22話【妖精は幸せを囁かない】
リシス公爵と姉は恋愛結婚だった。
それはずっと聞かされていた事でしたが、姉の不貞が明るみに出てからの姉の真実を知る過程で、もしかしたら嘘ではないかと思い始めていました。
「お兄様?」
「と言っても、不適当な関係は持っていない。ただ何度かお茶をして少しばかり王都を回ったりしたくらいだ。私も当時は婚約者がいない状態だったから、誰と付き合っても文句を言われる筋合いはなかった」
当時は王女だったコラント辺境伯夫人の強い執着もあり、リシス公爵は婚約者を作れなかった可能性もあります。
それでもいつかは結婚して家を守っていかなくてはいけない身の上。
必要だった事でもありますから、それ自体は咎めるべき事ではありません。
「何人かと付き合った中にフランベルがいて、フランベルが一番私にしたら色々良い事ばかりだった」
「馬鹿王女が避けられた?」
「寧ろ彼女はあれでもフランベルの友人だから、私がフランベルと一緒にいると当たり前のように混じっても良いと思って突撃してきた」
コラント辺境伯夫人にとって友情とは何だったのでしょう?
いえ、何よりも優先されたのがリシス公爵だったと言う事ですか。
ただ話を伺っていると、かなり前からリシス公爵はコラント辺境伯夫人を避けていたようにも思えます。
前々から思っていたのですが、いくら王女がリシス公爵を慕っていたとしても王家とリシス公爵家との関係性を考えると、王女には早くからきちんとした婚約者を作っておくべきだった気もするのです。
「ふうん……学園の誰も止めなかったの。王女が王太子の婚約者の兄に付きまとっても……そこまでは知らなかったわ」
私はリシス公爵とクレア様を交互に見てしまいました。
兄妹ですから学園時代は一緒に暮らしている筈で、仲も悪くなかったら今更な内容に思えたのです。
「クレアと私は当時は別々に暮らしていた。王太子妃になるクレアは王太子妃教育の為に王城に留め置かれ、私は両親が相次いで病死した事もあって卒業して直ぐ公爵を継いだ。ああ、学園は私の卒業後にクレアが入ったんだ」
クレア様関係の情報も無闇に伏せられております。
そつのないリシス公爵が前の王太子の愚行の時に妹の危機に間に合わなかった事が不思議だったのですが、離されていた上に爵位を受け継いだ直後のバタバタも入っていたと言う事ですか。
学園の件は本当に肝心な誰かの隙をついたように事件が起きていたのだと改めて思いました。
「学園の当時の考えとして、大人になる前の今だから少しくらい羽目を外しても将来の糧になると説明された」
「少し? リシス公爵、あれが少し?」
「寛大な大人の目からすると、少しだったそうだ」
大人の寛大なんて結局は子供だと侮っていたとも言えます。
私が学園関係者の傲慢な考えに苛ついていると、クレア様は嬉しそうに微笑まれました。
微笑みの理由が分からない私が振り返ったリシス公爵も笑うだけです。
「彼女を止める者はいなかった。最終的に私とフランベルが一緒にいる事が我慢出来なくなった彼女は、フランベルを傷付けようとしたから私は彼女達に『ただの味見』と言ったんだ」
突然暴露したリシス公爵を私達はじっと見つめてしまいました。
実は学園でもコラント辺境伯夫人は姉を襲おうとしていたなど……もしかすると両親も知らないのではないでしょうか。
寛大とか穏便とか、気に入らなければ相手を傷付けようとする性格の生徒がおりながら、悠長にそんな事を言っていた学園関係者の正気を疑ってしまいます。
クレア様がどういう思いで聞いていたのかは分かりません。
「馬鹿王女……」
クレア様が吐き捨てるように呟かれ、リシス公爵は軽く肩を竦めました。
「まあ、君達がフランベルの発言を気にしているようだから、一応『味見』は私が最初に言ったと告白しておこうかと思ってね」
「はあ……」
少なくとも私とロウリスは姉の発言のルーツがリシス公爵にあった事よりも、コラント辺境伯夫人が二度目だった事に衝撃を受けておりました。
リシス公爵は何とも思っていないようですので、もしかするとリシス公爵はリシス公爵で伏せられているとも思っていないのかもしれません。
「私の言葉だからフランベルや彼女の中に残ったのかも知れないなんて、考えすぎだろうけど」
