20話【最後の一人で最初の犠牲者】
結婚のお祝いがしたいと叔母から連絡がありました。
そして、その手紙の封筒の裏に何故か一部をのりで貼り付けた従姉妹のベリンダの手紙が。
「絶対に同時に読ませたかったんだな」
「厄介ごとの気配もしますけどね」
変わった状態で届いた手紙には兄も母も気になったようで、私が次のベリンダの手紙を読むのを待ち構えております。
何かあったときの対応もありますし、仕方ないのでしょうけど。
特に勿体ぶる理由もないので私はベリンダの手紙を開きました。
叔母の手紙に合わせる為に余程急いで書いたのか、時候の挨拶などは一切省略されて走り書きの文字で、
『母の記憶の中ではマリーお姉様の前の結婚はなかった事になっております。その件を話すと混乱で倒れてしまうので、母に話を合わせて下さい』
姉妹として生まれ育ち、叔母とは一番付き合いの長い母に無言でベリンダの手紙を渡しました。
さっと読んだ母は眉間に深い深い皺を寄せ、次に兄に渡しました。
「……前々から思っていたんだけど、母やマリー達を見ると叔母様だけ毛色が変わっているよね」
「繊細でか弱い貴族夫人の方が少ないでしょう。貴方は私達が図太く心臓に毛が生えた頑強な猛獣とでも思っているのでしょうが、妹の方が珍獣なのです」
兄は「いやそこまでは……」とごにょごにょ言っておられましたが、母が睨むとばつの悪そうに口を閉ざしました。
私達との比較は意味がありませんし、叔母もここまで行くとただただ面倒な人なので、付き合わなくてはいけない叔母の一家は大変だと思っております。
そして、お祝いの品を一緒に買いに行く当日、出かけようと準備をされていた叔母は何処かで自分で記憶の齟齬を発見してしまい、いつものように倒れられたと連絡が入りました。
驚く所は何一つありません。実に叔母らしい事です。
ただ、その知らせを聞いた母は静かに目を伏せ、
「……一人で選んできなさい」
言葉に出来ない深い悲哀が漂っておられました。
私と姉とはまた違う関係ですが、母も姉妹に苦労しておられるようです。
「あまり華美な物は避けた方が良いですよね?」
「マリーくらいの年齢なら華やかな物を選ぶ方が無難でしょう。予算なら足りなかったら我が家から出します」
「そんなに目立つ物はいりませんよ。程々の物で」
「程々が分からない時点でお止めなさい。貴女の場合、好きなデザインを買う方が余程無難になります」
きついくらいの勢いで断言した母は遠い目をしました。
「昔、目立ちたくないから非常に地味なドレスとアクセサリーで夜会に臨んだ方が実在したの。その地味な装いの所為で、とてもとても夜会では浮いて目立ってしまって倒れられた方の事くらい思い出してあげて頂戴」
聞いた覚えのある叔母のエピソードでした。
周囲が全員華やかな装いなら、対極の地味な装いは無茶苦茶目立つ事は分かります。
母が平均的な装いを強く進めるのは、母の方もその一件が心の傷になっているのかも知れません。
「だから、キャンセルすると言っているんだ!」
店に入ると何やら揉めている声が聞こえてきました。
高級店でも稀にある事です。
今度は私が行く先々で事件が起きるとリシス公爵に思われるのも嫌なのですが、叔母の指定した叔母が贔屓している店であり、私にも予定もある事から店に入りました。
店主らしき相手と言い合いしている客に気を取られている店員は、私への挨拶はそこそこでした。
こんな中で接客もおかしいですから、私は気にしません。
「代理と仰っても、委任状もなければ我々も対応が出来ません」
「うちは品物が来ても受け取らないし、請求書が来ても払わないからな!」
発注した物をキャンセルする、しないで揉めているのでしょうか。
余程の特注品にしても意外に再加工も出来る事もあり、宝飾品はキャンセル出来ると聞いておりましたが、
「いいえ。貴方がどう言おうが払っていただけますから、どうぞお引き取りを」
「兄のサインは無効になっている! それでも支払えというのか!」
「はあ。無効になる前のサインは有効でしょう」
それにしても、代理人らしき貴族子弟を小馬鹿にした対応であしらおうとしている店長が実に気分の悪い事です。
余程スポンサーに大貴族がいたとしても、貴族階級相手の商売をしている平民の店長があんな態度を取っては貴族からの印象が最悪になり、店の経営は上手くいかなくなるでしょう。
数人の客がまさに不快感を露わに店を出て行きました。
「毎日来ても迷惑です。私どもは直接当主様と取引をしておりますから、貴方の一方的な話は受け付けません」
店主は大きい顔をして一方的に話を切り捨てました。
代理人や使用人が店に注文を断りに来るなんて、見栄で買い物した事にする貴族にはよくある事です。
と言うか、無効になる前に当主らしき人がサインしたとしても、サインの効力がなくなった時点で売買契約は無効となる筈ですが、何故店長は自信満々なのでしょう?
