13話【迷信に救いを求める事は正解か?】
「あの女は娘を殺そうとしたのだぞ! 分かっているのか!」
「申し訳ありません! 妻は連れて帰って二度と外には出しません!」
「不祥事を起こした女をふらふら王都まで来させた夫の言葉なんて信用に値すると思っているのか!」
父と兄が誰かを怒鳴りつけている部屋の扉をノックしようとした私を、そっとラドリク様の奥様がサロンに連れて行きました。
屋敷内は奇妙に沈黙しており、いつもは忙しく働いている使用人達の姿もほとんど見ません。
ラドリク様の奥様は非常に落ち着いておられるので、母の姿だけが見えない事に不安を覚える事はありませんでした。
「何があったのです? 私も騎士団に向かっていた事までは覚えているのですが」
「マリーベル様は騎士団の訓練所手前で切られたのです。運悪く巡回の騎士に行き来する騎士がいない時間帯でしたので、護衛の方も間に合わず……」
途切れた記憶の最後には、確かに慌てて走ってくる護衛達の姿がありました。
ただ切られたという割に体の何処にも痛みはありません。
「騎士団常駐の神官が間に合ったのです。責任を持って傷は残らないよう治していただけたと聞きました」
不幸中の幸いは騎士団の訓練所が近かった事でしょうか。
しかし、姉の身内だと悟られない為にも護衛を遠ざけるよう言った騎士団の判断は、完全に間違いだったと言う事です。
……私も狙われるなんて思ってもみませんでしたけど。
「私は誰に切られたの?」
意識を失う直前の「『妖精の取り替え子』の分際で」と言った女性が、恐らく私を切りつけた犯人です。
でも『妖精の取り替え子』って何の事でしょう?
苦々しい笑みとなったラドリク様の奥様が、
「……コラント辺境伯夫人です」
まさかの名前が出てきました。
割と最近、元王女としての立場の事も含めてコラント辺境伯夫人の話を兄としておりましたが、私とコラント辺境伯夫人は全く面識はなく、繋がりだって当然ありません。
思わぬ犯人の正体に私は呆然としました。
「何故コラント辺境伯夫人が私を……」
「マリーベル様のお姉様が殺せないのなら妹を代わりに殺そうとしたと騎士団で話しているそうです……」
絶句した私は頭を抱えるしかありませんでした。
姉のやらかしから受けるとばっちりは、とうとう殺されかける段階まで来てしまいました。
姉の身内と知られれば怪我を負わされるなんて程度の騎士団の心配は、心配のし過ぎではなく甘い見積もりだったという事です。
「お姉様ってコラント辺境伯夫人にまで恨まれていたのですね……」
「私は詳細は聞いておりませんから、後ほどロアズ伯爵様達がご説明されると思います」
同学年であるとは知っておりましたし、もしかすると関係があるかも知れないとは思っておりました。
いえ、意図的に私自身は極力考えないようにしておりました。
どっちも不倫しているなら同じような価値観があるって事でしょう……。
父達がしてくれるという話に頗る悪い予感しかありません。
また姉のやらかしが判明するなんて、私の結婚式の破壊など姉の今までしてきたやらかしの氷山の一角だったら……。
神経が図太いと言われる私も流石に胃が痛くなってきました。
姉はコラント辺境伯夫人に恨まれるような何をして……。
「……そう言えば、切りつけられる直前でしょうか? 私は『妖精の取り替え子』の分際でって言われました。妖精の取り替え子って何でしょう?」
私が尋ねると、ラドリク様の奥様はとても困ったような顔をされました。
「……迷信ですよ。神殿や一部の方が言い張る迷信です」
神殿?
