15話【妖精はただ自由に振る舞った】
短い距離の移動でしたが、私は少しうたた寝をしてしまいました。
色々疲れていたと言う事もありますし、ロウリスの顔を見てほっとした事もあるでしょう。
馬車の中で揺られながら、束の間夢を見ておりました。
私がまだ幼い頃の情景が広がる中。
今も母の元で働いている侍女が若い姿で私の手を引いておりました。
少し前に思い出した事をもう一度夢の形で見るなんて、私は余程気になっていたのでしょう。
「妖精のように綺麗ね」
領地にいたおばあさんは孫が褒められたというのに、嘆き悲しんでいる様子がありました。
理由が気になった私が振り返ったとき、おばあさんは天に向かって嘆くように叫びました。
「妖精は確かに美しいが気紛れで移り気だ。あんた達は分かっていないけれど、妖精はふしだらな性質を持っているんだよ!」
恋多きと言う性質はお伽噺では如何にも可愛らしく語られておりますが、現実では美徳に入るものではありません。
寧ろ家と血を守っていく義務を持つ貴族からしたら忌避すべき性質です。
妖精もその観点から神殿の教えにより排斥された時代があったと、淡々とした言葉で侍女が教えてくれました。
あのとき一緒にいた侍女は、子供に変に隠すより正しい知識を教えた方が良いという考えがありました。
きちんと侍女は説明してくれたのですが、私は小さくて理解しきれずに長らく心の奥にしまってしまいました。
「妖精と一緒にされるなんて、身持ちが悪いと言われているようなものだ!」
あの時のおばあさんの叫びを覚えていたのなら、姉が妖精だと言い出された事も直ぐに理解出来たのか。
コラント辺境伯夫人に会う事は聞いておりました。
ただ、私は他に同行者がいる事は聞いておりませんでした。
「初めまして、ロアズ伯爵令嬢。私は第一王女のオーリス。こんな場だから挨拶は簡略化させて頂くわ」
姉とは縁を切った私達が、その後も後片付けに追われているように、王家も元王女を捨て置く事は許されなかったようです。
私が礼をする前に王女様は、
「こっちは書記官のラッド。私達の事はオーリス、ラッドって呼んで頂戴。コラント辺境伯夫人の事もあるから王女だけだと混じるのよ」
コラント辺境伯夫人は不祥事があった分、姉より早いくらいで結婚しているでしょう。
つまり王女ではなくなって八年以上経過しているのに、混じるなんて事があり得るのでしょうか。
「言いたい事は分かるわよ。コラント辺境伯夫人は王家の籍からも外れて結婚しているのだから、とっくに王女ではないものね。でも、コラント辺境伯にとっては夫人は今も王女のまま」
好きだった女性を手に入れたいが為に、その女性を追い込んで立場を失わせた事を知ってしまうと、コラント辺境伯のその後の行動は詭弁にしか思えません。
妻を王女と呼ぶくらいなら、踏み止まって欲しかった気がします。
「コラント辺境伯がもっと恋心と同じように粘着質に夫人を囲って監禁していれば事件など起きなかったのに。中途半端に甘いのは困りますよね」
「はい?」
不穏当な言葉が聞こえて思わず聞き返してしまった私は口を押さえました。
オーリス王女は艶やかな笑みを浮かべ、
「閉じ込めていたら不倫も、貴方を切りつける事もなかった。そうでしょう?」
コラント辺境伯の罪は何処までも深いものでした。
コラント辺境伯夫人は夫の辺境伯には会いたくないの一点張りだそうです。
夫人の望まぬ立場になった一端はコラント辺境伯にあり、今なら嫌っているのも無理はないと思えました。
「元気そうね……」
謝罪はありませんでした。
自分が姉の被害者と思い込んでいるコラント辺境伯夫人にとって私は憎い姉の身代わりの面があるようです。
私となら話すと言ったのも、同じ理由でしょう。
「おかげさまで」
