『リ・バース』第一部 第8話 Gjallarhorn⑩
「リクト」
不意に、アルフォンスがこちらの名を呼んできた。その間も、彼は唄口を唇に近づけたままだ。
「デルヴァンクール騎士長?」
「ファタリテは、軍功を焦っているようだね」
アルフォンスは、リクトの内心を読んだかのように言った。リクトは言うべきかどうか迷い、口に出す事にした。
「エルヴァーグ殿は、騎士としての本分を見失っていられるように私は思います。今回の我々がヴーニスの討伐に赴いたのは、チェバを始め、周辺の街や村が目下見舞われている霊的災害を途絶する為。しかし彼は、戦う事そのものを目的に挿げ替えてしまっている」
もしも今回、全体指揮を行うのがアルフォンスでなくロディだったなら、フォルトゥナの者たちが意図的に成果を上げられないように後方に配置するなどして、騎士たちの本来持つ能力を殺していたのではないか。
それで、今回の魔物が何事もなく討伐出来るような相手であると、ロディは本当に考えていたのだろうか──。
「彼はマロン君の事で、我々に大分ご立腹のようだ。手を出したライガにも問題はあったし、私もそれに関しては異論を差し挟む余地はないからイザークの処分について何も異議申し立てはしなかった訳だが……子供の喧嘩に親が出るようで気が咎めないでもないが、確かに私も正直なところ、一度私が指揮する事を了承したはずの戦場でこちらをない者であるかのように振舞われては気分が良くない」
日頃温厚なアルフォンスの口調は、珍しく剣呑だった。
それはリクトも同じだったので、「はい」と顎を引いて答える。アルフォンスは視線を魔物に移すと、声を低めて言ってきた。
「私がヤーラルホーンで、君の身体強化と魔素出力の向上を行う。君のポテンシャルであれば、それで最高技の派生はまず確実に行える。……これ以上、エルヴァーグ殿がこちらと争う姿勢を継続されては倒せるものも倒せなくなる。君は魔物の弱点に接近して、ゼロ距離から派生技を撃ち込み、敵を排除してくれ」
「私が……?」
リクトは、驚いてアルフォンスの顔を見上げる。
彼の表情は、決して自棄を起こしたようなものではなかった。むしろ、フォルトゥナが敵を追い詰めれば追い詰める程ロディの指示が介入し、混沌としていく戦いの中で、リクトだけがそれを終わらせられると確信しているかのようだった。
「しかし、私は──」
「正騎士ではない、か?」
アルフォンスは左手をリクトの肩に置くと、仄かに微笑んだ。
「戦場に出れば、私も君も『正騎士』や『騎士見習い』ではない、単に『騎士』なんだよ。魔物はそれを区別しない。こちらも、戦える能力がある者が戦わねば救えたはずの人命を取り零す事になるだろう。だから」
「………」
リクトは、ぐっと唇を噛み締める。フォルトゥナ、ファタリテ両騎士団の魔剣士たちが競い合うかの如く魔物に斬り掛かり続ける主戦場を見、自分自身の中にも危うさに似た気配が萌すのを感じた。
ヴーニスは、水のベールを用いた自己再生の間は攻撃技を使用出来ないのか、爪や腕全体による通常攻撃ばかりを行っている。魔剣士たちはそれに関しては出力を向上しない防御魔術だけで防げているが、このまま回復が終了すればまた即座にペトロリアム・ハウルが彼らを襲うのは火を見るより明らかだった。トリュフォーたちも、これではまた挑発でターゲットを取るタイミングは計れないだろう。
リクトが躊躇ったのは、一瞬だけだった。
「やってみます。……お願いします、デルヴァンクール騎士長」
「ありがとう、リクト」
アルフォンスは肯くと、唄口を咥えた。レバーの上を、長い指がそれぞれ意思を持っているかの如く動き、ロータリーバルブが目まぐるしく回転する。先程までよりも複雑なメロディーが、朝顔のような先端から紡ぎ出された。