私には同意も否定も出来ませんでした。
姉とコラント辺境伯夫人には恋愛感情があった分、リシス公爵の影響は大きかったと思います。
魔法の言葉は姉が勝手に囁いていたものではなかった。
けれど、姉もまたリシス公爵の言葉を利用し歪めて使っていたような気がして、私の心には不快感がわだかまっておりました。
話している内に完全に冷めてしまった紅茶も、暑いくらいのこの場所では丁度良く喉を潤しました。
「クレア様、私の方から伺って宜しいでしょうか?」
「何でも良いわよって答えたい所だけど、私も立場があるから答えられない事もあるわよ。それでも良いなら」
「では、姉と前の王太子についてお伺いしても宜しいですね?」
この先、姉と対峙した際にはっきりさせたい事の一つです。
別に断罪する気はありませんが、私は姉の行動をはっきりさせないと一生姉にもやもやして生きていくと思うので、可能な限り真相に近付きたかったのです。
「……馬鹿王女じゃなくて、前のアレね。良いわ。私自身が関わってくる部分は答えられないかも知れないけど、それ以外は大丈夫よ」
リシス公爵は王家への不満をあまり出しませんが、隣国に籍があるクレア様はやられた事もありますからはっきり口にする事に迷いはないようです。
少し思い出を振り返るよう遠い目をすると、
「……前のアレもあれで昔は自分の能力不足を何とかしようと足掻いていたのだけど、学園に通っている内に変わってしまった」
当時の学園に通っていた者で、入学前と卒業後が変わらなかった者はどの程度いるのでしょう。
姉も学園の入学後に変わった事を考えると、姉が原因と言うより学園自体にあった他の要因が強く影響した結果な気もします。
「姉と前の王太子はお知り合いでしたでしょうか?」
「それが聞きたい事なの? 私の友人として前のアレには紹介したのだけど……もしかしてフランベルと前のアレは何か関係があった?」
「関係というか、女性関係で『ほんの少しのつまみ食いなら誰も責めない』と姉は前の王太子に言った可能性があります」
私の言葉を受けても、クレア様は驚く事はありませんでした。
美しく首を傾げ、たっぷり時間を取った上で、
「……ごめんなさい、どういう事?」
「姉が同じ言葉を当時王女だったコラント辺境伯夫人に言ったら、ほんの少しのつまみ食いのつもりで貴族令息達とがっつりギリギリの関係になったそうです」
「え、いえ、でも……嘘でしょ?」
少し遅れて話が繋がったクレア様は余程事実に動揺したのか、態度に出てしまっています。
私はまっすぐクレア様を見て言いました。
「押し止めていた欲望の枷を緩める言葉になったそうです」
「あ……あ、ああ……あー、あー……」
頭の中を整理しながら何かを言おうとされたクレア様でしたが、意味のある言葉ではありませんでした。
隣のリシス公爵は目を伏せ腕を組んでおられ、何を考えているのか一切窺えませんが……恐らくある程度は気が付いていたでしょう。
やがて、クレア様はがっくりと項垂れました。
「……前のアレ達は己を律するなんて言いながら、ただ周囲から欲望の対象となりそうなものを遠ざけられて触れないだけの生活をさせられていたわ。思えば側近達も同様の生活をしていたのだから、欲望を制御する方法なんて誰も知らなかったでしょう」
「遠ざけて触れない事もよくある欲望への対処法と言えばそうですよね」
「でも、それだと対処であり制御じゃないのよ。ぼんやり眺めるしかなかった欲望が叶ってしまった場合、我慢なんか一切出来なくなる人も出てくる」
前の王太子も、寧ろ遠くから眺めるしか許されなかったから異性に対する欲望が膨らみ、一度叶ってしまったら貪欲に先を求め、後戻りが出来なくなってしまった。
それでも言い訳は『味見』だったのでしょうね。
突然クレア様は扇を思い切り机に叩き付け、扇を真っ二つに折ってしまいました。
リシス公爵はそれを眺めているだけなので、私達も驚きはしても動揺はしませんでした。
「何よ……私が苦しまされた最大の原因は友達だと思っていたフランベルだったと言う事!?」
フランベルの囁きがなければ、確かに前の王太子達は失脚する事もなくクレア様と結婚して……そうしたらクレア様は幸せになっていたでしょうか?
