『リ・バース』第一部 第7話 Coupé en Deux⑨
「………!?」
振り返ると同時に、目に入ったのは螺旋を描きながらこちらに流れて来る金色の五線譜の光果だった。それはあたかもライガが何をしようとしているのかを理解しているかのように、こちらのすぐ横を抜けて放物線を描き、タールの池の中へと流れ込んで行く。
その後ろから、数人の人影が伐採地に駆け込んで来た。ライガが事前に指示していた通り、それを見るや否やアパデマクたちはさっと道を開け、これは自分たちの判断らしく数体ずつで密集する。
正騎士たちだった。先頭を駆けているのは、玉葱のような先の尖った兜──バシネットを被り、魔笛ヤーラルホーンを唇に当てたアルフォンス。その後ろから、イザーク教官とフェートの指導教官──騎士長アレイティーズ・イェスネットの長男であるサルヴァドルが続いて来る。
イザークの横に、リクトも着いて来ていた。その後ろを、更にノレムが小走りで続いている。
「ライガ!」
リクトが、徐々に減速しつつこちらに駆け寄って来た。後ろを走るノレムも同様に減速し、立ち止まると同時にやや大袈裟と思われる程の仕草で荒い息を吐き、膝を押さえ込みながら地面にへたり込んだ。血を抜かれた上で全力疾走を強いられた為、というより、過去にない程血を抜かれたという事自体が精神的に彼を消耗させているのかもしれない。
「リクト、オルフェは……?」
「ファタリテのボルヒエナ教官が連れて行った。立って歩ける程じゃないけど、ちゃんと目は覚めたからひとまず安心していい。ドーデムたちも、教官と一緒に森を出て行ったよ」
リクトは言い、ノレムをちらりと見た。「彼のお陰だ」
「ありがとう、ノレム。それに、お前も──」
ライガは言っている途中で、不意に気道が塞がれたような気がした。
振り返ると、タールの池の中で、ヤーラルホーンから放たれた音霊に拘束され、ずぶずぶと沈み込んで行くシャンタクと目が合った。恐鳥の爛々と燃える石炭のような目が、自らをこのような目に遭わせたライガを呪い殺そうとしているかのように見える。
そしてその体の下で、セプトは既に顔を僅かにタールから覗かせるだけになっていた。彼女の大きく裂けた口の横側から、その口腔内にタールがどろどろと流れ込んでいる。それはあまりにも痛々しく無残で、ライガは自分が溺れて窒息しかけているような気分になった。
「セプト……」
「グルルルルウウ……」
彼女の顔が、微かにこちらを向く。あたかも、さようならと言うかのように。
擬人化した考え方だ、と思った刹那、涙が視界を濡らし始めた。
「ライガ」
アルフォンスが、すぐ隣にやって来てこちらの肩に触れた。
「おじさん……セプトが……」
「よく頑張った、ライガ。……辛かったね」
彼は優しく言うと、「後は任せろ」と囁き、再びヤーラルホーンの唄口に唇を当てた。その先端は、真っ直ぐにシャンタクへと狙いを定めている。
「クレッシェンド」
二度目の音色が紡ぎ出された時、シャンタクを縛めている五線譜が一際強く発光した。一瞬の間を経て、それは花火が弾けるように光焔を放ち、爆発する。
光が去った時、タールの池にはもうシャンタクの姿も、セプトの姿もなかった。
集まって来たアパデマクたちが、仲間の死を悟ったのか悲しげに鼻を鳴らし、ぺたりと座り込む。
「何故ここにアパデマクが──」
呟きかけたサルヴァドルを、イザークが「良いのです」と制した。
「この魔物たちは、彼の……仲間なのです」
* * *
オルフェが瀕死に陥る程の大怪我をした件について、ドーデムはロディ騎士長から直々に事の経緯を説明するように求められた。
ドーデムもさすがに、同期生を殺しかけたという事には責任を感じているようだった。正直に、自らが効果も理解せずにクペアンドゥを使用した事、それがライガから奪った魔術ノート──ガルドラボークに書かれていたものだという事をロディ騎士長に打ち明けた。
ロディは、ドーデムに罰則を与えこそしたものの、下手をすれば騎士団から除名されてもおかしくなかった今回の一件について、訓練生としての規定に定められている以上の処罰を科そうとはしなかった。ライガには知る由もない事だが、それにはドーデムがヤーツ家の御曹司である事、彼の父親であるヤーツ家の当主ナサニエルがロディの支援者である事が関わっているらしい。
リクトからこの事を聞いたライガは、要するに依怙贔屓ではないか、と憤った。ロディはその上で、一訓練生が無断でこのような危険な降霊術の開発を行い、今回のような結果を招いたという事で白羊宮に責任追及までを行ったのだ。
ライガは、アルフォンスとイザーク──デルヴァンクール兄弟に呼ばれ、ロディからの報告は本当の事か、と尋ねられた。