「ねえ、あの男の人ってコラント辺境伯の弟ではないかしら?」
近くにいた私と同じ年齢くらいの令嬢に声をかけられました。
この令嬢も運悪く一人で買い物に来た方のようでした。
「そうなのですか? 私は最近王都に来たばかりなので貴族子弟の顔はあまり知りませんから」
「あらそうなの。私の方も親達の方針であまり男性貴族の顔を知らないのだけど、あの方はコラント辺境伯の弟君だと思うわ。……どうもコラント辺境伯の夫人へのプレゼントをキャンセルしに来たようなの」
後の言葉は声を潜め、責めるような口調でもありましたが、私にはコラント辺境伯の弟の行為は何らおかしいとは思えませんでした。
「キャンセルするのは当然でしょう。コラント辺境伯夫人はもう二度と夫人の立場に戻れないのですから、意味のない出費は何処も整理しますよ」
「え!」
令嬢の驚きの声が大きく響き、店内の他の客だけでなく店員や言い争っていた店長達も私達を振り返りました。
ここで目立つのは御免被りたいところですが、コラント辺境伯夫人が何をやったのかも伏せられている話ではないと思っていただけに、周囲の様子が何だかおかしい気がしました。
注目が一切気にならない令嬢は私の方に身を乗り出して、
「本当なの!? コラント辺境伯がもうすぐ連れ帰るって仰っていたのだけど」
「無理ですよ。夫人への虐待が分かったので、コラント辺境伯がどう足掻いても騎士団は夫人を帰しません」
店内の何処からか「え?」と声がしましたが、私の知らない声なので誰か分かりません。
あれ? 夫人が虐待を受けていた疑惑は……まだ公表されていなかったことでしょうか?
口止めもされなかったので、多分話しても大丈夫だと思うのですが……。
驚き焦っていた令嬢は次から次への知らなかった情報を聞いた事で、一転して興奮気味になりました。
「嘘、何その話! それでそれで? 虐待を受けていたなら夫人は何処かに保護されるの? 順当に夫人を保護するなら王家よね」
「……コラント辺境伯夫人は王家から廃籍された身です。縁もない女性を王家が保護する事はないでしょう。現に数週間たった今もなお、コラント辺境伯夫人は騎士団に拘留されたままです」
「えー……でも夫人本人は不倫程度しかしていないのでしょう? 厳し過ぎると思うわ」
不倫程度。
呆れた言葉を放つ令嬢に、私は寧ろこの令嬢は全く何も知らないのだと確信して無駄な力を抜きました。
「お言葉ですが、不倫程度ではなく不倫は大問題なのですよ。その前にあったリシス公爵家の元夫人の不貞にしても、家の乗っ取り疑惑も入って元夫人は順当に死罪となるだろうと普通に話されておりますよ」
今度は何処からも驚く声は聞こえませんでした。
その代わり、店内は恐ろしい程の静寂に包まれておりました。
息づかいの音一つ立ててはいけないように。
令嬢は恐る恐ると言った様子で、
「……つまりコラント辺境伯夫人も?」
「コラント辺境伯夫人は不貞もしましたし、『女性』を斬り殺しかけました。そう言う意味ではリシス公爵元夫人より罪深い気もしますね」
口にした私はとても虚しい気持ちになりました。
姉やコラント辺境伯夫人の罪は勿論の事、この令嬢や店内の人間の多くが中途半端にしか事実を知らない様子に、また安直に事件を隠して曖昧にしたかった者がいる事に、私は頭痛ではなく吐き気を覚えました。
言葉をなくした令嬢はふらふらと店内の客用の椅子に座り込みました。
私達も女性だからこそ不貞した末路はきちんとどうなるか教えてくれた方が身の為になると思うのですけど、教えなかった者達の考えでは教えなかったら不貞をしないとでも思っていそうです。
叔母への義理とは言え、既に商品を選ぶ空気でもなくなっておりましたので私が帰ろうとすると、
「……嘘だ! あんたはさっきから嘘ばかりついて何がしたいんだ!」
何故か店長がコラント辺境伯の弟を無視し、私の方に詰め寄って来ました。
さっと何処かの家の男性使用人達が店長の前に立ち塞がり、私の視界も遮られた事で恐怖をあまり感じませんでしたが、この店長は本気で貴族相手の商売をしてはいけない方のようです。
他の客の男性使用人達も店長を取り囲み始めました。
実際にコラント辺境伯夫人の事情の多くは騎士団により公表されているのですが、情報を操作されるような貴族令嬢令息でもないのに店長はどうして知らないのでしょう?
