『リ・バース』第一部 第8話 Gjallarhorn⑥
⑤ ライガ・アンバース
アルフォンスやリクトら討伐隊が出発してから、午後になって首都ユークリッドには雨が降り始めた。
夏特有のざあざあと篠突くような雨ではなく、しとしとと静かに、しかし一度降り始めるといつまでも続くような陰気な降り方だった。自宅謹慎処分を言い渡されている間、部屋に籠りっぱなしのライガは気が滅入るのを感じた。
屋敷の中で出来る事など、殆どなかった。する事がなく時間を持て余しているのに任せ、ライガは先日ドーデムに破壊された魔術ノート──ガルドラボークの再びの書き起こし作業をひたすら行っていた。
オルフェが斬撃術によって命の危険に晒されたのは、無論ドーデムによる魔術の無断使用が原因だ。しかし、自分が目指す最終目標がオリジナル降霊術の汎用化である以上、あのように本来使用すべきでない人物が魔術を使い、思わぬ事故を引き起こすという蓋然性は付きまとう。
斬撃術は無論の事、魔物を呼び寄せる蜂蜜溜まり、本来使い切りである霊魂を実質無制限に再使用出来る輪状霊魂、いずれも無条件に万人に使わせるには危険な代物だ。
使用者の人間性を測る事など出来ないが、少なくとも良いセンスを持たず、生半可な鍛錬しかしてこなかった者が使う事がないよう、一定以上の魔術出力を有した者にしか読めないように認識阻害の術を掛けておこうか、と思った。認識阻害は催眠術や幻の投影とは異なり、あるものを見ていながらそれを「あるもの」だとは脳が理解出来なくなる、という状態を作り出す魔術だ。例えばライガの顔を知る人間が、認識阻害を施されたライガの顔を見ても、それを自分が知っているそれだとは考えられなくなる。無論、観測されるライガの顔自体が変わった訳ではないので、そっくりの似顔絵を横に並べたりすれば術は解ける。
文字の場合、それはゲシュタルト崩壊に近い現象だ。催眠術はものに対して掛ける事は出来ないし、幻影の場合対象者を選ばず無条件に掛かってしまう──見えてしまう──ので、これは非常にお誂え向きの魔術だった。
(クペアンドゥも、基本出力を一定にしないとな……一度技として成立させて、プログラムに承認させちまえばああいう意図せぬ事故は起こらなくなる。あとは雷属性術の修得と、それ以外の最高技の派生か)
まだまだ、自分に使用出来ない魔術は沢山ある。それらについて考える事はいつも楽しいものだったが、実質的な軟禁状態が一週間も続くと、ライガも普段自室に籠って研究に没頭する時には感じないような不快感が湧き上がるのをどうしても抑え難かった。
疲れてベッドに横たわると浮かんでくるのは、マロン=エキュレットの侮辱に満ちた言葉だった。
考えれば考える程、自分に対するイザークを始めとした大人たちの処分への理不尽さが意識され、苛立ちと反発が募った。
(どうして俺は今、閉じ込められているんだろう? リクトは今頃、おじさんたちと一緒に戦っているのに……俺はずっとおじさんに──莞根士に憧れて、一緒に戦うのを夢見ていたのに)
そう思った時、ライガはふと自分は今リクトに嫉妬しているのだろうか、という考えが浮かび、慌てて自らの心を否定した。
リクトとて、努力を重ねてそれが叶うところまで行ったのだ。それについて嫉妬などを感じるのは、あまりにも自己中心的な考え方で、彼の頑張りにまるで目を向けていないようなものだ。
そう自分に言い聞かせ、浮かんできた感情を抑え込む事は、今のライガにとって最も精神力を試される事だった。
──このまま外に出てしまおうか。
窓の方をちらりと見やり、ライガはそう思った。
軟禁には、あらかじめ納得していなかった。いっそこっそりと抜け出して、自分の為になる事に時間を使った方がよほど有意義だ。大人たちへの苛立ちが日に日に募るに連れて、構うものか、好きに出てしまえ、という気持ちは徐々に強まり、自制心に麻酔を掛けて行った。
