者は対処しなかったのですか?」
「……覚えている限りなら、生徒は協力した者も止めようとした者もいたそうよ。使用人や教師達は『婚約者同士のじゃれ合いだと思っていた』そうよ」
「前の王太子とクレア様の仲は良くなかったと聞いておりますが、それでも?」
「政略結婚なんてそんなものでしょう?」
私は一点一点価値観や現実を話し合う気はありません。
政略結婚で仲が良くないと知りながらじゃれ合いと思い込んだ事がおかしいのは、正確には当時の学園の教師達の方です。
「じゃれ合いだと思い込んでいたにしても、断罪って何ですか? クレア様が何をしたと言い張ったのですか?」
「クレア様は全く何もしなかったのよ。王太子の為に優しい言葉をかける事も、手伝う事も、努力する事も、全て何もしなかったのよ。王太子の為に何もしなかったクレア様が悪いのだと、一部の者達が盛り上がった結果だったそうよ」
「何もしなかったって……本当に何もしなかったから? それが罪になるなんて変ですよ。そもそも王太子と王女の義務を肩代わりしていたクレア様が何もしていない訳がないと思うのですが」
セルーア侯爵夫人は寂しげに笑いました。
「見えない場所でしている事はやっていない事と同じだったそうよ。本当は別の人がやっていた。本当は大した仕事でもなかった。本当は仕事なんてなかった。そうね。何もしていなかった王太子には、何も分からなかったのよ」
これって……。
思わず私はセルーア侯爵夫人を凝視しました。
「誰かが王太子を傀儡にしようとしていたと言う事ですか……?」
「今ならそう見えるし、前の王太子は無能な上に努力もしないだけだったとも言えるのよ。どちらも真実だから厄介ね」
どちらか片方ではなく、傀儡に育てようとしたら何もしない人間だったと考えてしまうと……コラント辺境伯夫人が残された理由が良く分かります。
ただ、これまでの事を考えると、言葉のイメージ通り取って良いのかどうか。
「何かの思惑を感じていたから、前の王太子はわざと何もしなかった可能性はありますか?」
「当然あるでしょうね。けど、それが何だと言うのかしら? 思惑を感じていたから何もしなかった人間が、誰かを『何もしなかった』と責められるものかしら?」
セルーア侯爵夫人の静かな指摘に、私は自然に背筋を伸ばしました。
恐らく、これが本来のセルーア侯爵夫人なのでしょう。
「それに忘れているのでしょうけど、その断罪をした理由は『自分が好きな女性と結ばれるため』よ。何の庇い立てする必要もないでしょう」
「そこはそのままなのですか。逆に驚きです」
「ええ、本当……。クレア様が押しつけられた罪が王太子が好きな女性と結ばれる事にどう繋がるのか、全く理論的な説明が出来ない前の王太子に教育の限界を感じてしまったわ」
単に婚約者がいなくなったらと考えたなら、まだ私にも分かります。前の王太子がやったのは断罪ですから、それが好きな女性と結ばれるかどうかは……いや、何でそう考えたのでしょう?
例の女性も、あの時は婚約者がいましたし、いくら王太子であってもどうにもならないというか、男爵家か子爵家だったかで王族には絶対に嫁げない身分だとか……。
なるほど、確かに前の王太子の教育は限界でした。
「当時の側近候補達はどうだったのでしょう?」