鉄格子越しに会う事になったコラント辺境伯夫人が元々どのような容姿をしていたのか、社交界にも縁遠かった私が知る由もありません。
なので、見るからにやつれているコラント辺境伯夫人はここに拘留されているからなのか、私を襲ったときには既にこの状態だったのか、判断する事は出来ませんでした。
友好的ではないけれど、敵意とまでは言えない目を向けられるのも何とも居心地の悪いものです。
この後どう会話を続ければ良いのか分からない私が沈黙すると、ほんの少しだけコラント辺境伯夫人の目が緩み、
「ふふっ……私も元気よ。ここには忌々しい夫もいないから」
「あら、貴女の夫でしょ。好きだったから付き合ってみたんでしょう?」
私ではなくオーリス王女が言葉をかけると、コラント辺境伯夫人は目も向けず無表情になって黙り込みました。
雰囲気からして二人には親しい様子はありません。
「王侯貴族に生まれたのだから、お互いに好き合って結婚なんて出来ないって分かっていたでしょう。それでも貴女は貴女を愛してくれる夫と結婚出来たのよ。気に入らない点があったにしても運が良いって分かっている?」
コラント辺境伯夫人は無言を貫きました。
本来の身分であれば不敬にも当たる行動で、騎士が対応する場面ですが騎士達は戸惑えど動く様子はありませんでした。
元王女で従姉妹同士でもあるコラント辺境伯夫人の立場は複雑で、騎士達にもどう扱って良いのか分からない所があるのでしょう。
従姉妹ですから事情をよく知っているでしょうオーリス王女は、コラント辺境伯夫人の態度を咎める事はなく、諦めたようにため息を一つつき、
「……私とは話したくないのね。ロアズ伯爵令嬢、後は宜しくお願いね」
何も考えのない私に丸投げされても困るのですけど。
騎士達も動かない中、戸惑った私はしばらく黙るしかありませんでしたが、指示もなければ聞きたかった事を取り敢えず聞いてみても良いかもしれません。
意を決して私は話しかけました。
「夫人は姉に唆されたと伺いましたが、それはどういう事です?」
「顔も雰囲気も全然似てないし、あんな事を起こした妖精をまだ姉と呼ぶの?」
そもそも貴女は姉を私とは無関係な妖精と言いたい割に、私を姉の代わりに切りつけた発想はどうなのでしょう。
そこを突くと面倒そうなので今はそのままにしますが、取り敢えずコラント辺境伯夫人には姉が同じ人間であると思いたくない気持ちがあるように感じました。
しかし、姉は姉と呼ぶしかなく、私は困って黙るしかありません。
その私の態度をコラント辺境伯夫人がどう取ったのかは分かりませんが、
「年が離れているのに仲良いのね」
「仲が良いと言うより私達はほとんど交流がなかったので、私の中には姉はただ姉という情報があるだけなのです。何も話していなかった私は現に学園時代の姉の話どころか、学園が存在した事も最近知りました」
「へー……モラルに反した私達の事なんて子供に聞かせられないからって当時の大人達が黙ったのは仕方ないけど、学園そのものまで隠すなんて逆に不自然になるでしょうに。まあ、貴女が知らずにまっすぐ育ったなら、不用意に男女を会わせないよう田舎で子供を育てる方針を王家が打ち出したのは正解だったって事かしら?」
これは、私に教えてくれていると思っても良いのでしょうか?
その判断は迷う所ですが、取り敢えず学園があった事を私達世代に悟られないために、私などの貴族子弟は学園を知る身内からも引き離して領地で育てられていたのですね。
何とも単純な話ですが、友達も少なければ入ってくる情報も少なく、割と簡単に誤魔化せる方法だった事は私にも分かります。
そうまでして遠ざけた姉達の醜聞。
いえ、遠ざけたのは元王女達の醜聞だけであり、姉が醜聞を起こしたなど何処からも聞こえてこないのは、何故?
