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『リ・バース』第一部 第8話 Gjallarhorn⑫

 振り返った時、こちらの背中を這い上がる肉壁の向こうで、アンが魔物の注意を分散させようと駆け回っているのが見えた。背後から自身を捕らえようと迫る触手を爪で切り裂き、牙で食いちぎり、必死の闘争を繰り広げている。もう少しだけ耐えてくれ、と心の中で呼び掛けたライガだったが、その時、晴れつつある煙の向こうでフェートの魔剣士たちが三度(みたび)こちらに手を伸ばしている影が見えた。

「既に警告はした! 構わん、撃て!」

 アストルフが、乱暴に叫んでいた。ライガは既にれっきとした彼らの作戦行動を意図的に妨害したのだから、どうなっても構わない、という調子だった。

 そして、それは彼の部下たちも同じだった。

「ストリーム!」「ラジエーション!」「ディスチャージ!」

 ライガの先程放った極夜(ポーラーナイト)のような、各属性魔術の直線攻撃が一斉に放たれた。それはアンの相手をしている魔物の触手を次々と穿って断裂させ、またアンをも木の葉の如く吹き飛ばした。

「ギャンッ!」

「アン!」

 後ろ脚を貫かれ、翻筋斗(もんどり)打った彼女に、フェートの攻撃は容赦なく迫る。

 ライガは唇を噛むと、ここまでだな、と判断した。

「アン、よくやった。戻れ!」

 彼女を操っていた招喚魔術(インヴィテーション)を解除する。アンの体の下に魔方陣が生じ、彼女は招喚された時とは逆に、それに吸い込まれるかのように消えた。招喚前に居た場所である白羊宮(エアリーズ)の地下に戻ったのだ。

 急に目標(ターゲット)を見失った触手が、動揺したかの如く動きを止めた。それらを貫くようにして、フェートの攻撃がライガへと降り注ぐ。

 それが到達するか、しないかという時、ライガはデュー周辺の肉を切り終えた。

「ダクティリオスプネウマ!」

 剣を鞘に納め、デューを左腕で支えると、ライガは輪状霊魂を至近距離で放つ。身を捻り、自分の周囲を切り裂きながら一周するように。魔物の肉が細かく刻まれながら宙に舞い、体に掛かっていた不快な圧力が消える──のを感知する前に、既に跳躍を行っていた。

 コンマ数秒後、ライガの居た場所にフェートの攻撃が次々と命中した。

 魔物が再吸収しようとしていた肉が、半ば粘液としての状態を維持したまま一気に蒸発した。抉られた箇所を盛り上げて修復しつつ、魔物は取り込んだ犠牲者たちの口を借りて怒りの声を上げる。

 ライガは、どろどろに融けながらデューから剝離する魔物の粘液を払い落とし、頰の辺りを軽く叩いた。「しっかりしろ、デュー」

「グウウウ……?」

 彼女は、今まで自分が何をしていたのか分からない、というようにか細く鳴く。ライガは彼女と共に着地し──フェートの第三射はその時既に完結していた──、屈み込んで今にも(くずお)れそうな彼女を支える。

(大きな外傷は──ないな)

 ひとまず、その事にほっとする。だが、彼女を侵食した魔物の分泌物の成分が分からないからには、油断は許されない。

 アストルフたちは、こちらを完全に無視していた。接近して来ないのは、こちらを巻き込む事を懸念しているのではなく、デューたちのように魔物に取り込まれてしまうのを恐れている為だ。証拠に、彼らはもう第四射の準備に入って各々(おのおの)の腕を突き出していた。

 デューを、アンの二の舞にする訳には行かない。ライガはそう思い、アンと同じく彼女の招喚も解除しようとしたが、その瞬間それは起こった。

「ガオオオオオオウウウッ!!」

 魔物の触手を引き摺りながら、我を忘れたカトルが飛び掛かってきた。あっ、と思う間もなく、その牙がデューの体側に食い込む。デューは苦悶の声を上げ、それを振り解こうとする。