「アルゴー・メロイア──グランディオーソ」
その旋律に呼応するかのように、リクトの軽装鎧が白金色の輝きを帯び始めた。リクトは、腹の底から突き上げてくるようなその衝動に一瞬戸惑う。
体内で、何かが弾けたような感覚があった。それが筋肉や内臓を順に伝播し、皮膚へと到達した、と思われた時、鎧と同じく白金色の霊力が、体の輪郭をなぞるように立ち昇り始める。
揺らめきながら湧き上がっては虚空に吸い込まれていくそれは、よく目を凝らすと細かな音符や休符の形をしていた。
「往け、リクト・レボルンス!」
一小節を奏で終えると、アルフォンスは叫んだ。
その声に背中を押されるようにして、リクトは沼底を蹴る。
身体強化術を施されたかの如く、筋力や瞬発力が向上されていた。大股──僅か三歩でヴーニスへと肉薄したリクトは、足の撥条を使って直上に跳び上がり、ヴーニスに麻痺化術を掛けようとしては腕の薙ぎ払いで妨害を続けられているタッドポールの頭上を越えた。
「おい、そこ!」
ロディが、面食らったかのように叫んできた。が、こちらが討伐隊に同行して来た騎士見習いのリクトだという事が分かるや否や目を見開き、アルフォンスの方を鋭く睨む。
しかし、アルフォンスは彼を見てはいなかった。ただ、自分の送り出したリクトが成し遂げるかどうか、見極めるまで決して目を逸らさない、というように真っ直ぐこちらを見ていた。
「真の国へと回帰せし者……総ての系譜は、今正統なる胤裔の前にその偽りの正されん事を!」
本来の自分では、まだ繰り出す事の出来ない派生技。リクトは魔物の胴部に、半ば地面と平行になるように”着地”すると、その詩文を唱えながら更に頭部の方へと駆け上がった。
「聖裁……アンブレイカブル・スティグマータ!」
至近距離から魔物の頭に突き出した掌から、通常の聖痕を逆十字にし、四つ組み合わせたような光が撃ち出された。
それは、ヴーニスの肩口から頭部までを呑み込み、大きく穿つ。眼下で、魔剣士たちが唖然と口を開き──しかし、荘厳な奇跡を目の当たりにしたかのようにこちらを見上げていた。
その空気感は、アルフォンスがヤーラルホーンを抜いた時のそれにも近しいものが感じられた。
魔物ヴーニスは断末魔の叫びすら発する事なく、ゆっくりとその巨躯を仰向けに傾倒させた。後方に回り込んでいた者たちが、下敷きにならないように急いで退避したタイミングで、魔物は完全に沼の中へと横たわった。
リクトは、技が終了し次第素早く跳躍を行った地点へと戻り、着地する。それと同時に、ヤーラルホーンによる降霊術の効果が終了した。
誰も、何も言わなかった。
皆、唐突に終わりを迎えた戦闘に戸惑っているようだったが、一瞬の遅れを経てほっと息を吐き出す。それは、危険な戦いが終了した事への安堵のようにも、リクトの放った派生技の荘厳さに感嘆しているようにも感じられた。
リクト自身も、今し方自らの繰り出した攻撃に些かの戸惑いを覚えていた。本当に自分の放った魔術だよな、と、疑わしく思えるような攻撃だった。
我に返ったのは、後ろから肩を叩かれた時だった。
「よくやった」
振り返ると、アルフォンスが満足げな表情を湛えて立っていた。
「デルヴァンクール殿、私は──」
「誇っていいよ、リクト。君は、褒められるべき事をしたのだから」
いつの間にかウィーズルたちが、防御結界を解除していた。ビヤーキーの生き残りたちは、ボスが倒された事で戦意を喪失したのか、それ以上騎士団を攻撃する事もなく飛び去って行く。
その時、今までリクトが同行していた事に気付いていなかったらしい者たちが口々に囁きを交わし始めた。