アルフォンスは、この時は養父ではなく上官としてライガに接した。とはいえ彼はライガの魔術研究とオリジナル降霊術の開発については家庭生活の中で既に知っており、魔物寄せや警告術については称賛すらしていた。
ライガは、ロディの対応について憤りこそしたものの、一切言い訳はせずに全ては事実であると語った。
彼らからは注意こそされたものの、処分は意外にも「お咎めなし」だった。
「ガルドラボークの作成は、現段階ではごく私的な事柄だった。それが盗まれて悪用された上、名前だけを載せていた開発中の魔術が使用されるとまでは、たとえ私たちであっても想定出来なかっただろう。それに、ライガはこれをまだ軽率に使用してはならない事を理解していた。人を殺傷する為の降霊術を作成したという事自体を咎めるのであれば、畢竟攻撃魔術とは、威力に差こそあれ他者の命を奪うものであるという事を忘れてはならないよ」
アルフォンスは、イザークに対してそう言い、ライガを弁護した。
イザークも、この件に関しては最初からライガを厳しく処分する事については否定的だったようで、すぐに兄の意見を呑んだ。
「ライガに、日頃からやや驕ったような態度が見られたのは事実だ。しかしそれについては、直接今回の一件と関連づけて判断するのは無理があるだろう。そちらの罰に関しては──ライガはもう、罰を受けた」
イザークの言っているのは、セプトの死についてだった。無論彼女が戦死した事は直接クペアンドゥの件と関わっている訳ではないが、ライガはこれにより、酷く心を痛めたのは本当の事だった。
それで十分だと、イザークは言った。
しかし、ライガはそれを聞いた時、思ってしまった。
(俺が悪かったっていうなら……何で俺じゃなく、セプトがあんな目に遭わなきゃいけなかったんだ)
* * *
事後処理が一段落着いた後で、ライガは改めてルークに会いに行った。
最初に会った時のように厩舎でブロンティングのメンテナンスを行っていたルークは、彼自身も契約していた使役獣の死について既に知っていたはずだが、こちらを責める事はなかった。現れたライガに向かって、ただ静かに
「お疲れさん」
と労いの言葉を掛けてきた。
それでもライガは、彼にはしっかりと謝罪をしようと思っていた。
「ごめんなさい、ルークさん。俺、あなたの使役獣を……」
「セプトは、それを覚悟していた」
ルークはすぐに、頭を振って言った。
「カトルやアンも同じだ。使役獣であるってのは、そういう事だ。戦いに死の可能性が付きまとうのは、熟練の騎士であろうが、君のような騎士見習いであろうが変わらない。
君が、自分が未熟だったからあいつを死なせてしまったって思って自分を責めているのなら、それは否定しない。兵士の生き死にを左右する要因なんて、畢竟は何であるか分からないんだからな。時には、指揮官の無能って事もあるだろうさ。けれどそれが、軍人である以上当たり前で、何も珍しくはない事なんだ」
「……はい」
ライガは、頭を下げたままそう答えた。
ルークはやって来ると、こちらの頭に分厚い掌を載せた。
「ほんの二ヶ月少ししか君と契約していられなかったセプトは、その事を君に教えてくれたんだ。だから、絶対に忘れるなよ」
第七話「Coupé en Deux」はこれにておしまいです。過去編は明るく始まって重苦しい終わり方になる傾向にあるようですが、身も蓋もない事を言うと過去編はジフト戦役とライガの破滅に向かって行くまでの話なので、元々あまり明るい話にならない事は当然なんですよね……勿論、それだけが全てではありませんが。
今回はライガのオリジナル降霊術のお披露目の回になりましたが、「クペアンドゥ」のモチーフは「ハリー・ポッター」シリーズに登場するセクタムセンプラです。本当はちょっとした思いつきのきっかけ程度でしたが、そこから専用の回復方法が「歌うような」詠唱の術である事もオマージュとして取り入れました。因みにライガの詠唱は「ABRACADABRA」(最古の記述では病気の治癒呪文)を一文字ずつに分解し、フランス語の発音に置換したものです。
それと、ノレムがオルフェへの輸血の際に使用した「無傷出血」ですが、これは山田風太郎『甲賀忍法帖』の中に「なんの傷もないのに、目、頭、胸、四肢からふいに血をながすもの」という「怪出血現象」として記述があります。が、検索しても『甲賀忍法帖』内で言及されているという旨ばかりが出てきました。辛うじてNDL(次世代デジタルライブラリー)で田中香涯の『医事雑考竒珍怪』という医学書(?)の記述を見つけましたが、別名「スチグマチザチオン(Stigmatisation)」ともいうそうです。格好良いのでこっちの名前にすれば良かった。
……と、いつものように各話の最後にトリビアを入れておしまいにします。次回もどうぞ宜しくお願いします。