「……コラント辺境伯夫人は唆されたのですよね。どういう事でしょうか?」
「そのままよ。フランベルは私を唆したの。私がフランベルと仲の良かったリシス公爵を取ったから恨んでいたのよ。公爵との付き合い方が分からない私に『色々な男性と会話したりお茶したりして、少しずつ学んでいけば良いのではないか?』と親切な顔をして騙したのよ!」
騙した、といきり立つコラント辺境伯夫人ですが、私は騙したと言う事に違和感を持ちました。
取り敢えず恨んでいると思っている相手に相談した神経はともかく、どんな場面で話していたにしても言葉通り会話とお茶だけなら……状況をきちんと考えていれば問題のある行動でもないでしょう。
振り向いた先のオーリス王女も、これだけでは騙したとは言えないと言わんばかりに首を振りました。
もう少し掘り下げた方が良いでしょう。ただ、素人の私に上手い質問が考えつくなど無理な話で、何とかひねり出した質問は、
「……会話もお茶も適切な距離を取っていたのですよね?」
「ええ。一線を越えなければ良いだけだもの。そんなに難しい事ではないわ」
うん?
大きな違和感では済まない異様におかしな言葉がコラント辺境伯夫人から飛び出してきて、私は何処をどう尋ねるべきが非常に悩みながら、
「……一線を越えていないなら、問題はないと?」
「当然、何も問題はないでしょう。どっちも付き合っていた訳でもないし、愛しているわけじゃないもの。お互いに傷付かないのだから、何も問題はないでしょう?」
そう言う意味ではありません。
確かに心だけは傷付いてはいないでしょうが、それ以外は致命的な問題が起きています。
一線を越えてないと思っているのは本人達だけで、一線を越えるギリギリなんて完全に不倫不貞の範囲です。
「婚約者がいる時点でいけないとは思わなかったんですか?」
「だから、それもフランベルが言ったのよ! 異性と交流を持つのは問題にならないかって私が聞いたら、つまみ食い程度で誰が怒るのって笑って言ったのよ!」
この発言、どうでしょうか?
学園時代の姉を知らない私ですがここまでのコラント辺境伯夫人の発言も考えると、姉がかつて口にした『つまみ食い』とコラント辺境伯夫人のやっていた『つまみ食い』は何となく意味が違っているような気がします。
そもそも先の事を深く考えない姉が、まして笑って言った言葉です。
「……姉の味方をするつもりはありませんが、姉が言わんとしていた『つまみ食い』は本当にカフェでお茶を飲んで会話する程度だったのではないかと思います」
案の定、コラント辺境伯夫人は大きく柳眉を逆立てました。
「はあ? その方がどういう意味よ。カフェでお茶を飲んで話しただけで異性との付き合いの何が分かるって言うのよ。色々な所に行って、色々な体験をしてこそ初めて分かるものってあるでしょう!」
「はっきり申し上げますが、夫人は本来、異性のリシス公爵との付き合い方を学びたかっただけなのですよね。異性全般を学ぶなんて既に趣旨が大きくズレています」
「だから……」
「婚約者持ちの方が女性と二人で出かける事は普通は何と言いますか? 不倫や不貞って言いますよね?」
コラント辺境伯夫人は言い返しませんでした。残念な事に一言も返す事もありませんでしたので、私の視界の端でオーリス王女がこめかみを指で押さえておりました。
二人でと言ったのは、もしかしてという気持ちがあったからですが、このコラント辺境伯夫人の様子だと正解のようです。
当時は王女と言う事で一緒にいた男性側が巻き添えになる事を恐れ、発覚しないよう注意していたのでしょう。それでも当時の男性達を労る話ではなく、王女と自分の為を考えるのでしたら始めから断るべきでした。
「何よ……何なのよ。今更言葉の意味が違っていただなんて、それこそ誤魔化そうとするのはずるいんじゃないの!」
体も声も震えているコラント辺境伯夫人に私は同情しません。
姉の言葉を自分が遊びたいがために利用しただけでなく、自分の罪を唆したと言い張れば姉に転嫁出来ると思い込んでいたのでしょう。
「逆に考えて下さい。絶対に『つまみ食い』が怒られないと言う事は、怒られない範囲の付き合いだからって事ですよ。そもそも姉は貴女に『一線を越えるギリギリまでなら良い』なんて話をしましたか?」
妖精は惑わしてはいませんでした。
勝手に都合良く妖精を解釈していただけで、現実などこんなものだと私は虚しく思いました。