(知った事か、行っちまおう)
ライガは胸中で呟くと、剣を取り、窓の方へ歩み寄った。
風はそれ程出ていなかった。その為、軽く細かな雨粒が室内に吹き込んで来るような事もない。ライガは桟に攀じ登り、無詠唱で文法を使った。
(天翔ける疾風となれ……ウィンドモーター)
踵に空中滑走術の風の渦を発生させ、上空へと飛翔する。そのまま宙を駆け、ライガは郊外の方へと向かい始めた。
* * *
降り立ったホイヘンスの森は、厚く垂れ込めた雲のせいでいつもより暗く、空気が湿り気を帯びてあたかも熱帯雨林のような様相を呈していた。湿度が高い上に風がない為か、むしむしと籠るような暑さがある。
一方で、小雨は頭上の枝葉に遮られ、殆ど体に当たるような事はなかった。服が濡れたり地面が泥濘んだりする事で動きづらくなり、視界も悪くなる為ライガはあまり雨の日に屋外での戦闘はしたくなかったが、今日くらいの程度であれば森の中では左程影響はないだろう、と思っていた。果たして、その判断は間違っていなかったと言うべきだろう。
アルフォンスは、今回テンペランスで猛威を振るっているヴーニスは、アモールで戦ったイピリアよりも強敵になるだろう、と言っていた。アモールの時は異常の調査という目的もあったので単純に考える事は出来ないが、移動も含め、恐らく今回はあの時よりも時間が掛かると思われる。
リクトが帰って来るまでに、斬撃術を完成形にする事くらいはやっておこう、と思った。オルフェのような凄惨な事故を起こしてしまった以上、目下それは最優先でしなければならない事だ。
ライガは招喚魔術を使い、カトル、アン、デューを呼び出した。
「グルルルル……」
呼び出されてすぐ、ここが先日も自分たちが戦った場所だと察すると、アパデマクたちはやや寂しげな声を発した。
あの合同訓練以来、屋外で戦う事はなかったので、ライガが彼女たちを招喚する機会もなかった。セプトがこの森での戦いで命を落としてから何となくライガは彼女らに顔を合わせる事が気まずく、ルークと共に直接彼女らの居る地下を訪れる事もなかったのだが、従来の性質が獰猛である魔物たちであっても、やはりそれなりの期間を共に過ごしてきた仲間への情はあるようだ。
「あー……」
ライガは、やや俯きつつ頭を掻く。
やや言葉を選び、やがて「すまん!」と頭を下げた。無論、命令の意思を持たない言葉が彼女らに通じる事はないと、分かってはいながら。
「魔物招喚士としての俺の力が未熟だったばかりに、お前たちの大事な家族を──いや、違うな、セプトは俺にとっても家族みたいなものだった。そのセプトを、死に追いやってしまった。多分、お前たちはもう俺の事、信用ならないと思ってしまったかもしれないな」
視線を合わせるべく、地面に膝を突きながら言う。湿った腐葉土から染み出した水分がショースに吸収されたが、気にならなかった。
「俺、もっと強くなるよ。使役獣として、お前たちは俺の言葉には否応なく従ってしまう……従わざるを得ないから。俺は自分の言葉に、責任を持たなきゃいけないんだよな」
それは半ば、自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。
アパデマクたちはこちらを見上げたまま怪訝そうにやや顔を傾けていたが、やがてカトルがこちらに進み出、
「グルル……」
やや高い声で鳴きながら、首を伸ばしてこちらの頰を舐めてきた。
その気遣うような仕草に、ライガはやはり自分は彼女らと魔術的なものではない意味で”絆”を結べていたのだ、と安堵する。同時にその安堵には、やはり彼女らは自分がどのような状況に置かれている時でも味方で居てくれるのだな、という思いも含まれていた。