 やはり、魔物の粘液で多少の溶解が起こっていたらしい、カトルに噛みつかれたデューの腹の筋肉が、ずるり、と嫌な滑り方をした。

 ライガは、それが致命傷となる前にデューの術式を解除する。噛みついていた彼女の肉が掻き消え、カトルは軋むような音を立てて口を閉じる。血のような黒い粘液と共に、小刀のような彼女の牙が数本飛び散った。

「カトル!」

 ライガは歯噛みし、彼女がデューよりも深刻な侵食状態に在る事を悟る。既に彼女の半身は魔物の肉と癒合し、融かされた後に再び硬化したのか、醜く痛々しい形状に膨れ上がっていた。彼女に喰らいついていた靭蔓(ネペンテス)の魔物は、完全に融かされてしまったのかとうに見えなくなっている。

 カトルは、引っ切りなしに咆哮し、牙をざくざくと抜け落としながら顎を鳴らしてこちらを睨んできた。

「カトル、俺が分からないのか!」

「第四射──」

 アストルフの声が耳に届いたのは、まさにその瞬間だった。

 ライガは激しく開閉するカトルの顎を抱き込むようにしながら、フェートの者たちと魔物の本体との間で視線を往復させた。

「頼む、待ってくれ!」

撃て(ティレ)ーっ!」

 無慈悲な攻撃が、こちらに襲い掛かって来た。ライガはせめて、カトルを庇おうと背を丸める。こちらの体を絶え間なく切り裂いてくる彼女の爪の痛みも、気にならなかった。

 その刹那、目の前を赤黒い閃光が満たした。

 反射的に上体をずらし、カトルの顎を巻き締めていた腕を解くのとほぼ同時に、その口腔からあの闇属性ブレス──最初に遭遇(エンカウント)したワーグたちの使っていた──が放たれた。

 フェートの者たちの中から、動揺の声が上がった。

 その声すらも、カトルの放ったブレスは掻き消した。

「……っ!?」

 自分の肩の肉が削がれ、焦げた骨の粉が舞い散るのが見えた時、ライガは一瞬即座に襲って来るはずの痛みを感じなかった。

 僅かな遅れを経て激痛が到来した時、ライガは辺りに響き渡った絶叫が、自分の喉から出ているのか、フェートの者たちが上げたものなのか、咄嗟に判断する事が出来なかった。

 実際には、どちらも叫んでいたに違いない。(ただ)し、間一髪で直撃を免れた自分よりも、回避や防御を行う(いとま)もなくその洗礼に晒されたフェートの者たちの方が、被害は深刻だった。

 第一陣の兵士たちが、ブレスの直撃を受けて吹き飛ばされた。

 アストルフとその周辺の者たちは、続いて自分たちにブレスが襲い掛かる、という一瞬前に防御魔術を発動し、(かろ)うじてそれを受け止めた。しかし、直撃した者たちはぼろ屑の如く地面に転がされ、何度も全身を打ちつけられた。四肢があらぬ方向に曲がっている者も居る。

 まだ息があるのか、ぴくぴくと痙攣している者、或いは微動だにしない者──ライガはそれをいちいち確認出来はしなかったが、今自分の視界の中に間違いなく死体がある事だけは確信していた。

「カトル……!」

「ライガ・アンバース!」

 何とかブレスを凌ぎきったアストルフが、こちらに叫んできた。

「立てるか!?」

 ライガが顔を顰めながらも立ち上がり、悲鳴を上げる全身に鞭打って再びアルターエゴを抜いた時、彼が続けてくる。

「その魔物を斬れ!」

「その……って、カトルをか!?」

 ライガは目を見開き、彼とカトルを交互に見た。カトルは喉の奥から、血とも、自身を侵食した粘液ともつかないものを引っ切りなしに吐き出しながら、炯々と光る目でこちらを睨んでくる。口元で電撃のような薄紫色の光がバチバチと()ぜ、次の攻撃の為のチャージを行っている様子だった。

 ライガは、激しく首を振った。

「出来ねえ! 俺にそんな事、出来る訳ねえだろうが!」

「このままでは、皆が死ぬ事になるぞ!」

 アストルフは、苛立たしげに声を荒げる。

「そいつはたかが使役獣(ブリード)だろうが! 戦場で、人間の冒すリスクを減らす為に導入されるべき魔物だ!」

「ふざけるな! こいつだって生きている!」

「もう手遅れだ!」

 決定的なその一言が、ライガの心臓に錐を打ち込んだような気がした。

「貴様も分かっているはずだ! そのアパデマクはもう救えない! ならば、こちらの犠牲をこれ以上出さない事を優先すべきだ! ……ライガ・アンバース、このままじゃ貴様は、自分が愛した魔物に殺される事になるんだぞ!」

 ──愛した?