それも確か……やはり最近聞いたような。
「しばらくすれば、ロアズ伯爵夫人も戻られます。その時にはきちんとしたお話が聞けるでしょう。今しばらくは横になっていた方が宜しいですわ」
そうです。両親は何度か神殿に呼び出されていると聞いておりました。
母の行動の理由を知っている様子のラドリク様の奥様の顔を私はじっと見つめましたが、いつものように困った顔で微笑むだけでした。
ラドリク様の奥様はかなり慎重な性格なので、安易に話す事を好まれません。
「母は……こんな中でも神殿に行っているのですね」
「こんな中だからでしょう。家を守る夫人として毅然として神殿に行かれました。私もかくありたいものです」
伏せるばかりで隠し事が多過ぎる母ですが、いつだって私達を守ろうとしてくれている事は確かです。
結局大人達は学園の最後の時代にあった出来事を、いっそ話さない事で私達下の世代を守ろうとしていたのだと思わなくもありません。
廊下から複数の怒声が近付いてきました。
「帰れ!」「お願いします!」「帰れ!」
何度も同じやり取りを繰り返しながら、移動を続けている様子。
私達がサロンにいる事は誰も知りませんので入っては来ないでしょうが、私もラドリク様の奥様も静かに目につきにくい場所に移動しました。
すると私達のいる部屋を過ぎた辺りで、
「お願いです、何とか和解した事にして頂けませんか? 私が妻を今の立場にしたのです。私は妻を守らなくてはいけないのです!」
「くどい! さっさと帰れ!」
「妻があんな事になったのはフランベルの所為なんですよ!」
この叫ぶような言葉を放ったのは、もしかするとコラント辺境伯なのでしょうか。
それにしても和解ですか……。
この国では被害者と加害者が和解をする事で罪の減刑がありますが、変わると言ってもほんの少しです。まして相手違いと分かった上での質の悪い殺人未遂ですから、和解がどれ程減刑の効果があるのか疑わしいものです。
姉のフランベルの所為で殺されかけた私は、コラント辺境伯の悲痛な声にも何も心は動きません。
ただ、決めるのは扉の向こうにいる父や兄でした。
「フランベルが……?」
「私達を惑わしたのはフランベルだ。フランベルがいなければ妻もこんな事はやらなかった」
「……だが、殺されかけたのはマリーベルで、あの子もフランベルの所為で殺されかけた被害者だ」
「存じております。ですから悪いのはフランベルだけ。和解に応じて頂ければ、コラント辺境伯家からも神殿に『妖精の取り替え子』について手紙を出しましょう」
また出ました『妖精の取り替え子』。
それまで激怒していた父と兄が揃ってしばらく沈黙し、
「……書いて送ったのが確認出来たらこちらも和解したと騎士団に連絡しよう」
「ありがとうございます!」
罪の減刑のためだけの和解なので、それで周囲の評価や印象が変わるものではありません。
切られた当事者の私に意見を聞かず和解を決めた事は、余程何度も出てきた『妖精の取り替え子』の言葉の方が気になって、あまり気にはなりませんでした。
父達とコラント辺境伯との言い合いは終わり、それぞれが別方向に歩いて行く音がします。
一応、結論と言う事でしょう。
私は事情をある程度知っているラドリク様の奥様をもう一度見つめました。
「『妖精の取り替え子』って何でしょうか?」
「……生まれたばかりの子供は見張っていないと妖精に取り替えられるという迷信があります。『妖精の取り替え子』はその人間の子供と取り替えられた妖精を言います」
それはお伽噺です。
そう返したいのに、『妖精の取り替え子』と口にする者達の多くの声は悲痛なものでした。
「人間と妖精は価値観が違うとされています。その『妖精の取り替え子』も妖精ですから同じく人間とは価値観が違うと言われております」
私を切りつけたコラント辺境伯夫人は、本来は姉にあの言葉をぶつけようとしておりました。
ラドリク様の奥様はそれ以上何も仰いませんでした。
もしかすると、あんな兄を持ったラドリク様の奥様は、不用意な事を言わない事で身を守る術が身に染みついているのかも知れません。
「もしも姉が……いえ、そもそも『妖精の取り替え子』だとされたなら、どうなりますか?」
緩くラドリク様の奥様は首を振り、
「ロアズ伯爵夫人の帰りを待ちましょう」
母が帰ってきたら。
もうすぐ分かる筈だという期待と、知りたくない事を知る不安がせめぎ合いながら、私は母の帰宅を知らせるために扉がノックされるのを待っておりました。