クレア様への冷遇問題は前の王太子が異性問題を引き起こす前からのものです。
まして、明らかに激烈と言って良い程欲望に弱かった前の王太子なら、何年かしない内に女性問題に留まらない問題を引きおこして別の理由で処分されていたかも知れません。
それに比べ、今のクレア様は能力に相応しい立場を得て、慕われて、配偶者との関係も羨ましがられるものだと聞きます。
クレア様は間違いなく幸せです。
それでも、まだ苦しみは忘れられず、傷も癒えていなかったのでしょう。
「……ねぇ、知っているなら教えて頂戴。フランベルはどうしてこんな事をしたの? 私の事がそんなに嫌いだったのかしら?」
真実はある種とてつもなく残酷です。
言いにくい事もあり私は口を閉ざしておりましたが、必死に縋るような目を向けられ……
「……姉はクレア様に思う所なんてなかったと思います。ただ、前の王太子達に善意で囁いただけです」
「善意……?」
信じられないという目をされますが、姉はあれで基本善意の人間だとは私よりもクレア様の方が知っていると思います。
もしもクレア様達が姉の言葉の意味が分からないなら、たった数回しかまともに会っていない私が分からない事など当然でしょう。
「善意って……私と前のアレが婚約していたってフランベルも知っていたのよ?」
「息抜きのつもりで助言したのでしょう。姉は彼らが節度ある行動を取ると思っておりました。コラント辺境伯夫人に対してもそうだったように」
もしかすると姉は他にも何人も同じ事を言ったのかも知れません。
ですが、的確に囁いてはいけない人間にも囁き、『悪い行動ではない』との印象を与えてしまったのが、今思っても怖い所です。
「善意だったから前のアレが事件を起こしたのに、フランベルは馬鹿王女にも同じ事を呟いたのね」
苦々しいと言うより、最早諦念の表情でクレア様は壊れた扇を見下ろしておりました。
これでフランベルが王家の王子と王女を破滅させたとはっきりしました。
善意に包み込まれた罠で、一人からは命も、もう一人からは残りの人生を奪ってしまった。
一通り話が終わると、サンルームは暑いくらいなのに、非常に寒いような感覚に陥っていました。
「最悪だな……」
リシス公爵はポツリと呟きました。
元王女との婚約で一度は別れ、婚約が解消となった事でもう一度姉を選ぶ程度にはリシス公爵も姉が良かったのでしょう。
リシス公爵が見抜けなかった姉の異常な本性は、私の結婚まで不思議と明るみに出ませんでした。
「本当に最低なのはコラント辺境伯です」
リシス公爵もクレア様も私を振り返りました。事前に私から話を聞いていたロウリスは動揺もしておりません。
先日の事がありコラント辺境伯の事は何度もロウリスと話していたのですよ。
「コラント辺境伯は姉の言葉を利用しました。利用出来たと言う事は、姉の言葉が何を引き起こしていたのか知っていたと言う事です」
全てが繋がっている前提で起きていた問題と結果を見ると、たった一人だけ得しかしていない人間がおります。
望んだものを手に入れて何一つ失っていないのは、コラント辺境伯だけ。
妻にした愛しい女性から拒否されている事は皮肉な事ですが、学園時代のコラント辺境伯が正しく動いていたなら、こんな不幸な連鎖は起きず傷付く人も亡くなる人もいなかったでしょう。
私の中で、コラント辺境伯は一人だけ欲望を制御した人間のようにも思っておりましたが、リシス公爵は冷徹に、
「確かに利用していた一方で、コラント辺境伯自身もフランベルの言葉に踊っていた存在だ。フランベルが起こした混乱で意中の女性が手に入れられると気が付くと無理にでも手を伸ばしたが、相手からは愛されず幸せとはほど遠い」
学園にいた誰もが子供でした。
欲望に溺れるだけで誰一人まともに制御出来ず、寛大な心で歯止めのきかないまま彼らは破滅していきました。
「最悪ね。学園には卒業どころか一年も行かなかったけど、行かない方が安全だったじゃない」
学園は消してしまうしかなかった。
かつてはもみ消しの意味で消されたのですが、クレア様の言葉通り行かない方が安全だった学園はなくなって良かったのでしょう。
コラント辺境伯が自分の妻を取り戻す為に襲撃隊を編成して騎士団を襲おうとしたニュースを聞いたのは、それから数日後でした。
特に戦闘らしい戦闘も起きず、襲撃隊内部の裏切りでコラント辺境伯は騎士団に拘束されたニュースも同時でした。
「あんな奥方を迎えなければ、我々は一生付き従ったのに!」
コラント辺境伯は元部下達の言葉をどのような思いで聞いたのかは分かりません。
騎士団の襲撃など王家への極めて危険な反抗の意志があるとして、即日処刑されたと聞きました。
妖精に惑わされた者の末路の中で、私が一切同情出来なかったのはこの方だけでした。