 ライガの中で、その言葉が引っ掛かった。それは、セプトが犠牲になった時──それを救えなかった時にも、心の中に生じた引っ掛かりだった。

 擬人化(アンスロ)か。しかしライガは、やはり「違う」と否定する。

 ルークが言っていた。戦場で命を落とす可能性は当たり前に存在して、アパデマクたちもそれを理解している、と。では、とライガは考える──このような状況で、もしもルークだったらどうするのだろうか、と。

 使役獣(ブリード)に愛情と信頼を持つ事。それ自体は、擬人化でも何でもない。逆にそれなくして、魔物招喚士(ビーストサモナー)を──否、調教師(ハンドラー)を務める事は出来ない。それを理解しているからこそルークは、ライガとアパデマクたちの間で魔術的な制約を結ばせる前に、自分に調教を教えたのだ。

 きっと彼は──だからこそ、躊躇わないだろう。

 人間の為に戦う魔物に、あってはならない”罪”を背負わせない為にも。

「ライガっ!」

 アストルフが、痺れを切らしたように叫ぶ。それと同時に、カトルが両の口の()からどす黒い煙を吐き出しながら再び突進して来た。

 目に、涙が浮かぶのが分かった。

 ライガは叫び、剣技の構えを取る。

(カトル……ごめん!)

 心の中で詫びると、叫び声を上げながら彼女へと向かって行った。

 第八話「Gjallarhorn」は本日でおしまいです。前回から立て続けにアパデマクが可哀想な目に遭っていますが、やはり動物やマスコット的なキャラクターが酷い目に遭う話は気分のいいものにはなりません。浅田次郎さんも自身の短編小説「獬(xiè(シエ))」(文春文庫『姫椿』収録)について、エッセイ「安息──なぜ私は『動物もの』が書けぬのか」(同じく文春文庫『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』収録)の中で「こういうかわいそうな小説は二度と書くまい、と考えた記憶はある」「たぶん人間に対しては相当に薄情なのだろう。しかし、動物となるともうダメなのである」「まさか失敗作とまでは言わぬにしろ、いまだに書いたことを悔やんでいる」と述べています。

 今回はアルフォンスが初めて本格的にその実力をお披露目する回になる予定でしたが──ヤーラルホーンを用いた戦闘行為自体は前回も書きました──、専ら魔物の暴れっぷりの方が際立つエピソードになりました。前回のシャンタクから、今回のヴーニスやビヤーキー、サイサロス(ライガが戦っていた魔物。名称は次の過去編で登場します)と、この辺りではクトゥルフ神話由来のモンスターが多く出ていますが、クトゥルフ神話のモンスターはやはり名前が魅力的です。が、姿に関しては訳が分からないので、どうも曖昧な記述になってしまいます。ガチ勢の方以外は、頭の中で「大体このような感じかな」と補完しながら読んで頂きたい。サイサロスなど、改めて調べると「霧の中から不定形の塊が腕を伸ばしてくる」などとなっていました。

 最後になりますが、明日からはまた現代編です。現代編もこれから徐々に、過去編での出来事と重なり合いながら加速していく事になりそうですが、目下第十三話を執筆している状況を踏まえてあらかじめお断りを入れておくと、やはり二話ずつ強制交替とするとエピソードのまとまり的にどうしてもきりが悪くなる部分が出た為、三巻目突入以降はこの交替のタイミングが変則的になります。先の事なのでまだ気にしなくても大丈夫ですが、どうかご了承下さいませ。

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