『リ・バース』第一部 第8話 Gjallarhorn⑪
⑦ ライガ・アンバース
それは、およそ形というものを持たなかった。
ぐにゃぐにゃとして、何処が手足なのか、何処が顔なのかすらも分からない。ウーズ──スライム──系だろうか、とも一瞬考えたが、それにしては体に特有の透明感がなく、斬れば血も出る。
そして、その体には大量の異物が含まれていた。森に生息するワーグやアックスビークなどが無秩序に放り込まれ、半身を覗かせたまま粘液塗れになって口々に狂乱の声を上げている。
それらは、触手状に伸ばされた肉塊──正確には海綿体のようだが便宜上そう呼ぶしかない──の先端から魔物の一部であるかのように現れ、先程のワーグたちの如く不気味な粘液の光を放ちつつこちらに向かって牙をガチガチと鳴らしていた。中には苦痛に悶えるかのように叫びながら自らの爪で肉塊を掻き毟り、ボロボロになった自身の肉や毛皮の断片を大量に落としているものも居る。
世にもグロテスクな光景だった。
「ウウォオオオオオオオ─────ンッ!!」
「グルルルルルルルッ!!」
「ケアアアアッッ!!」
魔物たちの咆哮が、不協和音として鼓膜を破らんばかりに響く。
それに対し、アンも引っ切りなしに吠え立てていた。ライガは耳を塞ごうとしながら、「静かに!」と彼女に叫んだ。
「この敵に、威嚇なんて何の意味もねえ」
それは、命令ではなかった。こちらの意思が伝わらないので、アンは叫ぶ事をやめない。
しかしライガは、やがて、彼女が威嚇をしている訳ではない事に気付いた。
荒れ狂う魔物たちの声の中に、アンの唸りにそっくりな苦しげな声が──勿体ぶる必要などない、アパデマクの声が、微かに混ざっているのだ。まさか、と思い、顔から血の気が引くのを感じながらライガは目を凝らした。
──果たして、居た。
カトルとデューが、肉塊の中で悶えている。カトルに至っては、すぐ近くで藻掻いている靭蔓に似た人食い植物の魔物に喰らいつかれ、首から上が微かに見えるだけの状態となっていた。
ライガは蒼白になった。
「カトル! デュー!」
脳裏に明滅したのは、先日、この森でセプトがタールの池に呑み込まれて行った姿だった。現在魔物に囚われたカトルたちの黒い粘液に塗れた姿は、否が応にもセプトの今際を彷彿とさせた。
──この魔物は、ウーズ系ではない。先程、最初に取り込んだワーグたちをけしかけてきた時、こちらの斬撃は通用していた。不定形さ故にすぐに変形して修復されてしまうが、ダメージが与えられない訳ではない。
慎重に狙いをつけ、カトルたちの囚われている部分を斬撃術で切り出そうか。しかし、その狙いを魔物に悟られれば、斬撃の軌道上に彼女たちを差し出してくる可能性も否めない。では、直接剣で近接攻撃を仕掛けるのはどうか。その場合、こちら自身も囚われてしまうのではないか。そもそもこの魔物は、他の魔物以外に人間や普通の動物を取り込む事はあるのだろうか──。
様々な思考が、次々と頭の中を駆け抜けて行く。
魔物はこちらの出方を窺っているのか、まだ決定的な動きには入っていない。アンもそれを分かっているからこそ、こちらからの攻撃を控えている。
しかし、拮抗状態での現状維持もあまり良くない。蹴散らされた茂みの根元に転がった、白骨化したワーグたちの死体が嫌でも目に入る。魔物の分泌する粘液には、溶解作用もあるのだ。このままカトルたちが浸りっぱなしでは、彼女らも融かされてしまうだろう。
どうする──どうする──頭を高速で回転させていると、アクションを起こしたのは第三者だった。
「幻惑せよ……フラッシュ!」
ライガの頭上を断空するように、無数の光弾が飛来した。それらは放物線を描いて魔物に降り掛かると、次々に炸裂する。魔物の軟体動物めいた表皮がジュウッ! と音を立てて焼け爛れた。
直撃せずとも効果のある光属性術。魔物は数体のワーグが埋没している部分の肉を盛り上がらせ、哀れな犠牲者たちの体を盾として用いたが、それで完全に光と熱を防ぎきる事は出来なかった。
ライガは一瞬、それを見て心臓が竦み上がった。
もし魔物が盾に使ったのが、カトルやデューだったら──。
「やめろ! 撃つな!」
振り返りつつ叫んだ瞬間、はっとする。
そこに、フェートの魔剣士たちが並んでいた。
「……またお前か!」
