『リ・バース』第一部 第8話 Gjallarhorn⑤
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一週間後、リクトは一人で討伐隊に同行していた。
進駐軍の調査により、チェバ近郊に出現するようになったヴーニスが何処を根城にしているのかは判明していた。郊外の、マングローブ林に囲まれた沼地だ。テンペランス王国は全体的に亜熱帯気候で、チェバの他にあまり大きな産業都市はなく──国王の居る首都はまた別な場所にあるが、交易の舞台である為かチェバの方が首都よりも大きい──、国土の多くが湿地帯に覆われている。
進駐軍は、既に特定した魔物の根城に対して攻略作戦を発動していた。しかし、彼らはたちまち壊滅に追い込まれ、撤退せざるを得なかったらしい。
移動する間、隊列の先頭を務めるのはアルフォンスの駆る馬ヴィーグヴレーヴ、ロディの駆るグルトップの二頭で、その後ろからフォルトゥナのヴォルノ、ファタリテのウィーズルと、それぞれの副官が続いていた。リクトは貸し出された馬でアルフォンスとヴォルノの間を進んでいたが、その間ずっと、ロディの後ろに続くウィーズルら部下たちの視線を気にしていた。
彼らの多くが、騎士見習いの子供たちを通じて、先日ライガとマロンの間で起こった諍いについては知っていた。皆、アルフォンスの養子が自分たちのリーダーの息子に怪我を負わせたという事で腹を立てている。
それはまた、リクトにも飛び火しかけていた。彼らは、後学の為とはいえ訓練生の身分で作戦に着いて来たこちらをあまりよく思っていないようだったが、その上こちらがライガの親友という事で、あたかもリクト自身が魔物だとでもいわんばかりの鋭い目で見てくる。こちらからすれば、それは聖職者が憎ければ僧衣まで憎い、というような発想に思えるが──。
「騎士長……」
恐る恐る、先を行くアルフォンスに声を掛けた。
「どうかしたかい?」
「その……僕、いえ、私は、本当に着いて来ても宜しかったのでしょうか?」
フォルトゥナの顔見知りは居るとはいえ、圧倒的なアウェー感に、そう口に出さずにはいられなかった。
アルフォンスは「しゃんとしていなさい」と励ましてくる。
「この間も言った通りだ。リクトはもう、正騎士と比べても遜色ない実力の持ち主なのだから」
「しかし──」
「それとも、ライガの事が気掛かりかい?」
アルフォンスは、あくまでも穏やかに言った。
「自分だけが来られた事について、彼に申し訳ないと思っているなら、その必要はないよ。何事もリクトはリクト、ライガはライガだ。……あまり大きな声では言えないのだが、私はライガの言った事は間違いではないと思う。手を出したのは確かに良くない事だけれどね」
「いえ、別に……そういう訳では」
リクトも、実際にはマロンの言葉についてはあまり気分の良くないものを感じていた。しかしやはり、ライガの行為を礼賛する事は出来ない。
ライガは気性が真っ直ぐであるが故、主張自体が間違っていなくても時に行き過ぎる事がある。以前までであれば「やりすぎだ」とその場で注意し、いつもの事だと割り切る事が出来ていたが、今回はやけに引き摺ってしまう。それは恐らく、ライガが同じ理屈で、法で裁けなかった犯罪者を既に殺害しているという先例がある為だろうと思う。
ライガは危ういのだ。周囲にとってではなく、彼自身にとって。
もしもこの場に彼が居れば、今リクトに向けられているファタリテの者たちからの険しい視線は、彼に向く事になっていた。
単なるアウェー感ではなかった。そう感じてしまうからこそ、リクトは今彼らからの視線をどうしても落ち着かないものに思う。しかし、さすがにそのような事は、口に出来るはずがなかった。
「──時折、不安になる事がある、と陛下は仰っていた」
アルフォンスが、ぽつりと零した。
「えっ?」
「リクトはシアリーズ姫の婚約者ではあるが、現時点では皇子ではない。元はといえば、軍人の家系でもないんだ。そんな君に、十何年にも渡って重みを背負わせすぎているのではないか、とね。それは私が、ライガに寄せている期待にも通ずるものがあるような気がする」
「………」
リクトは、言葉が出なくなる。
「ライガは決して、私やメルチェを嫌っている訳ではない。けれど、デルヴァンクールの名を継ぐ事だけは頑なに拒み続けてきた。顔も覚えていない両親の姓に、彼なりにこだわりがあるというのは事実だろうが、彼がどんなものであれ桎梏となり得るものを嫌うのも、また理由の一つではないだろうか? 彼は、将来フォルトゥナの長となる事にはやや否定的であるようだ」
「私は違います」
リクトは、はっきりとそう口にした。
「シアリーズ姫と婚姻を結び、皇籍に入った後に玉座を継ぐ。その事について、覚悟が揺らいだ事は未だかつてありません」
「それは──」