「コラント辺境伯夫人は女性と揉めて怪我をさせただけだ! その女性が大袈裟に言ってコラント辺境伯夫人を貶めているんだろう」
「騎士団の目の前で起きた事件ですよ。それにコラント辺境伯夫人の身分なら女性に怪我をさせた程度だったら普通ならもみ消す事など簡単です。それがやれないという時点で、怪我程度ではなかったという事です」
コラント辺境伯の弟は私達に近付いたものの、私が誰か分からない上に口を挟むタイミングも見つけられず、右往左往しております。
私達がどの家のどの誰かなのか身分すら分からない状態にされてしまった結果ですから、コラント辺境伯の弟は情けないとか言ってはいけません。
問題があるのは、平民なのにここまで貴族を下に見ている店主でしょう。
「……あの方は王女だった。そんな事は罪にはならない!」
「罪になります。それにたとえ本当に王女の身分であっても、この国では罪を犯せば王族も相応の罰を受けるしかないと決まっております」
「だが陛下は叔父だろう! コラント辺境伯夫人は何があったとしても元王女で陛下の姪なのだから、温情があってしかるべきだ」
「そもそも温情でコラント辺境伯に嫁いだ方です。その後も醜聞に醜聞を重ねた夫人は温情をいただけるような身ではありません」
不貞の結果誰が父親か分からない子供を産んで王家の血を汚しそうなコラント辺境伯夫人に、王家がこれ以上の温情を与える事はないでしょう。
他の店内の貴族からも一切反論は上がりません。
よく考えなくても分かる話でありますから。
「元王女で……」
「元王女はただの事実で、身分ではありません」
コラント辺境伯が、もしくは王家が何とかするから取引が継続出来ると思っていたのでしょう。
商売人なのにサインの仕組みを知らない事も、これまで聞いた見込みの甘さに加えて、貴族と取引する事は破滅しかない方のような気がしました。
そして、あまりに店主は貴族を知らない。
「あれがいくらすると思っているんだ! いくら儲けが出ると分かっている!? お前が代わりに払え!」
無謀にも私に掴みかかろうと手を伸ばした店主を押さえ込んだのは、使用人の方々と男性客の方でした。
その男性客は私をジロリと見て、
「君は煽るのが好きなようだが、煽るのは程々に」
その顔には見覚えがありました。騎士団の騎士の方です。
休日を潰してしまった事には申し訳ない気持ちになりました。
「私は正しく商売をしているだけだ! 善良な市民に対してこのような扱いは貴族でも許されるものではない!」
なおも暴れ続けて皆に押さえ込まれる店長に、不意に奥で座っていた姉と同じくらいの年齢らしき女性が近付きました。
床に押しつけられた店長の顔を覗き込み、
「貴族令嬢に手を出そうとしましたね?」
私は別に狙っていた訳ではありません。
ただ知っていて当たり前の事を突きつけただけでしたが、もう少し交渉の形を取っていたら……コラント辺境伯の弟の顔を見て、私は無理だったと思い直しました。
女性は優雅に笑って、
「ここにいる全員が貴方を貴族令嬢への恐喝で訴えます。平民の貴方はそれだけで死罪でしょうね」
代理人であったコラント辺境伯の弟は、どんなに店長に邪険にされても寧ろ穏便に事を進めようとしていたのです。
無知を理解せず調子に乗り続けた末路でしょうか。
あの叔母の紹介する店ですからひと味もふた味も違いますね。
店主も最悪の形で騎士団に連行されていき。今後は閉店するしかない店を後にして、私は背後で顔を真っ青にしていた従者と共に帰りました。
その日の夜、リシス公爵家から手紙と共に三点の美しいアクセサリーが贈られてきました。
『正直者のコマドリさんへ。見事なさえずりは兄にも聞かせたかったわ』
短い手紙の差出人の名前に、私は目を見張りました。
その名前は私も何度も耳にしながら、聞いている話から絶対に会う事はないと思っていた人物。
「クレア様……」
姉が惑わした前の王太子の元婚約者であり、姉の被害者の一人と思われる方の名前に、私は体が震えました。