フェート騎士長アレイティーズの次男アストルフが、いい加減にしろというように叫ぶ。彼は既に、先程ライガが遭遇した魔剣士たちから、作戦を行うべき場所に無関係な者が居る、という報告を受けていたようだった。
アストルフは、既にこちらの顔を知っていた。先日、オルフェが斬撃術による大怪我を負った後、自分が連日のように宝瓶宮を訪っていた為だ。彼らの方でもこちらの身辺調査は行ったらしく、ライガが問題児である事と、どうやらこの様子では現在はマロン=エキュレットへの乱暴で謹慎中だという事も知っているようだ。
「ライガ・アンバース! 貴様、何処まで騎士団の規律を愚弄すれば気が済むというのだ!」
「知った事か、そんなもの!」
ライガも、今ばかりは自分を抑えていられなかった。
「こいつを攻撃しちゃいけないんだ!」
「何だと──」
アストルフの顔が、憤怒の形相を湛える。
「貴様、これ以上我々の作戦を妨害するというのなら、懲罰では済まないぞ。目下既に貴様が罰則を科されている身である事を鑑みれば、騎士団を──いや、帝連軍を追放されても文句は言えぬだろうな」
彼に率いられた魔剣士たちも、皆一様にこちらに怒りを向けていた。アストルフは彼らに向かって「第二射用意!」と指示を出す。
「ライガ・アンバース、巻き込まれたくなければすぐにそこから離れろ。警告は既にした、部外者に配慮を尽くし、現在討伐が急務となっている魔物を取り逃がす訳には行かない。敢えて退避せず、巻き込まれたとてそれは貴様の自己責任という事になるぞ!」
「撃つなって言っているんだ! そんな事したら、あそこに居るカトルやデューが死んじまうだろう!」
ライガは叫んだが、受け入れられなかった。
「撃てーっ!」
再び、無数の光弾が迫る。ライガは歯噛みし、意を決して動いた。
「日月の灼け落ちし極夜に彷徨うもの……ポーラーナイト!」
左手を突き出し、掌から闇の奔流を射出する。ブレスの如く一直線に迸ったそれを横に薙ぎ、光弾がこちらに到達する前に全て空中で爆発させる。白煙が立ち込める中、ライガは素早く身を翻した。
迷っている時間はなかった。
「アン、掩護を頼む!」
「グルウッ!」
任せろ、というような彼女の声を聞きつつ、魔物の肉──正確には最早肉の一部なのか粘液なのか分からないが──へと飛び込む。魔物は即座に対応し、アックスビークの斧様の嘴を埋め込んだ一部を触手の如く細く伸ばし、蠢かせてこちらに近づけてきた。
ライガは、前傾姿勢となってその下を潜りながら、頭越しに剣を振るう。
「邪魔をするなーっ!」
形成された触手は断ち切られ、断面から例の青黒い血液が迸る。腐葉土の上に落下した触手はアックスビークを取り込んだまま暫しのたくった後、犠牲者の体から羽毛や肉を剝ぎ取りながら本体に合流しようとした。
それを、
「暗夜を縫い、天花と散れ! フレイムバレット!」
ライガは素早く焼却する。ほぼ同時に、デューの囚われている部分の肉に半ば体を埋めるように肉薄した。
カテゴリの違う武器や、系統の異なる攻撃であれば技後硬直は課されない。魔術を使い終えたライガは、即座にアルターエゴを逆手に振り被り、
「咲煉破!」
炎を纏わせた刀身を、デューから十センチ程離れた場所に突き込んだ。
やはり、スライムの手応えではなかった。本体には、捏ねすぎた魚団子の如く弾力と抵抗がある。炎に焼かれた部分が爛れたのは表皮だけで、内部は弱点対策の為か却って焼き固められて硬化したようだったが、ライガがそれに動揺したのは一瞬だけだった。
背中に、抱擁するかの如く魔物の触手が回される。それはすぐに融解し、粘液となってデューたちと同様こちらを封じ込めようとしてきた。既に取り込まれて狂乱した魔物たちも、牙や嘴をガチガチと鳴らして噛みついてくる。
痛いし、気持ちが悪かった。いや、それよりも、恐ろしいという気持ちが勝っていた。しかしライガは、今ならまだ間に合う、身を引けと警告してくる本能をあるだけの精神力で黙殺し、剣を動かす。
デューの埋め込まれている部分の肉を切り出すつもりだった。彼女自身も他の囚われた魔物たちと同様狂乱し、本来使うはずのない闇属性術をこちらに向かって放とうとしてくるが、ライガはそれが自身にどれだけ命中しようとも決して離れる事はしなかった。