「おい、誰なんだ、あの少年?」「分からないのか? リクト・レボルンスだよ。今年の入団式で挨拶した……」「レボルンス? ……って事は、武家出身じゃないって事か?」「何て凄い新人が入ったんだ、今年は」
その中で唐突に、
「静まらんか!」
ロディが、苛立ったように声を上げた。
騒めいていた魔剣士たちは、ぴたりと口を噤む。アルフォンスは、リクトを庇うように前に出ながら彼に「エルヴァーグ殿」と声を放った。
「一騎士団を預かる者として、あなたには責任がおありのはずだ。あなたの指揮は本作戦が共同で実施されているものであるという大前提を無視し、フォルトゥナ、ファタリテ双方の和を乱すものであった。この件については、首都ユークリッドへの帰還後改めて話し合わせて頂く」
「これは、デルヴァンクール殿」
ロディは怒りを呑み込むかのように眉を潜めると、挑発するような笑みを浮かべて尊大に言った。
「皆があなたのように皇帝陛下のご寵愛を受け、優れた戦楽器を所持しているとは思わないで頂きたい。あなたは、些か筆頭騎士長としての立場を濫用しすぎるきらいがあるようだ。養子たるライガ・アンバースや、政治的な支援者の子リクト・レボルンスを。
莞根士、あなたは最悪の場合、どのような戦いでも自分が何とかするのでいいと思われているのではありませんか?」
その途端に、ファタリテの者たちが再び騒めき出した。自分たちが言わずにいた事を騎士長が言ってくれた、というように、アルフォンスやリクトへと鋭い視線を向け始める。
フォルトゥナの魔剣士たちも、それに敏感に反応した。実際に先程の戦闘で、ロディの指示で動いたファタリテによって妨害に遭った者たちは、身勝手な言い草だ、と口々に交わし始めた。
アルフォンスは、こうなる事は分かっていたと言わんばかりに頭を振る。リクトは彼を見、今にも互いに罵り合いを始めそうな正騎士たちを見た。
その途端、何やら無性に腹が立ってきた。
(騎士団の魔剣士たちは、調和者……人の世に仇を成す存在から、民を守る為に在るべき者たち。僕もライガもそう思っていたし、イザーク先生もそう教えた。それにも拘わらず、この実態は何だ? 軍内で行われている事なんて、目の前の災害すらキャリアの為に利用する権力闘争じゃないか)
それをリクトには、世知辛さとは呼べなかった。
(今の戦いで、何人死ぬかも分からなかったんだぞ? 収拾がつかなくなって、結局後始末がデルヴァンクール殿と僕に投げられただけじゃないか。こんな事の為に、僕は呼ばれたのか?)
「──デルヴァンクール騎士長」
ライガであれば、相手が匍匐獅子であろうが誰であろうが、噛みついていた事だろう。しかし、リクトには辛うじて自制が利いた。
声を落とし、アルフォンスに言った。
「もしもライガが、閣下の後を継いでフォルトゥナの長となる事をどうしても拒んだら……その時は私が、皇帝の座と兼任で騎士団を継いでもいいです。初代皇帝テオドール──獅子心王がそうであったように」
「リクト?」
「しかし、私の考える近衛騎士団が、皆さんの考える近衛騎士団とは異なるものだと分かったら──もう、このような機会はお与え下さらなくても結構です」
「………」
アルフォンスは数秒間緘黙した後、
「……そうだな」
申し訳なさそうに目を伏せた。
「君は、今時の騎士よりもずっと騎士らしい。帝連は大きくなりすぎたが故に、英雄の末裔である者たちに驕りをもたらしてしまった。かく言う私も、それを否定しきれない事が心苦しくはあるのだが」
彼は、ロディに向き直って言った。
「あなたは、私の至らなさを指摘する事で自らが騎士団の牽引者に相応しいと証したいと思われているようだが」
「何を?」ロディの眉が吊り上がる。
「その器に相応しいのは、私でも、あなたでもない。このリクト・レボルンスだ」
アルフォンスは、きっぱりとそう言い放った。