アルフォンスは言いかけてから、すぐに「いや」と打ち消した。
「やめよう、殊更に揺さぶりを掛けるような事は。君を困らせる事になるだけだろうからね」
「デルヴァンクール殿」
矢庭に、ロディ騎士長が声を投げ掛けてきた。
アルフォンスは彼の方を向き、リクトは静かに馬を下げる。
「見えてきましたぞ。目的の沼地です」
ロディの指差す先は、窪地になっていた。その底部に泉の如く水が溜まり、周囲を囲む卓状台地の隙間から奥に向かって川が流れ出している。リクトたちの進んで来たのと反対側の方角は、その谷間に根元を露出させた漂木が鬱蒼と茂り、その更に向こうは広大な湿地が広がっている。
「ここに、件の魔物が……」
「周辺地域で哨戒を行っている現地の軍からは、ヴーニス発見の報はまだHMEで送信されて来ていない。今日はまだ、奴はこの住処に留まっていると見て間違いないだろう」
アルフォンスが言った。
ここまで移動して来る間、左右を森に挟まれた道には時折魔物が飛び出す事があった。無論そこまで強いものではなく、隊列の外側を進んでいる兵士たちが即座に倒してしまうのでパニックが発生するような事はなかったが、恐らくそれらは被害報告の際に語られた「ヴーニスと共に襲撃を掛けて来た取り巻きの魔物」だろうと推測する事が出来た。
取り巻きが縄張りを離れていないという事は、親玉のヴーニス自体も根城を離れていない可能性が高い。
「湿地帯の方に出られると厄介だ。また取り巻きの多くは飛行能力を有している、狭い範囲内での集団戦となり、魔素や霊力の供給が戦闘中に枯渇する可能性を鑑みてもこれらの敵はネックだといえよう」
ロディは、部下のファタリテの者たちに指示を出した。
「故に、主たる飛び道具である魔術の無駄撃ちは避けねばならない。取り巻きの飛行能力の制限を図るべく──ウィーズル」
「はっ」
「沼に下り次第、窪地を囲むような形で防御結界を展開しろ。出力向上魔術を使用可能な者は、その結界を可能な限り強化するように」
「ヴーニスの主となる攻撃パターンに、専用魔術『ペトロリアム・ハウル』がある」
アルフォンスが、ロディに続けるように言った。
「ブリーフィングでも説明した通りだが、これは分類上水属性魔術でありながら、火属性攻撃での相殺が不可能なものとなっている。むしろ、それらとぶつかると爆発の威力を強めるものだ。これは、動的熱で出力を上げた防御魔術に関しても例外ではない。
故に、予備動作を見たら防御ではなく、回避に専念せよ。通常の障壁因子では防ぐ事が出来ないので、これは徹底するように。また、それはフィールドを形成する防御結界にも同じ事がいえる。誤って『ペトロリアム・ハウル』をぶつければ、爆発によって周囲の者が危険に晒される。なるべく沼の中央に敵は足止めし、万が一敵の魔術が結界に向かって飛んだ場合、火属性以外の魔術をぶつけて最小限の威力で爆発させ威力の拡大を防ぐ事」
「御意、モンシュー!」
騎士団の皆が返事をする。
彼はロディと視線を交わし、微かに顎を引くと、剣を抜いた。
紅玉髄の刀身を持つ、「国家」の名を与えられた剣。戦闘時に於いてはヤーラルホーンを主武装として扱う彼だが、この剣には五大騎士団を統べる者としての象徴的な意味合いがあった。
フォルトゥナとファタリテは本来対等な関係ではあるが、やはり今回の場合は筆頭騎士長であるアルフォンスに突入の合図は任されていたようだった。ロディはやや不満そうな顔ながらも、何も言う事なく身を引き、自然にアルフォンスへと皆の視線が集まるように計らっている。
「これより、魔物ヴーニスの討伐作戦を発動する! 数の利はこちらにある、必ずや魔物を討ち、テンペランスの平穏を取り戻すのだ。作戦開始!」
アルフォンスは叫び、沼へと下る道に向かってヴィーグヴレーヴを走らせる。その後方から、うおおおおっ! と鬨の声を上げ、魔剣士たちが続いて行く。リクトもまた、その”流れ”の一部となった。
「プリヴェントファクタースフィア!」
ウィーズル副騎士長が、ロディの指示通りに防御結界を展開する。
沼の真上を天元に、帳が降りるように周囲に半球状の光の壁が降りて来る。それに気付いたように、泥に淀んだ水中から無数の泡が浮上を始める。
リクトはトゥールビヨンを抜きつつ、ユークリッドで待っているライガに胸中で語り掛けた。
(ライガ……僕、頑張るからさ)
彼自身が「不当だ」と感じていた謹慎処分により、今回の作戦に参加出来ない事を悔しがっていた事からも、彼は決してアルフォンスのような騎士になる事を望んでいない訳ではないのだ、とリクトは思う。
(君も、どうか負けないでくれよ)
──何に、という事については考えられなかった。
馬から飛び降り、沼に足を踏み入れた時、水泡は水飛沫へと変じ、
「ヴヴヴヴヴォオオオオオオオッ!!」
水面を突き破り、雪崩れるような泥水を巻き込みながら魔物ヴーニスはその全貌を現した。




